第2節 日時と場所


「そうか……ついに通ったか。おめでとう、加賀美くん」


 初老の男性が柔和な表情で、私に手を差し伸べてくる。私はまじまじとそれを見つめると、ハッとしたように握手を交わした。


「ありがとうございます、剣持教授。でも、本当に大変なのはこれからですよ」


 都内にある国立大学の研究室に、私は企画採用の報告を兼ねた監修依頼に訪れていた。


 教授は日本有数の民俗学者で、中世からの風俗や因習に精通している。初見では堅苦しそうな印象を与えるが、話し始めると世俗的な顔が浮き出てくるため、しばしば教育バラエティのゲストに呼ばれるほどの有名人だ。


 まさに番組の学術的な権威、箔付けにぴったりの人物なのだが、実際の因果関係は逆である。


 剣持教授が、そして私が大学時代を過ごしたこの場所こそが、今回の特番の起点であり、百物語を敢行する理由でもあった。


「きっと、彼も喜んでおるよ。私に出来ることなら何でもしよう。監修の件、喜んで引き受けるよ」


 教授の快諾に私は安堵した。番組制作のために必要なことは数多い。教授が参加してくれるだけで、視聴者やスポンサーへの良いPRになる。


「日時は8月15日の18時半から翌5時まで、およそ日の入りから日の出までを予定しています」


「ふむ、どうせなら旧盆としたいところだが、テレビ番組の性質上やむを得ないだろう」


 日本で怪談や心霊ものといえばお盆が相場だが、実はお盆の日は一つではない。


 元を辿れば道教の中元を起源として、旧暦7月15日が伝統的にお盆の日とされていた。いわゆる旧盆というやつだ。


 しかし、明治6年に新暦が採用されてからは、そのまま新暦の7月15日にしたり、一月ずらした8月15日にしたり、或いはキリよく8月1日にしたりと地域差が生まれた。


 伝統を重んじるならば、この中では旧盆が最も相応しいように思えるが、毎年少しずつズレが生じ、日常生活には馴染みが薄いこともあり、テレビ番組としては些か不都合なところがあった。


 なお、昨年の旧盆は8月30日だが、今年は8月18日となり、さらに来年は9月6日となる。


 そもそも、百物語とお盆の間には特別な相関はない。百物語は一種の降霊術とも見なされるため、祖先の霊が帰るとされる風習と合致するが、元は武士の間で流行った肝試しが由来とされている。


 あくまでテレビの企画であるため、お盆に合わせざるを得なかったのだ。そして、それに伴いデメリットも生じてしまっている。


「およそ10時間半の放送か。番組としては異例の長さだが、100話を完結させるには心もとない」


 10時間半とは630分、このうちオープニングやCM、更には出演者たちのインタビューなどを加えると、実際に怪談に費やせる時間は500分ほど。つまり、1話5分で進行しなくてはならない。


「それに場所も重要だ。目星はつけているのかね?」


 教授の続けざまの質問に、私は思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまう。さすがは恩師だ、痛いところを突いてくる。


「そのことですが……どうしても撮影規模から外部ロケが難しく、特設スタジオで行うこととなりました」


 その返答に教授はあからさまに顔を顰めた。私もこの点には大いに不満だ。しかし、いくらプロデューサーに掛け合っても、こればかりはテレビとしての限界だと袖にされた。


 本当なら伝統的な庄屋屋敷や武家屋敷が理想的だ。


 しかし、これらは文化遺産でもあることから、ロケ地としての借用が難しいばかりか、都心から離れた位置にあるため、出演者やスタッフの移動は大変な労力となる。


 私としてはどうしても妥協できないところであった。だが、教授は何かを思いついたように自慢の髭をいじりながら口角を上げた。


「いや、考えようによってはそれで正解かも知れんぞ。古来より百物語は参加者の屋敷で行うものだ」


 参加者の屋敷ならば、尚更スタジオではおかしくないか。いや、まてよ……?


「私たちテレビ業界の人間にとって、スタジオこそが屋敷……そう仰りたいのですね」


 私たちは無言で顔を見合わせる。しかし、教授の子どものような満面の笑顔が、返事よりも雄弁に物語っていた。

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