第18話
別に意図していた訳ではない。ただの偶然だ。
元々マンフレットの朝は早い。だが更に早く起床して、散歩を始めた……主に食堂の周囲を。暫く周囲をうろうろしていると、朝食を作り終えたであろうエーファが姿を現す。そして食堂に入って行くのが見えた。直様時計の針を確認する。
(成る程、大体この時間なのか……)
これは偶然だ。たまたま彼女が食堂に入る時間を偶然にも知ってしまっただけだ。
マンフレットはこの後、一週間に渡り朝昼晩と同じ行動を繰り返し統計を取った。
「マンフレット様……おはようございます」
「……」
それから数日後の朝、マンフレットは食堂で偶然エーファと鉢合わせた。どうやら彼女もこれから朝食らしい。
「あ、あの、お先にどうぞ」
一瞬何を言われたのか分からなかったが、マンフレットに譲ってくれるらしい。要は先に食べろと言う事だ。
彼女はお辞儀をすると早々に踵を返す。このままでは彼女が行ってしまう。折角の努力が水の泡だ。そう思い内心焦り、気付けば彼女の腕を掴んでいた。
「マンフレット、様?」
振り返った彼女から訝しげな視線を向けられる。慌ててマンフレットはエーファの腕から手を離した。
「いや……その、まあ良い。兎に角そこに直れ」
動揺して言葉選びを誤ったが、どうにか彼女を引き留め席につかせる事に成功をした。
向かい合って座ると、彼女から緊張しているのがひしひしと伝わってくる。そうこうしている内に侍女等が二人分の食事を運んで来た。今日もまたオレンジ色の物体が惜しげもなく混入しているのを確認し溜息を吐く。一思いに平らげるかはたまた少量ずつ食すか悩む。そんな下らない事を考えているとエーファがぎこちない動きで食事を始めた。
姿勢が悪い。ナイフの持ち方が違う。幾ら何でも音を立て過ぎだ。緊張しているのか?
マンフレットは無表情で黙々と食事を摂りながらエーファを盗み見る。興味などない。ある筈がない。だが気が散る。普段なら苛々する筈が、何と表現すれば良いのかもどかしい。その日は悶々としながら食事を終えた。
それからマンフレットは日を開けて、またエーファと食堂で鉢合わせる。あくまでもこれは偶然だ。日を開けたのは、連続で鉢合わせればきっと鈍い彼女でも怪しむ可能性がある。いやこれはあくまで偶然なのだから別に怪しまれ様とも堂々としていれば良いだけだ……。だが一応念には念を入れるのに越した事はない。
最近は特別な用がなければ毎日朝昼晩とエーファと食事をしている。ブリュンヒルデの時は夕食だけは一緒に摂るようにしていたが、結婚して半年の頃には完全に別々になっていた。理由は単純明快で、何時もブリュンヒルデがマンフレットの時間に合わせていたので、彼女がそれをやめた為だ。それにマンフレットから態々時間を合わせる気は全くなかった。
だがエーファとはたまたま時間が重なってしまうので仕方なく一緒に食事をしているだけだ。……他意はない。
エーファの使用するカトラリーと食器の音だけが食堂に響く。始めの頃は緊張しているだけだと思ったが、どうやら本気で出来ない様だ。これは本格的に教育が必要かも知れない。仕方ない、講師を探す……いや、テーブルマナーくらい自分が教えてやっても良い。だが自分から提案するのは違う気がする。こんな時、優秀な執事ならば主人に「奥様の手解きをされては如何ですか?」くらい進言するべきではないのか? だがギーは知っては知らぬか、それとなく話題にしても生意気に聞き流される。
そんなある日、彼女は何時にも増して苦戦していた。これまでは比較的食べ易い物が多かったが、この日は魚のムニエルだった。暫く様子を窺っていたが、カランッとフォークが落ちる音が響いた。侍女が慌てて新しい物を用意するも、彼女は俯き食べるのをやめてしまう。
全く見ていられない。ここは夫として確りと適切な指導が必要だと席を立つとエーファの元へと歩いて行く。
「そんなに力を入れなくて良い。これは……」
後ろから彼女の手を取り両手にナイフとフォークを握らせるとそのまま自分の手を重ねた。指導するならこのやり方が一番早いと考えただけで、別に疾しい気持ちは断じてない。ただ触れているだけなのに手に意識が集中して落ち着かない。思いの外彼女の顔も近い。気が散る。
「こんな初歩的なマナーも身に付けていないのか? これでは食事会になど招待を受けても到底出席は出来ないな」
だから私が直々にテーブルマナーを叩き込んでやる、一呼吸おいてからそう続けようとしたがその前にエーファから「申し訳ありません……」と謝罪を受けた。その瞬間、使用人達からの冷たい視線が突き刺さりとても言い出せる雰囲気ではなくなってしまった。マンフレットは溜息を吐き諦めると大人しく自分の席に戻り食事を再開した。
その日を境にエーファと食堂で鉢合わせる度に「エ、エメのご飯を忘れていたので……」「お、お腹が痛いので……」など彼女は言い訳を並べてはマンフレットから逃げて行く様になった。あからさまに避けられている。更に数日後……ギーから最悪の事後報告を受ける事になった。
「エーファ様の講師をレクス様にお願い致しました」
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