第41話 姫の体
モヒートが行う培養室と実験室の石積み壁を移動させた改装作業が終わった。
スノゥの元に戻ると、スノゥは紫色の本を読みふけっていた。
「姫さま、ご提案の壁移動が終わりました。モヒートの地形操作熟練度がさらに上がっております」
「え、終わったのですか?近くにいるのに、大変静かでしたよ。お陰で培養装置の動かし方と培養液の品質調査が分かりました」
スノゥが読んでいた内容は、培養装置の台座にある成形された水晶をはめ込むことで起動となる。培養液が満たされていれば循環が始まり、台座内にある装置でろ過と必要な栄養分の補給が行なわれる。肝心の培養液は、黄色の試験紙を浸し、変化なければ使用可能で、赤や黒と変化すれば使用不可。
その説明を受け、パンナとモヒートは、実験室に黄色の試験紙を探した。程なくして、引き出しの中にある箱から大量に見つかった。その中から数枚取り出し、培養室に置いてあった培養液容器の蓋を開け、試験紙を浸した。
「ん、変化なしですね」
「防腐剤のような長期保存ができる作り方なのじゃろう。ヤツらの本をじっくり読んで内容を把握したいものじゃな」
モヒートは、培養室の壁を扉として一部開き、通路に出て、地形操作で箱机を作り出した。改めて培養液容器の所へ行き、容器を箱机で運び出した。
「さすがに、子供の体では、この容器は運べぬ。二人で持ち上げるのがやっとじゃ」
「今回の箱机は、脚の伸びが長めに出来るので、ガラス筒内に流し込むのは楽に出来ますよ」
「本当に、この子の応用力はすごいのぉ。それだけ泣けてくるぞ」
培養液で満たした大型ガラス筒。台座の蓋を開け、パンナが水晶をはめた。キーンと独特の音を発して、少しずつ培養液の循環が始まった。それを確認して、パンナはスノゥの所へ行き、話をした。
「姫さま、ここの培養体成長がいくら早いとは言え、その間にも王国魔法使いズンビローと反王国エルドラド大佐の衝突は、また行なわれるでしょう。なので、姫さまの体組織を頂戴し、新たな培養体を作り、姫さまを転移させたいと思います」
「同一人物の体組織培養は、体の形成が出来ないと聞いております。人の形になったとしても、とても弱い体だと」
「そこで、我々の体組織と結合させようかと思っております。我々は培養体として生命があり、活動が出来ております。体組織の構成は、アタシの体組織にドリィとイスイという勇敢だった若者の体組織を結合させております。姫さまが転移する培養体には、姫さまの体組織が半分、アタシとモヒートの体組織を1/4ずつ結合させたいと考えます」
「・・・可能なのですか?」
「経験上、可能だと」
「そのお二方、ドリィとイスイは反王国の隊員なのでしょう?王国を憎んでおられる方々が体組織・細胞とはいえ拒絶されないものなのか」
「きっかけは鉱山落盤事故の王国対応が不満だったようですが、結果として、エルドラド大佐や湖の主ヒポの都合のいいように扱われ、命を落としております。埋葬は我々が行ないました。立派な青年たちでしたよ」
モヒートが、このパンナの話を聞いて、拳をぎゅっと握り、涙を堪えられずにいた。スノゥは、その姿を見て決断した。
「分かりました。どこか知らぬ人より、お二人が敬意を払う人物のお力を借りましょう。私は、どうしたらいいのですか?」
「体組織の提供だけです。本来なら、実験室で細胞の結合まで行ないたいのですが、埃がひどく、掃除するのも時間がかかる。なので、アタシの魔法で、体組織を瞬間凍結し、庶民街の民家に戻り、我々の体組織採取。分割した細胞を雷魔法による刺激で
結合し、細胞分裂を促す作業を行ないます。実験室からは、強いお酒、顕微鏡等、少々頂いて参ります」
「バヴァ、あなたは過酷な環境の中でも、錬金術と魔法を組み合わせて研究に勤しんでいたのですね」
「不死という状況を利用してやりました」
「私は、魔法が使えないので、錬金術に没頭していました。このような姿になって出来なくなりましたが、バヴァの話を聞いたら、また興味が湧いてしまいました。こういう事を『わくわくする』というのでしょうね」
パンナとスノゥは、笑みを浮かべた。
パンナは、準備を始める。カバンからガラスで出来たナイフや蓋付き容器等を取り出し、体組織採取に取り掛かる。モヒートは実験室に入って、棚から顕微鏡を持ち出し、地下通路に運び出した。そして、いつでも出発できるよう地形操作で箱机を作成し備えた。
「では、姫さま、始めます。お酒で消毒後、ガラスナイフで体組織を採取します。痛みを伴いますが、アタシが回復魔法にて対処致します」
「分かりました。自由な行動のために耐えましょう」
パンナは、スノゥの左足の膝近くから取ることにした。仰向けで寝ており、腕のような上半身部位だと視界に入る。下半身の方がマシと考えた。しかし、痛みで体は動くだろう。魔道具工房で使っていた太い注射器のような採取器があれば良かったが、今はどうこう言ってられない。
スノゥの足にお酒に浸した布で拭くと、布が黒くなった。何度拭いても皮膚がぽろぽろと落ちていく。清潔な環境ではなく、体を洗わずとも拭かれることもなかったようだ。王国の姫として扱われた方が、劣悪な環境で食事を与えず、排泄も立てないのに
「姫さま、声をなるべく出さぬように。ご覚悟を」
パンナは、手際よくスノゥの体組織を採取し、ガラス容器に入れた。すかさず、回復魔法をかけ、スノゥの傷口を塞ぎ、ガラス容器には氷魔法をかけ、凍る手前まで冷やした。この作業の間、スノゥは暗い天井を見つめ、意識をどこかに飛ばしているかのように痛みに対して全く反応をしなかった。これまでの地下室生活の中で、さまざまな人体実験を受けたのだろう。その結果、痛み感情を捨て去った無表情さにパンナは、とうとう我慢ができず、涙が止まらなくなった。
「姫さま、よくぞ耐えて頂きました。すぐに戻ってまいります。お待ち下さいませ」
「・・・バヴァ、泣かないで。私まで辛くなる。察してくれて、ありがとね」
「うぅぅぅ」
パンナは、声を詰まらせ、スノゥがいる地下室を出た。待っていたモヒートと箱机に座り、即、移動を開始した。来た時よりも格段に速く、本当に馬が駆けるような疾走感。しかし、パンナは、何とも言い難い気持ちに涙が止まらなかった。
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