2024.2.19 未来への恐怖A、恐怖B
仕事をしていると、ふとしたときに考えてしまうことが。
以前、引き継ぎマニュアルをメモ帳で作ることについて言及しましたが、それよりもっと広い目で見た、仕事が代替わりされつつ恒久的に続くことに関して、思うことがあるのです。
僕の後任が。
もし自分より使えない人間が入ってきたらどうしよう。
うわ。
それはすごい傲慢な悩みだ。
そしてもうひとつ。
もし自分より優秀な人間が入ってきたらどうしよう。
うわ。
これはこれで傲慢だ。
この2種類の恐怖に苛まれます。前者は何か。これはシンプルに業務が崩壊することへの恐怖。もう手を離れてるから知らないよ〜んで済ませてもいいのかもしれませんが、良心の呵責よりは責任感が咎めます。というより、自分の手を離れても安定するのか?という問いは、個人に課せられた責任を「時間軸」という視点を以て未来に延伸させるのなら、責任の範疇ではないかとも思える。また、過去の優秀な人間が、効率化・省力化・整理そういったものをしてくれている恩恵を賜りて我が物とし、そして過去のやらかした人間の尻拭いを、自分の責任とする(させれれる)ならば、今は僕か。今そこにいるのが僕ならば、僕になってしまうのか。そして、次は誰かか。今ここにはいない誰かなら、その人になってしまうのか。
そして後者の恐怖。これは単純に僕の立つ瀬が無いというだけの話ですね。僕も世界で一番優秀な人間ではないし、それどころか職場で一番優秀な訳でもないので(ひょっとして下から数えたほうが早かったりするのか)、やはり自分より優れた人間が来る可能性はある。低くない。高い。
そしてこれは、今組織に居る人間もそうだし、これから採用される人たちもそう。僕はプログラミングができないが公教育にはもうプログラミングが導入されている。スマホで動画を編集したこともないが、生まれた時からスマホに触れて、バズったり仲間内で楽しんだりする文化の中で育った人たち。そんな人たちが若さを伴って次に控えている。僕はこれといった能力を備えていない。協力もクソもない。僕の方が上なのに僕の方が下なのだ。
そういうことを考えると、結局のところ頑張る、これしか無い。やむをえず頑張るというのはつらく、途方も無い。今も頑張る未来も頑張る。
これから先、居場所は、あるのか!?
いや、居場所があったとして、存在価値を維持できるのか!?あるいは、こんな恐怖を感じられている内が華なのか?
降って湧く我が偉業なんてものを期待しては寝て待つ果報者気取り。
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