2024.1.16 ダイナミック・アンド・ドラマチック・ストーリー・コンプレックス

 カクヨムといえば、僕は日記のみの運用、且つ読ませていただくのもメインはエッセーのようなノンフィクションものです。しかし、カクヨムのメインフィールドは小説だと思っております。いいねやフォローなどしてくださり関心をお寄せいただいているらしき方が作品を書いてるときは、実は少しずつ楽しませていただいております。ありがとうございます。


 昨日、ある物語を書きました。正確には、何か月か前に書いたものに手を加えました。それは小説ではないのでここで公表することはないでしょうが、「創作」という分類では同じものです。


 今回、そうやって創作をしてみてひとつ、気付いたことがありました。

 それは、創作上のスタンスのこと。


 書き上げたものを読んでいると、ふつうにつまらない。

 それはひとまずいいとして、良いものが出来上がらなかったことへの劣等感ではなく、いや仮にそれが多少あったとしても、自分の中にとある考え、傾向が存在することが分かりました。


 あえてつまらないものを作っているように思える。

 

 今回書き上げた話をざっくり要約すると、「男が2人いる。片方がもう1人の手柄を横取りしたように思って疑心暗鬼になっていたが、実は単なる勘違いでしかなかった。最後は、もう1人の男もそっちはそっちであれやこれや暴走してたのをひた隠しにしており、恥ずかしいけど露見しちゃって終わり。ちゃんちゃん」というもの。概要だけだと面白いつまらない以前によく分からないかと思いますが、つまらないという事実だけ伝われば十分です。これが、とにかくつまらない。


 あまりにつまらんつまらん言っていますが、今回ショックだったのは「頑張って書き上げたものがつまらなかった」ことよりも、それならまだ良かったんですが「そもそも『敢えて』面白くならないようにしようと思って書いたように見える」ということでした。この心理については我が事ながら上手く説明できる気がしません。ただ、強いて言えば、幾つかの幻想に囚われていたようには思えます。


 ひとつ、リアリティの幻想

 ふたつ、整合性の幻想

 みっつ、空回りの幻想

 よっつ、かすかな機微という幻想


 ぱっとこの4つが浮かびました。恐らくいずれも、上手くそれらが表現されたときに創作において加点となる、魅力となる要素だと思います。しかし、これを見誤った。そして、この根っこには僕の性格上の欠点があると思います。それは、逸脱を極端に恥じる気持ち。


 この辺りについては、ひとつひとつ、時間をかけて、解きほぐして分析できればと思っています。今回は、あくまで気付きとして。

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