第116話 アリシアの功績
「ふふっ、今日は私の日になったの」
夜、ルティスの部屋がノックされたあと、隙間から顔を出したのはアリシアだった。
ルティスとしては、てっきり昼間の続きでリアナが来るとばっかり思っていたのだが、予想が外れたことに多少驚きを隠せなかった。
「意外ですね。今日はリアナだとばかり思ってたので……」
「それは私もよ。……入るね」
アリシアとしても、先程の風呂でのリアナの様子からして、かなり我慢していることに気づいていた。
だから、順番を見直す際、あっさり先を譲られたことに驚いたのだ。とはいえ、自分もしばらくぶりだったこともあって、それに甘えることにさせてもらった。
アリシアはルティスの返答を待たずに扉の鍵を閉めると、まっすぐベッドに向かい、ヘッドボードに背中を預けて座る彼にのしかかるように顔を寄せた。
「さっき、3人で話をしてきたの。これからはヴィオラさんも含めて、交代にするから。……構わないわよね?」
「あ、はい。俺は大丈夫ですけど……。リアナの反応はどうでした?」
「そのへんもちゃんと相談してるから。……ただ、これからルティスさんはゆっくりお風呂に入れなくなったかも? ふふっ」
アリシアは笑いながらルティスの横に並んで、肩を触れさせながら横顔を見上げる。
彼女の態度はいつもどおりサバサバとしているように見えるが、機嫌は上々だ。
「お風呂に……って、なんかあったんです?」
ルティスが聞き返す。
「それは、ヒミツ。明日を楽しみにね」
「あはは、なんかティーナさんみたいなこと言いますね」
「そうかもね。ま、それは明日になったらわかるとして。……私からのちょっとした提案なんだけど、今度みんなで旅行でも行かない?」
「旅行……ですか?」
「ええ。しばらくルティスさんもリアナも魔法の練習でバタバタしてたけど、多少は落ち着くんじゃないかなって思って」
確かに、アリシアの言う通り、ここ1ヶ月ほどティーナから魔法を教えてもらっていたこともあって、休む暇もなかった。
特にルティスは時間魔法の練習で毎日気分が悪くなっていたため、何もできなかったというのが正しいかも知れない。
ティーナが村に帰るということは、その練習が終わるということを意味していた。
それに、トラブルはあったものの、国王陛下の誕生記念式典も終わった。
これから徐々に王都も日常に戻っていくだろう。
「確かにそうですね。どこか、アテはあるんですか?」
「温泉……とかどう?」
「温泉ですか。聞いたことはあるんですけど、どんなところなんでしょう?」
今では多くの家に風呂が備え付けられているが、数百年前まではそういった設備はなく、汚れた体を水で洗い流すか、濡れた布巾で拭くくらいだった。
しかし、ごく稀に自然にお湯が吹き出す町があって、そこには昔から多くの人が体を休めるために訪れるという。
そういった話をルティスも知ってはいたが、生まれ育ったムーンバルトには温泉などなかったため、入ったことはなかった。
「大きな人工の池みたいな浴槽に、じゃんじゃんお湯が流されてるのよ。それに貸切で入れるお風呂もあるの。私も何回か行っただけだけと、お風呂の話してたら久しぶりに行きたくなっちゃって」
「へぇ、良いですね。ここから近いんですか?」
「ここから馬車で2日くらいね。王都に来るときは時間なくて寄らなかったけど、ムーンバルトに帰る方向、その途中からちょっと山に近い町が有名ね。ウェンドって町」
「そのくらいなら、行きやすいですね。……あ、でもカレッジの休みはどうなんですか?」
ここから2日とはいえ、滞在期間も必要だから、どうしても1週間程度の日数は必要となる。
式典の間はカレッジも休みだったが、明後日からは通常の授業に戻る予定と聞いていた。
「ま、休めば良いんじゃない? お父様も明日には帰っちゃうし」
「良いんですか? それ……」
何でもないことのように話すアリシアに、本当に良いのかとルティスは悩む。
しかしアリシアは続けた。
「もともと王都に来た理由も、ある程度メドが付いたワケだしね。……あんまりサボると怒られるけど、ほどほどに楽しむほうが良いかなって思うのよねー」
「まぁ、そうかもしれませんけど。……あ。それで思い出したんですけど、式典のときにもらった薬。アレって何だったんですか?」
ふと、ルティスはアリシアに尋ねる。
式典のあとずっとバタバタとしていたことで、すっかり忘れてしまっていた。
しかし、アリシアに渡された、あのよくわからない飲み物を飲んだことで何とかなったということを思い出した。
とはいえ、アリシアの研究室では魔力を回復させるための薬を研究しているのも知っていた。
そのための材料集めにも協力してきたから、そのときは深く聞かなかったのだ。
「アレね。ルティスさんの予想通りよ。ムルランの洞窟で採ったアルカナムード・モスって苔の煮汁を濃縮したものよ」
「へえ、あの赤いやつですね」
「そうそう。苔自体が魔力を持ってたから、もしかして、って。……でも、結構大量に使ったんだけど、たったアレだけしか抽出できなかったのよね。また採りに行かないと……」
アリシアは残念そうに言う。
ただ、ルティスとしては、僅かであっても効果があって、それに助けられたという事実は変わらない。
「いえ、それでもあれがなかったら、あの魔族を追い詰めたりできませんでしたよ。ありがとうございます」
「ふふっ、持ってて少しは役に立ったわね。ま、もしかしたら本当に危なかったら、ヴィオラさんが助けてくれてたかもしれないけれどね」
アリシアは自嘲するように言った。
しかし、ルティスは首を振りながら、彼女の肩を抱き寄せる。
「……それはわかりませんよ。ティーナさんが出てきたから、あのタイミングで動いてくれたんだと思います。あの場でヴィオラさんが知ってたのはティーナさんだけですから」
ルティスはヴィオレッタから、ザルドラスを止めるために来たと聞いていた。
しかし、どのタイミングで介入するかは彼女の判断だ。
今ならともかく、そのとき知り合いでもなかった自分たちを助ける義理は彼女にはなかったのだから。
アリシアはごろんと体の向きを変え、ルティスの胸に覆い被さりながら、彼の顔を撫でるようにそっと手を這わせる。
そのままゆっくりと顔を近づけ、唇が触れる間際で呟いた。
「そうね……。少しでも役に立てたなら、私も嬉しいわ」
そして、彼の返答を聞く前に、キスで口を塞いだ。
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