第114話 知識欲
夕食後、ルティスは風呂の順番を待っている間、ふと思い立ってヴィオレッタの部屋のドアをノックした。
「ほーい。いいよ」
中から軽い調子で返事が返ってきたのを確認して、扉を開く。
部屋にはベッドの上に寝転がってくつろいでいるヴィオレッタがいた。
「失礼します」
「そんな堅苦しくするのやめてよ。ほら、座って」
ヴィオレッタはベッドを手でポンポンと叩いて、ここに座れとアピールする。
それに従って、ルティスはベッド脇に腰を下ろした。
「それで、どうしたの? ……契約のことが気になるの?」
寝転がったまま、ルティスを見上げるようにしてヴィオレッタが尋ねた。
「……はい。中途半端に聞いちゃうと気になって。聞いても良いですか?」
「ふぅん。話したらダメってものでもないからいいよ。……えと、契約ってのは、お互いの手に魔力紋を刻む儀式ね。もともとはセレンティーナが言ったみたいに、魔力を貸し借りするために考え出された魔法の一種よ」
「そうなんですね。でもそれだけだと、便利そうって印象しかないですけど……」
「そうね。でも、便利だけど大きな問題があるの。実は、一度結んだらどちらかが死ぬまで解けないのよ、それ」
「それ、寿命の長い魔族だと、困りますよね」
魔族は人間の何倍も寿命が長い。
そう考えると、結んだ契約が切れるまでも長いということだ。
途中で仲違いしても破棄できないのであれば、慎重になるのも当然だと思えた。
「うん。困るの。だからね、契約はつがいになる者同士だけ、って暗黙のルールがあるのよ」
「つがい……って、結婚みたいなものですか?」
「人間で言うならそれが近いわね。どっちが先ってものでもないけど、契約が解けないってことは、別れることもできない訳ね」
「あ……なるほど」
死ぬまで解けない契約を結ぶということは、自分勝手に別れることもできないということだ。
「ずうっと昔の魔王が始めたみたいだけど、律儀にみんなそれに倣ってるわね。……まぁ、極端な話、今わたくしに意見できるヤツいないから、守らなくてもそのこと自体はどうってことはないんだけど」
ヴィオレッタは軽く笑いながら続けた。
「でも、契約したら解けないのはわたくしも同じ。だから安易に結ぶわけにはいかないの」
「ですよね。ようやく意味がわかりました」
ルティスは彼女の話を聞いて、ティーナとのやりとりの意味がわかった。
とてもとても、出会って数日で契約を結ぶなど、到底あり得ないのだということが。
ヴィオレッタは、よいしょと体を起こすと、ルティスの背中に覆い被さるように抱きついて腕を回した。
「これまでそんなこと考えたこともなかった。……でもね、もし将来誰かと契約するなら……ルティスがいいなぁ」
「ヴィオラさん……」
彼の耳元でそう呟いたヴィオレッタに、ルティスは顔を向ける。
ヴィオレッタはそれを待っていたかのように、そのまま顔を寄せて肩越しに唇を合わせた。
「ん……ぅ……」
緊張しているのか、背中に押しつけられている彼女の胸から、明らかに自分よりも早い鼓動が伝わってくる。
(そんなところも一緒なんだよな……)
見た目も何もかも、人間との違いがわからない。
特に彼女は半分人間だから尚更だろう。
ルティスからしても、違いは長い寿命と底知れない魔力くらいだ。もっとも、魔力は今も抑えられているし、寿命は当然、今の外見を見ただけではわからないのだが。
「……これ好き。なんていうか、崖の上から下を見下ろしたときにゾクッとする感じと似てる」
キスのあと、頬を染めたままヴィオレッタはそう呟く。
「え、ヴィオラさんって飛べるのに、高いところ怖いんですか?」
「むー、飛べても怖いものは怖いの。だって咄嗟に魔法は使えないもの」
ヴィオレッタはルティスの肩に顎を置いて、拗ねたように目を細めた。
首筋に彼女のサラッとした髪が触れて、なんとなく心地良い。
「へぇ、そうなんですね」
「……見てたよね? 歩くみたいに自然に飛べるなら、階段から落ちたりしないもん」
「確かに」
魔族が飛べるのは魔法だと以前に聞いていた。
確かに魔法は構成してから発動するまで、集中もしないといけないし、それなりに時間がかかる。
咄嗟に使えないのは魔族も同じなのだろう。
「……面倒だったけど、今回王都に来てよかった」
ヴィオレッタはルティスの背中に体を預けたまま、心境を吐き出した。
「そういえば、ヴィオラさんは元々なんのために王都に来たんですか?」
「ザルドラスが王都を襲うって話を他の守護者から聞いたの。それまでは勝手にさせてたけど、王都はね。さすがに放置できないかなって」
「それはすごく助かったんですけど。でも、ヴィオラさんにとっては、王都で被害が出てもそんなに関係ないような気もしますが」
そこがルティスには疑問だった。
ヴィオレッタはこれまであまり城から出ずに、周りに干渉することなく過ごしていたと聞いていたからだ。
「ま、放っておいても良かったけど、王都の聖魔法士がいなくなるとね、下級の魔族がもっと人を襲うようになるわ。……わたくしはこんなだから、あまり魔族と人間で争って欲しくはないの」
ヴィオレッタは一度ルティスから体を離して、またごろんと寝転がる。
そして、今度は彼の太ももに頭を乗せて下から顔を見上げた。
ルティスが彼女の頭を両手で包み込むように優しく撫でると、ヴィオレッタはうっとりと目を細めた。
「ヴィオラさんにとっては、どっちも大事なんですね」
「……ん。だからアイツは潰しておかないといけなかったの。魔族領で戦うわけにはいかないから。ま、わたくしが出る幕でもなかったみたいだったけど」
確かに、戦いを振り返ると、最後はヴィオレッタが滅ぼしたものの、そうでなくとも恐らくティーナが倒していただろう。
「そうかもしれませんけど、俺はヴィオラさんと知り合えて良かったです。いろんなこと教えてもらいましたから」
まだたったの数日であるにも関わらず、ヴィオレッタからは魔族のことを聞くことができた。
それは自分たちが敵だと思っていた魔族にも、彼女のような存在がいるということを知って、価値観は大きく変わった。
きっとアリシアやリアナも同じだろう。
「わたくしも1000年近く生きてきたのに、ルティスに教えてもらったもの。知識だけじゃないってこと。……それに、もっと知りたいって気持ちになったのも、はじめて」
そう言いながら、ヴィオレッタはルティスの頬に両手を伸ばした。
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