第108話 キスの味

 ルティスが服を着て私室から戻ったとき、アリシアとヴィオレッタはまだメイド服のままだった。

 そして、何故かリアナはこの場にはいない。


 ゲームは終わったと認識していたルティスは、そのことを不思議に思って首を傾げた。


「あれ、着替えないんですか?」


「ふふっ、どうせなら今日はこのままでいようかって。――ヴィオラさん、ほら教えたとおりに」


「は、はい……」


 口元を緩めるアリシアとは対照的に、ヴィオレッタは頬を染めたままで緊張しているように見えた。


 アリシアに促されたヴィオレッタは一歩前に出る。

 そして、少しだけ左足を引き、スカートを両手でつまんで少し持ち上げ腰を下げた。


「ご、ご主人さま……。どうぞよろしくお願いします」


 突然のことに、ルティスは目を丸くして声をかけた。


「ど、どうしたんですか! ヴィオラさん」


「……こ、こうすればルティスが可愛がってくれるって、アリシアが……」


 もじもじしながら弁明するが、すかさずアリシアが指摘する。


「『ご主人様』でしょ」


「は、はいっ!」


 慌てて直立したヴィオレッタを横目に、ルティスは呆れた顔でアリシアに言った。


「アリシアさんも、ヴィオラさんに何を吹き込んでるんですか」


「えー、面白そうだったから……」


 ペロッと舌を出しながら、アリシアが笑う。

 その様子を見たヴィオレッタは、眉をヒクヒクとさせた。


「え? わたくし、遊ばれただけ……?」


「そ、そんなことないわ。……ルティスさんってば、メイド長だったリアナとそれで仲良くなったんだもの」


「……そうなの?」


 アリシアの弁明に、ヴィオレッタはルティスに顔を向けて尋ねた。

 ルティスはその頃のことを思い返す。


 確かにリアナのメイド服姿は見慣れていたし、似合っているとは思っていた。

 しかし、普段の表情は氷のようで、とてもお近づきになりたいとは思えなかった。ましてや、近づくと強制的な指導が始まるのが常だったこともある。


「それは、関係無いような……。むしろ、リアナのその格好見ると背筋が凍る……というか」


「……なるほど。つまり、ルティスさんは今の私が怖いと?」


 苦笑いしながら言ったルティスだったが、ふいに後ろから声がかけられ、ビクッとなる。


「――うわあっ!」


 音もなく背後に立たれていたことに全く気づかなかったこともあり、驚いて振り向いた。

 そこにはまさにそのメイド服姿のリアナが、無表情でルティスをじっと見つめていた。


「リ、リアナ……! 驚かさないでくださいよ」


「別に驚かせたわけではありません。気を抜いたルティスさんが油断していただけです。……また前みたいに稽古でもつけましょうか……?」


 リアナは目を細めつつルティスを睨む。

 それはまるで以前のような雰囲気を纏っていて、最近の彼女とは別人のような表情だ。


「い、いえッ! ご遠慮します……」


 両手を前に突き出して弁明するルティスを、リアナはしばらく厳しい顔で見ていたが、突然表情を緩めて目尻を下げた。


「んふふ、なんかこういうの懐かしいですねぇ。……あ、ルティスさん、さっきのは冗談ですからご安心を」


 普段通りの口調で笑うリアナを見て、ルティスは大きく息を吐いた。


「びっくりさせないでくださいって。冷や汗かいたじゃないですか」


「まぁまぁ。せっかく私も着替えたんですし、昔を懐かしんで堪能してくださいな」


 嬉しそうにくるっと回ってみせると、ふわっと長いスカートが広がる。


「それは良いんですけど、なんでみんなその格好……?」


 ルティスの疑問にアリシアが答えた。


「ふふっ、さっきも言ったけど、今日はみんなでルティスさんに可愛がってもらおうかなって思って」


「可愛がる……って言われても……」


 ルティスは眼前に立つ3人へと、順に視線を遣る。

 同じメイド服姿とはいえ、それぞれ個性が違うのは明白だ。


 アリシアはふわっとした髪と柔らかい笑顔が魅力だが、立ち振る舞いは堂々としている。

 一方で、今のリアナは笑顔溢れる可愛らしさがある。

 そして、ヴィオレッタはまだ恥じらいが勝るのか、頬を染めたまま緊張しているような雰囲気が漂ってきていた。


「それは当然、言葉のままでしょ?」


「ですねー」


 アリシアの言葉を受けて、真っ先にリアナがルティスへ正面からぎゅっと抱きついた。


「あ。こらっ!」


 出遅れて慌てたアリシアも、続いて斜め前から同じように抱きつく。


「――ふわぁっ!?」


 ひとり取り残されたヴィオレッタは、眼前の光景を目にして、何が起こったのかと目を丸くしていた。

 

「んふふ、ルティスさんの好きにしてくれて良いんですよ……?」


 リアナはルティスの耳元に顔を近づけて、甘く囁く。

 そして、見上げるように背伸びをして唇を重ねた。ヴィオレッタに見せつけるように。


「んぅ……」


 リアナの鼻からくぐもった吐息が漏れる。


 ヴィオレッタは少し離れたところで見ていることしかできなかったが、ふたりのねっとりとしたキスを見せつけられて、真っ赤になった顔を両手で隠す。

 しかし、指の隙間からしっかりと観察はしていた。


「次は私ね……」


 ちらっとヴィオレッタの様子を見てから、アリシアはルティスに顔を向けると、同じようにキスを交わす。


「ほわぁ……」


 恍惚としたアリシアの表情を目にして、ヴィオレッタは驚きの声を小さく呟く。

 キスだけで、ふたりがあんな顔をすることが自分にはまだ理解できないけれど、胸が激しく高鳴るのがわかった。


「……あれ、ヴィオラさんは来ないんですか? じゃあ、もう一度……」


 ふいにリアナが振り返ってヴィオレッタに尋ねた。

 我に帰ったヴィオレッタは、慌てて遮る。


「ちょ、ちょっと! わたくしも……!」


 まだ混乱してはいたものの、これ以上見せつけられるのが我慢ならなかったのと、自分も味わってみたいという好奇心が抑えられなくて、ヴィオレッタはルティスに駆け寄った。


「ルティス、わたくしにも……」


 空いていたルティスの左側に取り付き、ぐいっと背伸びすると、目を閉じてキスをねだる。

 ルティスは一瞬戸惑いながらアリシアとリアナを見たが、ふたりが小さく頷くのを確認してから、ヴィオレッタの唇に顔を寄せた。


「ん……」


 朝は唇を合わせただけのキスだったけれども、ヴィオレッタは意を決して自分から舌を絡ませた。


(…………!)


 初めて味わう感触に、頭の後ろがぞくっとするのがわかる。

 普段、動くものに舌を這わせるということはない。

 しかし、体の無防備な部分を相手に委ねる行為が、これほど心地いいものだとは想像すらしていなくて。


(……これは……ダメ……)


 先ほどのふたりの表情の理由が、今ならはっきりとわかる。

 いつまででも続けていたくて、ヴィオレッタは両腕をルティスの首に絡めた。


 ◆


「……はふぅ」


 ヴィオレッタはキスのあと、とろんとした顔でへなへなと腰を床に落とした。

 足に力が入らなくて、立っていられなくなったのだ。


「あらら、ヴィオラさん大丈夫……?」


「だ、だいじょぶ……」


 アリシアの声かけに、ぽーっとしたまま答えるが、まだ視線は定まっていないように見えた。


「ヴィオラさんは可愛いですねぇ……。ルティスさん。続き、部屋行きます……?」


 リアナが誘いの声をかけるが、そのときふいに玄関の外から声が聞こえてきた。


「アリシアさーん。こんにちはー」


 それは聞き覚えのある声。


「あら、フェリック君じゃないの。……残念だけど、続きはまた後ね」


 アリシアはがっかりした様子でそう言いながら、出迎えに向かった。

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