第103話 ヴィオレッタ

「ヴィオラさん……」


 ルティスがすがるような声で名前を呼ぶと、ヴィオレッタは「ちょっとだけ失礼するわ」と言いながら部屋に入る。


「ルティスが困ってるのを見るのも面白いけど、一応約束だから、ね」


 ヴィオレッタは部屋に置かれた椅子へと腰掛けると、ベッド脇の3人に視線を向けた。

 同時に、アリシアとリアナはルティスから少し離れて座り直す。


 そして、アリシアが真面目な顔でヴィオレッタに言った。


「気を悪くしたらごめんなさい。……もともとリアナとは話していたの。ルティスさんにはからかうだけにしようって」


「ですね。私たちもわかってるつもりです。ルティスさんが引き留めてくれたから、ヴィオラさんが今ここにいるんですよね?」


 リアナもアリシアに同意して頷く。

 家に帰る前、アリシアとふたりで話していた。

 恐らくヴィオレッタはもう魔族領に帰ってしまって、もう会うことはないだろうと。


 しかし、実際にはそうではなくて、彼女は変わらぬまま家にいた。

 その時のふたりの様子からして、きっとルティスが何か話してくれたに違いないと思った。

 それは、かつてアリシアのために身を引こうとしたリアナを、ルティスが半ば強引に説き伏せたことと重なったのだ。


「……驚いた。ルティスのフォローしないとって思ってたけど、そんな必要なさそうじゃないの」


 ふたりの洞察力にヴィオレッタは感嘆した声を上げる。

 思っていた以上に、ルティスの性格も含めて冷静に物事を見ているということに。


「えぇ……。俺、殺されるかと思いましたよ」


「んふふ。そんなことあるわけないじゃないですか。……まぁ、あまりに度が過ぎると躾が必要になりますけれど」


 冷や汗を拭きながら言ったルティスに、リアナは擦り寄るように肩を寄せる。


「と、いうわけ。騒がせてごめんなさい」


 アリシアがもう一度謝ると、ヴィオレッタは「ふふ」と小さく笑った。


「……よかった。わたくしのせいでルティスがハンバーグの材料にされちゃったら可哀想だから」


「むー、私がいくらハンバーグが好きでも、さすがにそこまではしませんよぅ」


 リアナが頬を膨らませて抗議する。

 そのあと、しばらく無言の時間が流れたあと、ヴィオレッタは口を開く。


「……とりあえず安心したし、わたくしは部屋に帰るわ。ルティスに頼まれたし、当面はここにいることにするから」


 口にしながら、ヴィオレッタは椅子から立ち上がる。

 それを制するように、リアナが言葉をかけた。


「ちょっと待ってください」


 リアナはちらっとアリシアの顔に視線を向ける。

 そして、お互い小さく頷き合った。


「……あとですね、私たちもヴィオラさんに配慮が必要と判断しています。お嬢様も、構いませんね?」


「ええ。やむを得ないわね」


 何のことかわからずに、ルティスはそれぞれの顔を交互に見た。


「えっと……?」


 すると、リアナは呆れたような顔で、ルティスの脇腹をグリッとつついた。


「鈍感ですね。……今晩は、ヴィオラさんにルティスさんをお貸しする、ということです」


「――はぇ?」


 一瞬意味がわからなくて、ヴィオレッタが素っ頓狂な声を上げた。

 しかし、すぐに理解が追いついてくるとともに、みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。


「えっ、ええぇっ!? それ……は……っ! どういう……」


「ヴィオラさんが寝衣のままでここに来られたのは、そういうおつもりなんでしょう? ルティスさんを差し上げることはできませんけど、お貸しすることなら妥協します」


「えっと……その……」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。いきなり話が飛びすぎですって!」


 目を逸らしてもじもじするヴィオレッタを庇うように、ルティスが話に割り込んだ。

 それにアリシアが反応する。


「別に飛んでないわよ。私もリアナと相談したの。……そもそも、私たちが王都に来た理由ってなに?」


「え? ……魔族に対抗する手段を見つけるため……ですよね?」


「そうよね? じゃ、これが最適解でしょ? ヴィオラさんにいてもらえれば安心だけど、それなりの対価は必要だと思うから。もちろん、ヴィオラさんとルティスさん次第だけど、ね?」


 アリシアがヴィオレッタに目配せすると、茹で上がったままの彼女は、しばらく考え込んだあと頷く。


「……そ、そうね。あなたたちのその話は初耳だったけど。そういう話なら心配はいらないでしょうね。わたくしに歯向かえる魔族はいないもの」


「それは良かったわ。……それじゃ、あとはルティスさんが覚悟決めるだけね」


「アリシアもリアナも……。ほ、本当にそれで良いんですか?」


 もう一度ルティスが確認すると、リアナは黙って目を閉じた。

 その代わりにアリシアは眉を顰めつつ答える。


「私たちだって、他に選択肢がないのか、すごく考えたわ。でもこれ以上の案はないの。それに私たちもヴィオラさんは嫌いじゃないもの。なんか新しい妹みたいで可愛いし」


「……あの、わたくしの方がずっと歳上なんですけど……?」


 なにやら複雑そうな顔でヴィオレッタが呟く。

 ただ、ルティスから見ても、ヴィオレッタの方が見た目も言動も幼く感じられることには同意できた。


「じゃ、そういうことで。私たちは戻るわ」


 アリシアがベッドサイドから立ち上がると、手をひらひらとさせながら部屋を出ていく。

 リアナも無言でそれに続くと、ペコリと頭を下げて部屋を出ると、パタンとドアを閉めた。


 それを目で追ったルティスが、椅子に座ったままのヴィオレッタに顔を向けると、彼女は視線を泳がせながら、震える声を絞り出す。


「なっ、なななんで……こんなことに……?」


「お、俺だってわかりませんよ、そんなこと……」


「そ、そうよね……」


 ふたりとも、全く予想もしていなかった展開になって戸惑っていた。


「ま、まぁ……。でも俺、ヴィオラさんが嫌がることは絶対しませんから。安心してください」


 ルティスがそう言うと、ヴィオレッタは目を丸くしたあと「ふふ」っと笑った。


「……さっきわたくしを無理矢理引き留めたの、誰だったっけ?」


「え、だめでしたか?」


「う……嬉しかったけど」


 そのやり取りで多少緊張が解れたのか、彼女は椅子から立ち上がると、ゆっくりルティスに近づいて、目の前に立った。


「ずっとひとりで生きてきて、誰かに頼ったり、頼られたりって一度もなかったから……」


 そして、右手をそっとルティスの前に差し出す。


「……ルティスはわたくしを必要だって言ってくれる……?」


「もちろん。……逆に俺たちが必要だって、ヴィオラさんに思ってもらえたら嬉しいです」


 差し出された手を握り返しながら、ルティスが立ち上がると、ヴィオレッタはその顔を見上げた。


「ん。……もうひとりなのは嫌だから」


 ヴィオレッタは握った手を嬉しそうにぶんぶんと振る。

 ひとしきり振って満足したのか、彼女は小さな声で「……寝よ」と呟いた。


 先にルティスがベッドの端で横になると、緊張しているのか、ヴィオレッタはぎこちない動きでその横に並んでまっすぐ仰向けになった。


「……ど、ど、どうぞ……ご自由に……」


「……えっと、ヴィオラさん……あの、そういう経験は……?」


「…………ない……」


 恥ずかしくて目を合わすこともできずに、ヴィオレッタは天井の一点を見たまま、消え入りそうな声で答えた。


「そうなんですね。……あの、今日はやめておきましょうよ」


「え……」


 それが意外だったのか、ヴィオレッタはルティスのほうに顔を向けた。


「代わりに、眠くなるまでいっぱい話をしませんか。もっとヴィオラさんのこと知りたいんです」


「……いいよ。わたくしもルティスのこと知りたい。なんにも知らないもの」


「ですよね。そんなに急がなくても、時間はいっぱいありますから」


 ベッド上で間近に向かい合ったまま、ルティスは諭すように言った。

 これが最後ではなく、これが始まりだと思えば、時間をかけてお互いを知ってからでも良いと思った。

 アリシアやリアナとだって、初めて出会ってから長い時間をかけて理解し合ったのだから。

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