第101話 会食 後編
「あらあら……」
ルティスが咄嗟に止めた時間のなか、呆れた顔で最初に呟いたのはティーナだった。
彼女には耐性があるのだろうか。
周りが音もなく止まっているのにも関わらず、平然としている。
そしてもうひとり。
ヴィオレッタもまた、動くことができるようだった。
しかし、ティーナとは対照的に険しい顔をしていた。
「ま、こんなことだろうと思ってたけれど。……ルティス、ありがとう」
礼を言いながら、ヴィオレッタは陛下の護衛の魔法士――女性のほうの――が、自分に向けて突き出したままのナイフを避けた。
どこかに隠し持っていたのだろう。
あえてこういう手段を取ったのは、魔法では勝ち目がないとわかっていたからだろうか。
「もう良いわ」
ヴィオレッタの声に、ルティスは魔法を解く。
と言っても、もう魔力も残り少なくて、程なく自動的に解かざるをえなかったのだが。
「えっ……!」
動き出した時間のなか、ナイフを持っていた魔法士が驚いた声を上げた。
それもそのはずだ。
狙っていたターゲットが、一瞬にして目の前から消えたように見えたのだから。
周りの面々も驚いた顔で動けない。
――ドサッ!
そのまま勢い余って倒れ込んだ魔法士を見下ろすような格好で、ヴィオレッタはぞっとするような冷たい視線を向けた。
「……それは誰かの命令かしら? それとも貴女の独断?」
その抑揚のない声を聞いて、横で聞いていただけのルティスですら、背筋がぞくっとする。
(リアナとそっくりすぎる……)
以前リアナから自分に向けられていた視線と重なるものを感じて、嫌な思い出が甦る。
「――フィオナ!? なにを――」
もうひとりの魔法士が唖然とした顔で、倒れ込んだ魔法士の名前を呼ぶ。
(……コイツは知らなかった、か)
ヴィオレッタはその態度で冷静に判断する。
他にあり得るのは、国王自らの命令か、全く別の者からの可能性だ。
ちらっと視線だけを一瞬だけ国王に向けるが、驚いた顔をしてはいるものの、それだけで判断はつかなかった。
失敗をしたことに驚いているだけの可能性もあるからだ。
改めてフィオナに視線を落とす。
「……早く答えないと、ここにいる全員、皆殺しにするよ?」
もちろん、そんなつもりはなかったけれど、それをできるだけの力は自分にある。
あるからこそ、言葉の重みがある。
「くっ……! 魔族は全員滅ぶべきよ!」
床に手をついたままヴィオレッタを見上げ、フィオナは叫ぶ。
しかし――。
――ジュワッ!
「ああああっ!」
突然、フィオナの右腕から炎が上がって、服と肌を焼いた。
周囲に嫌な臭いが立ち込める。
「……質問に答えなさい」
ルティスたちも、ヴィオレッタをなだめようと思うけれど、下手に割り込むことはできずに黙っているしかなかった。
「……わ、わたしの独断よ」
フィオナが痛みに耐えつつ、声を絞り出す。
「そう。……なら貴女だけ死になさい」
ヴィオレッタの死の宣告に、フィオナが覚悟を決めて目を閉じる。
先日の魔族を相手にしたときも、自分たちとは力の差がありすぎた。
その魔族をあっという間に屠ったこの少女に対して、対抗する手段などあるはずがない。
しかし、そのときルティス横から彼女の腕に触れ、声をかけた。
「ヴィオラさん……。そのくらいにしましょう」
「――ルティス? どうして?」
「……そうじゃないと、きっと後で後悔が残りますから」
「…………」
ヴィオレッタはじっとフィオナを見下ろしたまま、何かを考えていた。
そして――。
「……彼に感謝なさい」
ヴィオレッタはそれだけ呟くと、さっと翻してひとりコツコツと足音を立て、ホールから出て行く。
その後ろ姿を誰も追うことはできなかった。
◆
そのあと、火傷を治癒されたフィオナは、もうひとりの魔法士に連れられて帰っていった。
後ほど、詳しく取り調べを受けるらしい。
もちろん、会食自体もそのまま続けられる状況ではなく、またしても中止ということになり、解散となった。
陛下の態度からすると、本当に彼女の独断だったとルティスたちは思ったが、それも後日分かるのだろう。
そして、後始末に加えて今後の相談をするというアリシアと、その護衛のリアナを除いて、残りの面々は先に家へと戻ってきていた。
「ヴィオラさん、もう戻ってはこないですよね……」
ルティスが呟くと、ティーナがため息をつく。
「そりゃ、ね。あの子、頑固だもん。下手すると数百年、動かないわよ」
「そうですか。……残念ですね。俺には普通の女の子にしか思えなかったんですけど……」
ルティスが心境を吐露する。
ヴィオレッタと過ごしたのはたったの1日だけれど、ルティスの持っていた、魔族に対する意識を大きく変えてくれたと思っていた。
時間はかかるかもしれないが、彼女なら魔族と人間の対立をも変えてくれるのではないかとすら……。
「……それ、あの子が聞いたら喜んだでしょうね」
ひとり私室へと向かうルティスに向けて、ティーナは独り言のように呟いた。
――ガチャ。
ルティスが部屋の扉をゆっくりと開けて、いつものように慣れた手つきで、手探りのなか真っ暗な部屋のランプに明かりを灯す。
ぼんやりとした明かりの部屋で、ルティスは大きなため息をついて、ベッドに腰掛ける。
「……ヴィオラさん、残念だったなぁ」
もう会うことはないと思いつつも、ほんの少し前まで一緒に話をしていた少女のことが頭によぎる。
彼女を通してもっと分かり合うことができれば、いつかきっと魔族との憂いもなくなるのでは、と淡い期待をしていただけに、がっかりとした気持ちが重くのしかかる。
と――。
「……わたくしがどうしたのかしら?」
「うわっ!」
ふいに背後から声が聞こえてきて、ルティスはビクッとして振り返った。
そこには先程までと変わらぬ姿のままで、部屋の窓際に立っている少女がいた。
ただ、うす暗くて細かい表情は見えない。
「――ど、どうして……?」
震える声で問いかけると、ヴィオレッタはなんでもないことのように答えた。
「……最後、ルティスにちゃんとお礼しておこうって思って。……さっきはありがとう。ま、あのくらいでどうにかなる訳ないんだけど。でも嬉しかった」
「気にしなくていいよ。……俺も前に刺されたことあってさ。咄嗟に体が動いただけ」
「ふぅん。ルティスも苦労してるんだね」
じっとルティスの目を見つめるヴィオレッタの薄い紫色の瞳に吸い込まれそうになる。
「わたくしの用はそれだけ。それじゃ、他のみんなが帰ってくる前に帰るわ。もう会うことはないかな……」
言いながら、ヴィオレッタはルティスに背中を見せて窓に向かい、かんぬきを外す。
そして窓を開けようとしたとき――。
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ!」
その様子を見たルティスは、慌ててヴィオレッタに駆け寄り、彼女の手首をしっかりと掴む。
いま行かせると、本当にもう二度と会うことはないと確信できた。
だから、絶対に行かせてはダメだと。その一心だった。
「――っ!」
その行動が予想外だったのか、ヴィオレッタは手を止めて振り返った。
間近で見たその顔は、ルティスには戸惑ったような……そんな表情に見えた。
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