第11章 守護者

第97話 アンナベルの指令

 翌日の昼前――。


 アリシアの家には、セドリックを護衛している騎士団の中からふたりが選ばれて、様子を窺いにきていた。

 もちろん、ヴィオレッタがいることを考えてのことだ。


 そのうちひとりはアルベストという、アリシアとリアナ共によく知っている男だった。

 少しは事前に話を聞いていたのだろうか。多少緊張した雰囲気を纏わせていた。


「お嬢様、お久しぶりです」


「アルベスト、よく来てくれました。元気そうですね」


「ありがとうございます。お嬢様もご健勝のようで何よりでございます」


 アルベストは出迎えたアリシアとリアナに深く礼をする。

 アリシアに変わったところがない様子を見て、アルベストは緊張を解いた。


「ふふっ、そうね。昨日は驚くことばかりでしたけれど。……入ります?」


「いえ、そんな無礼なことは。私はセドリック様からの伝言をお伝えに参りました。……こちらを」


 アルベストが一通の封書をアリシアに手渡す。

 宛名の筆跡は、アンナベルが書いたものに見えた。

 恐らく、セドリックとアンナベルが連絡を取るために書き記したものだろう。


「ありがとう。こちら、私からの返事が必要なものかしら?」


「はい。可能であれば」


「わかりましたわ。……リアナ」


「はい」


 アリシアは受け取った封書をリアナに手渡す。

 リアナは封蝋でしっかりと封された手紙を軽く振って中を寄せると、封筒の上側をさっと指でなぞった。

 すると、なぞった箇所に、あたかもナイフで切ったかのように切れ目が入る。


 切れ目をよく見ると僅かに焼け焦げていることから、ごくごく弱い火の魔法を使ったのだろう。

 こういった繊細な魔法の制御は、リアナの最も得意とする技術だ。


「どうぞ。お嬢様」


 リアナは中の便箋を少し引き出すと、アリシアの方に差し出した。


「ありがとう。……えっと?」


 アリシアは便箋に目を落とす。

 そこには、まずセドリックからアリシアへの指示が書かれていた。

 最初は当たり障りのない、昨日式典での労いの言葉から始まって、そして――。


『今晩、国王陛下が私の泊まっている屋敷にお越しいただける。もし良ければ、皆を連れてお前も来ると良い』


 と書かれていた。

 式典での陛下の話は話半分に聞いていたのだが、本気だったようだ。

 しかし、あんな事件があったばかりだというのに、国のトップが大人しくしていないということに多少呆れる気持ちもあるが、陛下が決められたことだ。


 2枚目の便箋には、アンナベルからリアナへの指示。

 アリシアはその便箋をリアナに渡した。


「こっちはリアナ宛みたいよ」


「はい。ありがとうございます」


 リアナは受け取った手紙へと視線を走らせた。

 そこにはたった一行のシンプルな指示。


『どんな手段を使ってもいいから、ヴィオレッタと仲良くなりなさい』


 概ね予想はしていたけれども。

 しかし、「手段」の選択肢は任せられていて、それ故に難題だ。

 「ふぅ」と小さくため息をついたリアナは、アルベストに言った。


「アルベストさん。お母様には、『承知しました』とだけ回答ください」


「承りました。……お嬢様のほうはいかがでしょうか。皆様でご相談されるなら、待機するか、改めて参りますが」


 アルベストはアリシアに尋ねる。アリシアへと伝える前に、おおよその内容は事前にセドリックから聞いていたのだろう。

 アリシアはしばらく目を閉じ、考えてから答えた。


「いえ……。お言葉に甘えて皆でお伺いすることにしましょう。その旨お伝え下さい」


「お嬢様、承知しました。確かに承りましたので、我々は帰ります。夕方、お迎えに参りますので、ご準備をよろしくお願いします」


「ええ、わかりましたわ」


 アリシアに敬礼した騎士団員ふたりは、さっと翻して帰っていく。

 その後ろ姿を見送ったあと、アリシアはリアナに聞いた。


「ヴィオラさん、起きてるかな?」


「いえ、先ほどまではまだお休みでしたよ」


「……夜まで起きてこなかったり……は、ないわよね、きっと」


 ティーナのように昼夜逆転生活だったりしないだろうかと、多少心配になった。


 ◆


 結局、ヴィオレッタが私室から出てきたのは、日が傾き始めた頃になってのことだった。


「ふわあぁ……」


 大きなあくびをして、眼を指でこすりながら、トコトコと階段を降りてくる。

 着ている服はぶかぶかの寝衣で、これは着替えのないヴィオレッタに、リアナが使っていたものを貸したものだ。

 リアナもかなり小柄ではあるが、ヴィオレッタは更に細いこともあって、サイズが合っていない。


 と――。


「……ふあっ!?」


 ――ガタン! ガッ、ガッ! ――べしゃあっ!


 残り3段ほどのところで足を滑らせたヴィオレッタは、尻もちをつきながら階段を滑り落ちて、最後は勢い余って顔面から見事に着地した。


「いったぁ……っ」


 それで完全に目が覚めたのか、床に打ち付けた鼻をこすりながら起き上がると、そのままぺたんと床に座り込む。


 その音を聞いて、何事かと食堂から様子を見に来たルティスは、階段下で涙目になっているヴィオレッタを見つけて声を掛けた。


「だ、大丈夫ですかっ?」


「……だ、だいじょうぶ。こんなのへっちゃらよ……」


 強がるヴィオレッタだったが、その鼻からタラリと鼻血が流れ、それに気付いた彼女は慌てて手で押さえた。


「すぐに拭くもの持ってきます!」


 ルティスが急いで布巾を取りに行く間に、ヴィオレッタは魔法で血を止める。

 しかし、流れ出た血で白い寝衣に赤い染みが付いてしまっていた。


 ルティスは布巾を取りに行ったついでに、リアナを呼ぶ。


「リアナ、洗濯お願いします」


「あらら。すぐ着替え持ってきますね。取れなくなる前に洗いましょう」


 パタパタと自室に戻るリアナを目で追いつつ、ルティスはしゃがみ込んで、ヴィオレッタの顔に残る血を濡れた布巾で拭き取る。

 鼻を押さえていた手にも血が付いているようで、彼女の手首を持って綺麗に拭き取った。


「はい、これで大体拭けたと思います」


「う、うん……ありがとぅ……」


 ヴィオレッタは恥ずかしくて俯き加減のまま、もじもじとしながら小さく頷く。


 ルティスはその仕草を見て、普段良くリアナにしているように、つい彼女の頭に手を伸ばしてそっと撫でた。

 手にさらさらとした黒髪の感触が伝わってくる。


「……ふゆ?」


 ヴィオレッタは一瞬ピクッと肩を震わせたが、特に拒否することはなく、むしろ撫でやすいように頭をルティスのほうに向けた。


「……立てますか?」


「ん……」


 ルティスは手を止め声をかける。

 そして、小さく頷いたヴィオレッタの手を引いて、ゆっくりと立ち上がらせた。


(ヴィオラさん、信じられないけど本当に魔族なんだよな……?)


 どう見ても、ただのドジな普通の女の子だ。

 昨日の王宮での出来事は、自分もこの目で見ていたし覚えている。

 だからその強さは間違いないはずだ。


 しかし、彼女を見ていると本当に魔族が怖いものなのかさえ疑問に思えてくる。

 その柔らかくて温かい手も、少し照れてほんのり頬を染めた顔も、全く人間と変わらない。


 そのとき、リアナが着替えを持って階段を降りてきた。


「はい、どーぞ。着替えたらおやつにしましょう。アップルパイ焼いてますから」


「うん。……なんかわかんないけど、いい匂いね」


 ヴィオレッタは血の止まった鼻をヒクヒクさせる。


「んふふ、美味しいですよ。自信作ですから。――さ、早く」


「はーい」


 リアナから着替えを受け取り、着替えるためにもう一度自室に戻っていく。

 ルティスは、また階段から落ちたりしないよな……と思いながら、その様子を階下から眺めていた。

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