第92話 守護者との戦い(2)

 一方、陛下を取り巻く護衛の魔法士たちは男の魔族――ザルドラスと対峙していた。


「陛下には指一本触れさせない!」


 リーダー格だろうか。

 残る4人の魔法士のなかでも、先頭に立っている若手の男は、握りしめたステッキをザルドラスに向けて言い放つ。

 あとの3人――中年の男ふたりと、最も若いと思われる女の魔法士は、その後ろで防御魔法を開きつつ、陛下を隠すように陣取る。


 ザルドラスはそんな魔法士たちを前にしても、特に構えもせずに棒立ちだ。

 しかし、狩りを楽しむ肉食動物のように、視線は鋭く前を向いている。


「くっくっく。そこの若い女はうまそうだ。……後は死ね」


 舌なめずりしながら、そのうちのひとりの女魔法士を見たあと、ゆっくりと一歩を踏み出した。


 同時に、魔法士たちに緊張が走る。

 高位の魔族相手であっても、この3重の結界を破ることは不可能だと自負していた。

 それでも、眼前の魔族の余裕に不安が芽生える。


 ザルドラスは結界の前まで近づくと、右手を前に突き出した。

 ――バチッ!


 電撃が走るような音が響き、その手が弾かれた。


(――心配ない。防げる!)


 それを見て、リーダー格の男が口元を緩める。

 この結界が突破できないのであれば、少なくとも負ける要素はない。

 あとは自分たちの聖魔法で仕留めれば良い、と。


 その考えを読んだのか、ザルドラスは「くくっ」と喉を鳴らした。

 そして、一度は弾かれた手をすっと天に向け、小さな声で呟く。


「――闇よ」


 瞬間、音もなくザルドラスの手を漆黒の闇が包み込んだ。

 あたかも、彼の手だけが小さな闇夜に覆われたように、ぽっかりと光を失ったに染まっていた。


(なんだ……⁉︎)


 ザルドラスは、そのままもう一度ゆっくりと結界に向けて手を下ろす。

 その闇が結界に触れようというとき、リーダー格の男は嫌な予感がして、慌てて詠唱を始めた。


「――聖なる波動よ、闇を払い、清めよッ!」


 ――ブオン!


 周囲の空気が震えるような音が耳に届く。

 その波動は目標に向かって集束し、相手を破壊する必殺の聖魔法――のはずだった。


「なにッ!」


 しかし、ザルドラスが伸ばしていた手に触れた瞬間、音もなく霧散した。

 いや、彼の手が纏う闇に飲み込まれて消えた、と言ったほうが近いだろうか。


 ザルドラスはそのことを気にも留めず、そのまま腕を突き出し、結界に触れた。

 先ほどは結界に弾かれた腕だったが、今度は違う。

 のように、ザルドラスの腕が触れたところから結界が消えていく。


「あああっ……!!」


 結界を構成していた魔法士たちが、恐怖の声を上げた。

 絶対に破られないと思っていた結界が、これほどあっさりと突破されたことが理解できず、未知のモノに対する恐怖心が渦巻く。

 「逃げたい」という本能と、陛下の前で「逃げるわけにはいかない」という使命との板挟みで、一瞬の迷いが生まれる。


 それまでゆっくりと歩いて近づいていたザルドラスは、突如動きを早めて、「あっ」と言う間に距離を詰める。

 そして、闇を纏っていない反対の腕を突き出すと、女の魔法士の首を掴んで力任せに持ち上げた。


「きゃあああああぁあっーー!!」


 恐怖の悲鳴を上げながらも、ザルドラスの腕を両手で掴んで必死に引き剥がそうとするが、びくともしない。


「くっく、良い声だ」


 下から女の恐怖の顔を見上げ満足そうな顔を見せる。


「フィオナを離せッ!」


 他の魔法士たちがザルドラスに向けて続けて魔法を放つが、闇を纏う手に吸い込まれるように吸収され、全く効果は見られない。


「もっと良い声を聞かせろ……」


 ザルドラスは自分が掴んでいる女――フィオナと呼ばれた――以外、全く興味がないかのように無視しながら、彼女をぶら下げたままその足首を反対の手で掴む。

 そして――。


 グシャッ!


「ヒギィィイイィ!!」


 軽く手に力を入れただけに見えたが、あたかも紙のコップを潰して捨てるように、彼女の足首を握り潰した。

 フィオナは今まで感じたこともない激痛に、ありったけの声を絞り出す。


「くっくく、たまらんな。……あとでじっくり味わって喰うとしよう」


 満足そうに頷いたザルドラスは、玩具を転がすようにフィオナを床に投げ捨てると、顔面を蒼白にさせた残りの魔法士に鋭い視線を向けた。


 ◆


 ――ガガッ!!


 ルティスが止めていた時間が動き出した瞬間。

 元々ルティスの張っていた防御魔法と、ミーナの振るった大剣がぶつかる激しい音が響く。

 しかしそれだけだった。


 大剣は防御壁に当たって弾かれ、カラカラと地面に転がる。


 その他に残るものは、眼前にうずくまる小さな人影――しわくちゃの老婆のような姿の――ミーナだったものだけだった。


「あ……あ……!」


 ミーナは何がどうなったのか、全くわからなかった。

 いや、彼女だけではなく、他の誰もが突然のことに呆気にとられていた。

 例外はリアナとアンナベルだけだ。そのふたりはルティスが持つ魔法について知っていて、完全には理解していないながらも、思い当たるところがあったからだ。


 残っていた魔力も失われて、自ら立ち上がることもできない。

 感覚もすでになく、わずかに残る視界も色を失っていた。


 ひとつだけ理解したことは、自分が負けたのだということ。

 それも、ほとんど何もできずに。

 何ひとつ主の命令を完遂できなかったことを悔やみながら、ミーナは目を覚悟を決めてゆっくりと目を閉じた。


 ◆


 フィオナを投げ捨てたあと、ザルドラスは別のところで戦っているはずのミーナの異変に気づく。


「……なんだ、今のは……?」


 まさか自分の部下がやられるはずがないと思いながら視線を向けた先、目に入ってきた光景に目を見開いた。

 それは、命の灯火が消え去ろうとしている、変わり果てたミーナの姿だった。

 纏っていたメイド服だけがそのままであることが、より異変を際立たせていた。


「ミーナ!」


 ザルドラスはそれまでの余裕たっぷりの表情を一変させ、急いで部下の元に飛ぶ。

 そして、倒れていたミーナを抱き抱えた。

 人間であればまだ若い女性にしか見えなかった彼女の顔は、いまは年老いたシワまみれの老婆のように見える。

 しかし、彼女であることは間違いない。


「何があった!?」


「……ザルドラスさま……。……もうしわけ……あり……ません」


 ミーナ自身が理解していないため、主の質問には答えられず、謝罪の言葉だけを必死に紡ぎ出す。

 だが、それがもう限界だった。

 ザルドラスの腕に抱かれたまま、ミーナは動かなくなる。


「…………馬鹿な」


 ここにいる魔法士の魔力など、たかが知れている。

 その中でも、強いて言えば国王を守る魔法士たちがマシなレベルだと判断していた。

 それですら自分が戦う必要などなく、ミーナひとりで全滅させられると考えていたのだ。


 ミーナを向かわせた相手は、それらの魔法士に比べても魔力量では劣っていた。

 それなのに、だ。

 ましてや、ミーナのこの姿は一体何だ、と思わざるを得ない。

 どんな攻撃を受けたとしても、いきなり別人のように老いるはずがないのだから。


「――我が敵を……」


 ――その瞬間、ザルドラスは詠唱の言葉を耳にして、咄嗟に空中へと飛び上がった。

 一瞬遅れて、もともと自分が居た場所を貫く光が目に入る。


 アンナベルがザルドラスに向けて放った魔法が空を切ったのだ。


「……オマエラ、許さんぞ。皆殺しだ……!」


 部下だったミーナの亡骸を抱えたまま、ザルドラスは憎悪の言葉を大広間に響かせた。

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