第90話 敵襲
予定では、本日の式典のなか、国王陛下が三度、広間に現れて歓談に加わることになっていた。
一度目は午前、二度目が昼。そして三度目が午後。大々的に挨拶をされるのが、二度目に顔を見せたときと聞いている。
多くの参加者は、その二度目の挨拶を終えた後に帰るのだろう。とはいえ、セドリックを除き、アリシアたちは警備のことを考えて、最後まで残るつもりで予定していた。
その一度目が、予定ではそろそろのはずだ。
「ん?」
広間の奥のほうからどよめきが聞こえてきて、ルティスは顔を上げた。
多少のざわめきはあるが、何かトラブルがあったという感じではない。
「陛下のお出ましでしょうね」
すぐ横に立つアリシアが、小さな声で耳打ちする。
リアナもハンバーグを頬張ったままコクコクと頷いた。
黙って様子を見ていると、5人ほどの護衛に囲まれた華美な衣装を纏った男性が周りに小さく手を振りながら歩いていた。顔を拝見したことはなかったが、恐らくその方が国王陛下なのだろう。
周りの参加者からは、口々に「おめでとうございます!」や「ご健勝何よりでございます」などとの言葉がかけられていて、陛下は都度足を止めて応えている。
そのうちに、自分たちの所までやってきた陛下は、セドリックの顔を見て口元を緩めた。
「おお、セドリックじゃないか。わざわざ遠くまですまんね。元気そうだな」
気さくに声をかけた陛下に、セドリックは頭を深く下げて挨拶を返す。
「ユリウス陛下、ご無沙汰しております。この度はおめでとうございます」
「ははっ、何を畏まってるんだ、お前らしくもない。どうだ? 明日暇ならちょっと酒に付き合え」
「このような場ですゆえ。……明日ですか、かしこまりました」
「うむ。詳しくは連絡させる。……ところで、見慣れない者たちだな? お前の娘か?」
陛下はセドリックの後ろに立っていたアリシアたちを見ながら聞いた。
セドリックが陛下と顔馴染みのような会話をしているのを、それまで唖然と見ていたのだが、急いで表情を整える。
「ええ、このふたりは娘のアリシアとリアナです。あと、こちらは娘の婚約者のルティスという者です」
紹介された3人は、陛下に向かって深く頭を下げた。
「そうか。明日連れてきてもいいぞ?」
「恐縮にございます」
「悪いが今日は時間がない。詳しくはまた話そう」
「ははっ」
笑いながら軽く手を挙げた陛下は、早々に次の挨拶に立ち去った。
ふう、と息を吐き出したアリシアは、セドリックに尋ねた。
「お父様、陛下のことを良くご存知なのですね?」
「ああ。……王都に留学してた頃にな」
頭を掻くセドリックに、アンナベルがジト目で補足する。
「……この人、相手が王太子って知らずに酒場で盛り上がって、朝まで飲み明かしたのです。ただの馬鹿です。護衛の身にもなってください」
「…………」
アリシアは何も言えずに黙った。
きっとアンナベルだけではなく、その場には陛下の側にも護衛はいたのだろう。
その気苦労は計り知れない。
「まぁ、そう言うなって」
「小言のひとつやふたつ、言いたくもなります。だいたいあなたは……」
ぶつぶつと文句を言うアンナベルだったが、全く聞こえないとばかりに、セドリックは耳を塞いで顔を背けた。
リアナはそんなやり取りを横目に、ルティスに話しかけた。
「……ルティスさん。陛下の護衛の方々の魔力、感じましたか?」
「ええ。みんな、かなりの魔法士に思えました」
「たぶん、聖魔法士だと思います。皆、魔力なら私たちより上ですね」
改めて陛下の立ち去った方を見る。
護衛の魔法士の年齢は、若い者から熟年の者まで幅広いが、いずれも相当な手練の魔法士であることは間違いない。
とはいえ、今は場をわきまえているのか、ティーナも魔力を抑えているようだが、その桁違いの魔力には到底及ばないのも間違いなかった。
――と。
(……なんだッ⁉︎)
ルティスはゾクッとした悪寒が身体を覆うのを感じた。
その瞬間――。
――ブシャァ!!
「――きゃあああッ!!」
突然、陛下の護衛のひとり――熟年の魔法士か――の胸から血が吹き出しながらゆっくり倒れていくのが目に入った。
同時に付近にいた参加者から叫び声が飛び交う。
吹き出した血は参加者にまで飛び散っているようで、白いドレスが赤く染まって呆然としている女性もいる。
「下がって!」
アンナベルがセドリックの肩を掴み、強引に自分の後ろに下がらせるのが目に入る。
ルティスも何があったのかはわからないにしても、只事ではないということはすぐに理解して、いつでも動けるように身構えた。
倒れた魔法士はピクリとも動かない。
誰の目にも手遅れなのは明らかで、他の護衛の者たちも助けることは諦めて、陛下を守るように陣取っている。
――ふいに、大広間に声が響く。
「くくくっ! 都合よく集まっているな。まずはひとりだ」
声の方に一斉に参加者の視線が向く。
そこには空中から陛下を見下ろすようにして留まる、ふたりの人影があった。
ひとりは青く長い髪の男。かなり大柄か。
そしてもうひとりは短い金髪の若い女性。メイド服を纏っていることから、男の従者だろうか。
しかし、その細腕に全く見合わない巨大な剣――しかも血がベッタリとついている――を軽々と手にしていることが異様に見えた。
「……魔族」
隣でリアナが呟く。
見れば、すでに隠し持っていたステッキを手にしていて、危険を感じているのだとわかる。
「ですね……」
周りを見ると、腰を抜かして動けない者、逃げ惑う者、様々だ。
しかし、魔族と思われるふたりは、それを気にする素振りもなく、陛下のほうを空中から見下ろしているだけだ。
「……な、なんの目的だ?」
蒼白な顔で陛下が声を絞り出す。
「ふ、悪いがそれには答えられぬ。皆殺しにするつもりはないが……抵抗するだけ無駄と思え」
「く……」
陛下の護衛の魔法士たちは、二重三重に防御壁を展開していた。
ルティスの目から見ても、それを突破するのは容易ではないと思えるほどだ。
「ミーナ、俺はこいつらをやる。お前は、アイツらだ」
「はい、ザルドラス様」
男――ザルドラスは、ルティスたちの方に視線を向け、大剣を持った女に命令した。
その冷たい視線は、心の中まで見透かしてくるように感じる。
「……俺に恥をかかせるなよ?」
ザルドラスは小さな声でそう呟いた。
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