第88話 リアナの説教

 ルティスがセドリックとの面会を終えて家に帰ると、ティーナが部屋から出てきて、食堂の椅子に座っていた。

 そして、その前に立つリアナは、ぞっとするような冷たい目でティーナを見下ろしていて――。


(げ。これはヤバいやつ……)


 悪いタイミングに帰ってきてしまったようで、ルティスは息をひそめる。

 リアナのこんな表情を見たのは何ヶ月ぶりだろうか。

 その矛先は自分には向かわないだろうが、それでも嫌な汗が流れる。


 蛇に睨まれた蛙のように俯いて黙っているティーナには、まるでいつもの元気はない。


 リアナもルティスが帰ってきたことに、もちろん気づいているだろう。

 しかし、視線はティーナから逸らさずに、冷たい声で尋ねる。


「……で、何か言うことはありませんか?」


「…………ゴメンナサイ」


「聞こえません」


「…………ゴメンナサイ」


「気持ちがこもってません」


「…………うぅ」


 リアナにすかさず否定されて、ティーナは肩を小さくすぼめた。

 リアナにとってもティーナは師匠に当たるのだろうが、これではどちらがどちらかわからない。


「……人として、やっていいことと悪いことがあります。長生きしてるのですから、当然わかりますよね?」


「……ハイ」


「わかっているのなら、何故あんなことをしたのですか?」


「……ゴメンナサイ」


「質問には適切に答えてください。あなたが今答えるべきなのは謝罪ではなく、何故か、ということです」


「…………」


 リアナの言葉を聞いていると、ルティスは自分まで責められているように聞こえてきた。


 よく見ると、彼女はしっかりと防御魔法を張っていることから、ティーナの魔法の予防をしているのだとわかる。

 それがティーナにもわかっているのか、時間を止めて逃げたりはしない。


「理由は……ないです。面白そうで、つい……」


「ほほう。あなたは自分の興味本位で、無理矢理人にお酒を飲ませると? ルティスさんのおかげで、あれだけで済んだのです。自分の子孫に怪我させた挙句、尻拭いしてもらうなんて、恥ずかしいとは思わないんですか?」


「……ゴメンナサイ」


「それはもういいです。あなた、他の言葉は喋れないんですか?」


「……ゴ……スミマセン」


「……はあぁ。もういいです」


 大きな大きなため息をついた、リアナの尋問にも近い責めにいたたまれなくなって、ルティスはそっとリアナに近づく。

 すると、リアナは振り返りもせずに言った。


「ほら、ティーナさん、ルティスさんにも何か言うことがあるんじゃないですか?」


「……ゴメンナサイ」


「気持ちがこもってません。せめて態度で示してください」


 ルティスに顔を向けてボソボソと謝罪の言葉を発したティーナに、容赦なく告げた。

 そんな彼女をなだめようと、ルティスが割り込んだ。


「まぁまぁ、落ち着いてください。ティーナさんも反省してそうですし……」


「……どこが、です? それに私は十分落ち着いていますよ?」


 ルティスの言葉に、リアナは彼にギロリと視線を向けた。


(――マジかよ!)


 まさか今ので矛先がこちらに向くなどとは、全く予想もしていなくて。

 ルティスはだらだらと冷や汗を流しながら言葉を詰まらせる。


「あっ! いえっ! ナンデモアリマセン」


「……まぁいいです。ルティスさんに免じて、このくらいにしておきます。今日は休みにしますから、大人しくしていてください」


 唐突に尋問を切り上げたリアナを見て、ティーナはホッとした顔を見せた。

 しかし――。


「顔に書いてますよ。『やっと終わった』って。……本当に反省してます?」


「……モ、モチロンデス」


「はぁ。もう部屋に戻ってください」


 これ幸いと、そそくさと自分の部屋に戻るティーナを目で見送って、ルティスはリアナを見た。


「……リアナ……さん?」


 呼び捨てにするのはあまりにも怖くて、つい以前のように丁寧に声をかけた。


 しばらく厳しい顔をしていたリアナだったが、一度ゆっくり目を閉じ、「ふー」と息を吐く。

 そのあと目を開けたときには、普段のように表情は緩んでいた。


「……お帰りなさい、ルティスさん。別に怒ってませんから、安心してください」


「そ、そうですか……?」


 とはいえ、なかなか安心できないルティスに、リアナは眉を顰めた。


「むぅ……。信用できないです……? なら……」


 そう言いながら、ルティスにぎゅっと抱きついて、彼の胸に顔を埋めた。


「んふふ、これならどーです?」


 その様子を見て、ようやくいつもの彼女だと理解でき、ほっとして詰まっていた息を吐いた。


「ふぅ……」


「……さっきのは怒っているです。私、滅多に怒りませんから」


「……フリ?」


「ええ、演技ですね。……ルティスさんにも負けないでしょう?」


 リアナの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。

 滅多に怒らないのが本当かどうかはよくわからなかったが。


「問題があったときは、不本意ですけど、心を鬼にして叱らないといけないのです」


「……なるほど」


「……ま、ルティスさんが浮気したりすれば、本気で怒ると思いますけどね。お嬢様は例外ですけど」


「…………」


 彼女が本気で怒るというのは想像できないが、これまでが本気でなかったのなら、少なくともそれ以上というわけだ。

 きっと骨折どころでは済まず、下手をすると……。


「まぁ、それはいいとして、今日はティーナさんがアレですから、練習はお休みです。……どうします?」


 リアナは上目遣いに、何か期待するような顔で見上げる。

 さてどうしたものかと思いながら、ルティスは思考を巡らせつつ――。


 ふと周囲に視線を向けると、厨房からライラが顔を真っ赤にして、こちらを見ているのが目に入る。

 彼女と目が合った瞬間、ライラは慌てて陰に隠れた。


「……そ、それじゃ、たまには王都を散歩しません?」


 急に恥ずかしくなったルティスは、リアナの耳元で提案した。


 ◆


「そーいえば、カレッジの往復以外にふたりで出かけるのは初めてですね」


「確かに……」


 ライラに断って外出したふたりは、王都の中心街に向かって歩いていた。

 リアナはルティスの左腕をしっかりと抱いて、ぴったりと寄り添っている。


「なにか目的とかあります?」


「いえ、特には……。何か珍しいものでもあれば……」


「はい。……式典のせいですかね? 人が多い気がしますね。警備も……」


 リアナが周囲を見渡しながら話す。

 街を歩く人も心なしか多い気がしたし、交差点には兵士が立っていたりして、問題ごとがないか監視しているようにも見えた。


「そうですね。……ん?」


 ルティスは人混みの中、ひとりの黒髪の少女に目が留まった。

 長い黒髪がサラサラと風に流れる様子が印象的で。しかしその少女は、すぐに人混みに紛れて見えなくなる。


「……どうしました?」


「あ、いえ。……なんかリアナに似た人がいたので」


「……む。早くも浮気ですか?」


 リアナが抱いているルティスの腕を掴む力を強めると、彼は慌てて弁明する。


「い、いや、そんなのじゃなくて! ……なんか不思議な雰囲気を感じたので。うまく言えませんけど……」


「うーん……。私には何も感じませんけど……」


 リアナは周りに集中してみたものの、異常な魔力などは感じられなかった。


「気のせいかもしれません。――さ、何か飲み物でも買いましょう」


「はいっ!」


 ルティスが提案すると、リアナは笑顔で頷いた。

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