第82話 夕食会 前編

 リアナはセドリックの泊まっている宿から一度帰り、まずはルティスの部屋に来ていた。


「……と、いうワケなんです」


 セドリックとの話をざっと説明して、夕食の件も伝えた。

 ルティスは毎日寝込んでいたが、それでもだいぶ慣れてきたのか、体調はそれほど悪くなさそうだ。

 リアナもそれはわかっていて、最初の頃よりは気を使わずに済む。


「わかりました。……なんか嬉しそうですね」


「……わ、わかります?」


「顔に思いっきり出てますから。リアナはわかりやすくて……」


「えへへ……」


 ルティスに指摘されて、リアナは両手で真っ赤に染まった頬を押さえてはにかむ。

 自分の手で触っても、顔が火照っているのがわかるくらいだ。

 以前は頑張って表情に出さないように努めていたけれど、今はそんなことをする必要もなくて。できるだけ彼の前では素直でありたいとさえ思っていた。


 リアナは照れ隠しのつもりで、ベッド上の彼の横に潜り込み、ピトッとくっつく。


「ふにゃー」


 彼の頬に顔を密着させると、体温の差か、少しひんやりと感じられた。

 それが気持ちよくて、スリスリと頬擦りする。


「……セドリック様が、私もルティスさんとのことも認めてくださったのです。それが本当に嬉しくて」


「そうなんですね……。良かった」


「はいっ!」


 こんなに嬉しそうな彼女を見るのは久しぶりだ。

 もちろん、ふたりでいる時に機嫌が悪い時などないが、それにしてもこうも全身からあふれ出るほどなのはあまり記憶にない。


 そんな彼女を背中から強く抱きしめると、振り返るように顔を向けて、目を細めた。


「ルティスさん……。今晩はお嬢様の日ですけど、まだ少し時間ありますし……良いですよね……?」


 時計を見ると確かに、アリシアの迎えに行くまで、まだ余裕はある。

 普段ならやめておくところだけれど、これほど嬉しそうな彼女の希望ならばと思った。


「……わかったよ」


 ルティスは頷き、うっとりとした顔で見つめてくるリアナに唇を重ねた。


 ◆


「それはまた急ねぇ……」


 ルティスと共にカレッジに迎えに来たリアナから説明を受けたアリシアは、呆れた様子で苦笑いを浮かべた。


「そ、そうですね……」


「ん……?」


 ふと、アリシアが無言でリアナの顔をじっと見つめる。

 リアナは一瞬たじろいだあと、何も答えずにそのまま直立していたが、じりじりとアリシアが距離を詰めると、額から玉のような汗が滲み始めた。


「な、な、なんですか……?」


「……なんかあやしい」


 アリシアはそのままリアナの間近まで寄ると、直立したままの彼女の服をくんくんと嗅ぐ。

 そして、にんまりとした笑みを浮かべた。


「抜け駆けの匂いがする……」


「にゃ、にゃんのことでしょう……?」


「何もない?」


「と、当然ですっ」


「……嘘ね。バ・レ・バ・レよ。――ね? ルティスさん?」


 アリシアはルティスに顔を向けて、にっこりと微笑む。


(……こ、怖い……)


 傍目には怒っているように見えないが、これは間違いなく後が怖いやつだと理解した。

 すかさず白旗を揚げて、場を収めようと思考を巡らせる。


「よ、夜にお話しましょう……」


「ふふっ、楽しみにしているわ。……そうだわ。今晩はリアナも呼びましょうよ。――ねっ?」


 そう言いながらくるっと向きを変え、家に戻ろうとするアリシアの後ろを、ふたりは急いで追いかけるしかなかった。


 ◆


「お久しぶりですわ、お父様」


 父セドリックの泊まっている宿に出向き、顔を合わせたアリシアは、ドレスを纏い優雅に礼をした。

 その様子を見ていたライラは、初めて見た彼女の一面に、小さく感嘆の声を上げる。

 これまではあまり令嬢らしさを見せず、気さくに話しかけてくれていたからだ。


 今回の夕食は、非公式ということもあり、ライラやティーナも参加が許されていた。

 むしろ、王都でどんな生活をしているのか、ワイワイと話して欲しい、というセドリックの希望でもある。


「久しぶりだね。元気そうで良かった。……アリシア、家族のようなこの面子だ。気にせず楽にしてもいいぞ?」


「はい、ありがとうございます」


 今回の宿は、王都の裕福な豪商の屋敷の離れ――と言いつつも、かなり大きな邸宅ではある――を間借りしたものだ。

 諸侯から人が集まるということもあって、通常の営業している宿では不足するため、王宮が根回しして徴用するという手段が取られていた。

 そのために専任のシェフが雇われており、今日の夕食もこの宿で準備されていた。


「それじゃ、行こうか」


「ええ」


 セドリックに案内されて、アリシアたちは邸宅の奥に進む。

 そこには広々としたホールがあり、大きな8人掛けの円卓が3つ置かれていた。

 とはいえ、ナプキンが並べられているのはそのひとつだけで、残りのテーブルには大皿に盛られた冷菜類が置かれていた。


 最も上座にはセドリックが座り、その両側にアリシアとアンナベル。

 そしてアリシアの隣にルティスが座ると、必然的にその横にはリアナが座ることになる。

 残りの席は3つだが、ティーナがアンナベルの横にすすっと座ると、アンナベルが苦い顔をするのが見えた。

 ライラは恐縮しながらも、リアナの横に小さくなって座っていた。


「堅苦しいのは苦手でね。気楽に楽しんでくれ。――始めてくれ」


 セドリックの音頭で、給仕が一斉にそれぞれの席に前菜から案内を始める。

 最初に少量を取り分けてから、追加で気に入ったものを運んできてもらう、というスタイルのようだ。


「お父様。初めての方に紹介を。この子、うちで働いて貰っているライラですわ」


 アリシアに促され、セドリックが頷く。

 この場でセドリックと初めて顔を合わせるのはライラだけであり、セドリックは彼女のほうに向かって柔和な顔を向けた。


「お嬢さん、初めまして。私はムーンバルトで侯爵位を預かっているセドリックという。アリシアは私の娘でね。よろしく頼むよ」


「は、はいっ!」


 返事をしながらライラは慌てて席を立つと、深く深く頭を下げた。


「ラ、ライラですっ! アリシア様に拾っていただいて、心から感謝しています!」


「ははは。可愛らしいお嬢さんだね。気にせず座ってくれていいよ。ほら……」


 セドリックが手で座るように促すと、ライラは恐る恐る席に着く。しかし、背筋はこれでもかというほどピンと張っていて、彼女の緊張が伝わってくる。


「あとは……そうだわ、ルティスさんは初めてでしょう? 先生と会うのは」


 アリシアがアンナベルとルティスを交互に見るが、ルティスは首を振った。


「いえ、これまで忘れていましたが、一度会ったことがあります。アリシアの屋敷で働く前に、面接でお会いした方ですよね?」


 アリシアとリアナとの面接もあったが、その前にもセドリックの屋敷で面接を受けたことを覚えていた。

 そのとき、このアンナベルと他に何人かの男性と、顔を合わせていた。そして、そのあとアリシアとの面接を推薦されたのだ。


「ええ、そうですわ。では改めて。私はアンナベルと申しますわ。リアナの母でもあります」


「ルティスです。よろしくお願いします」


 ルティスが座ったまま頭を下げる。


「よろしくね。……ところでリアナ?」


 唐突にアンナベルは正面に座るリアナに目を細めつつ顔を向けた。

 リアナが蛇に睨まれたカエルのように、ビクッと顔を引き攣らせるのがはっきりと分かる。


「は、はいっ! お母様……!」


「よもや、王都で羽を伸ばしてダラダラと過ごしているのでは無いですよね?」


「まっ、ま、ま、まさか……! そそそ、そんなコトは……っ!」


 リアナはだらだらと冷や汗を流しながら、両手を広げて必死に弁明する。

 その様子を見て、ティーナが笑いを我慢しながら必死に口を押さえているのが、ちょうどルティスの正面に見えた。


「はぁ……。あなた、昔から人目に隠れてサボってばかりだものね」


「きゅううぅ……」


 どんどん小さくなっていくリアナが可愛そうだが、ルティスにはどうすることもできない。

 しかし、助け舟は意外なところからやってきた。


「なーに偉そうに言ってるの。それベルちゃんだってまーったく一緒でしょ? 苛めちゃだめよ?」


「……ふぐぅ」


 それまで笑っていたはずのティーナにたしなめられ、アンナベルは頬を膨らませた。

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