第76話 時間魔法
翌朝――。
ルティスはいつもより少し早く目を覚ました。
「……んにゅぅ……」
自分の胸に頬を乗せたまま、リアナがもぞもぞと動く。
この動きで目が覚めたのかもしれないと思いながら眺めていると、半分開いた口元から、だらっと涎が垂れて、ルティスの寝衣に染みを作る。
寝ている彼女は当然気付いていないだろう。
苦笑いしながら、リアナの頭をそっと撫でた。
「……ふにゃ……?」
その感触でリアナも目が覚めたのか、うっすら目を開ける。
「おはよう」
「……おはよーございますぅ」
まだ寝ぼけ
もともと体半分は彼に乗せていたが、更に全身を預けるように乗っかり、頬を擦り付ける。
「んぅー、幸せですー。……ん?」
そのとき、あることに気付いて、彼の耳元で囁いた。
「……元気ですね。……起きるにはまだ早いですし、構わないですよね……?」
その返答を遮るように、リアナはまだ口元に涎の跡が残った唇で、彼の口をそっと塞いだ。
◆
朝食後、アリシアをカレッジに護衛してから、ルティスとリアナはティーナの指導を受けるため、すぐに家に帰った。
帰ると、待っていたティーナと、その暇つぶしの相手をさせられていたライラが、食堂で雑談をしているところだった。
ふたりの顔を見たライラは深々と頭を下げる。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
軽く手を上げてルティスが返しながら、ティーナにも軽く頭を下げた。
「あらあら、結構早かったわね。……それじゃ、早速やりましょうか」
ティーナは椅子から立ち上がると、大きく背中を反らせてストレッチをした。
「では、わたしは邪魔にならないように掃除でもしていますね」
ライラは気を利かせたのか、ひと言断って食堂を出て行く。
ティーナはライラに小さく手を振ってから、まずリアナに話しかけた。
「リアナさんは昨日言った通り読書タイムね。ただ読むだけじゃなくて、魔法のイメージをしっかりとね」
「わかりました。ざっと目は通したんですけど、この本には光と闇、両方が書かれてるじゃないですか。……書いた人はどちらも使えたんですか? 信じられないんですけれど……」
リアナは、昨日渡された本を手にして、疑問を投げかけた。
まだ詳しく読めている訳ではないが、本の中には表題通り、光と闇の魔法について詳しく書き記されているように見えた。
「そうね。その本の著者は本当にどちらも使えていたわ。……私なんか比べ物にならない、最高の魔法士だったわね」
「そうすると、私も……?」
ティーナの言う魔女がリアナの先祖なのだとしたら、同じように適性がある可能性もあると思えた。
しかし――。
「いえ、あなたにはたぶん闇魔法は使えないわ。私が知る限り、闇魔法が使えたのは魔女本人とその娘。ふたりだけだもの」
「そうなんですね……。わかりました」
となると、この本に書かれている光魔法のほうを重点的に読め、ということなのだと理解した。
椅子に座ってテーブルに本を開けるリアナを横目に、ティーナはルティスに声をかけた。
「さ、ルティスさんの番ね……」
その瞬間――。
ルティスは全身の毛が逆立つような感覚を覚えて、身体を強張らせた。
嫌な汗が吹き出し、額を濡らす。
声も出せずに呆然していると、ふっと空気が軽くなったように感じて、大きく息を吐いた。
「……な、なんですか。今の……」
ようやく落ちついたルティスが周りを見回す。
リアナはなんともない顔をしていたから、自分だけが感じたのだとわかる。
「んー、やっぱり耐性があるのね。あなたの時間だけ止めてみようとしたんだけど、弾かれちゃった」
「俺の時間だけ……?」
「そうよ。例えば……」
ティーナは説明しながら、ちらっとリアナの方に視線を向ける。
それと同時に、目が合って不思議そうな顔をしたリアナの動きが、そのままピタッと止まった。
「……こんな感じね。触ってみてもいいわよ?」
ティーナは、目を開けたまま全く微動だにしないリアナを指差す。
促されてルティスは彼女の頬をつついてみた。
「……すごい」
それしか言葉が出てこない。
つついた頬は石のように硬く、いつもの柔らかさは全くない。そして体温すら伝わってこなかった。
「完全に固定してるからねー。彫刻みたいな感じかなぁ……」
自信満々で言うティーナを横目に、なんとなくリアナの頬を撫でていると、唐突に弾力が戻り、慌てて手を引いた。
「――ふにゃっ⁉︎」
リアナにとっては、突然ルティスが現れて、しかも自分の顔を触っているように感じただろう。
びっくりして声を上げたリアナを見て、ティーナが笑う。
「あっははは!」
「なっ、なに――」
リアナが目を細めて声を上げかけた瞬間、また動きがピタッと止まる。
「にっひっひっ。どーよ? 面白いでしょお?」
ティーナはドヤ顔で胸を張った。
「凄い……ですけど……」
後で絶対にリアナは怒るだろうなぁと思いながら、ルティスは苦笑いを浮かべた。
「でも、悪戯に使っちゃ駄目よ?」
そう言いながらティーナが指をパチっと鳴らす。
「――をしてるんですかっ!!」
「あーっはっはっ!」
突然動き出したリアナを見て、ティーナはお腹を抱えて更に笑う。
「んっふふふ。ルティスさんに魔法見せるのにちょうど良かっただけ。ごめんなさいねぇ……うひひひっ」
笑いながら弁明するティーナだが、全く謝っているようには聞こえない。
その態度を見て、リアナはこれでもか、というほど頬を膨らませた。
「ふぐうぅー!!」
「……でね、リアナさん。ちょっと防御魔法を張ってみて」
「――え? あっ、はい」
急に真顔になったティーナに戸惑いつつも、リアナは言われた通りに一瞬で防御壁を展開する。
その早さと正確さはまさに天才的だ。
「んむー、やっぱ早いわね。ま、それはそれとして……。むー」
ティーナは目を細めてリアナのほうに意識を集中させる。
しかし、リアナの防御壁がうっすら青白く光るだけで、何も起こらなかった。
「……こんな感じ。この程度の防御魔法にですら、簡単に防がれちゃうのよね。ルティスさんみたいに元々耐性があればなかなか効かないし、下手に使えないのよね。……これ大事なことだから、しっかり覚えておいてね」
「はい、わかりました」
ルティスに説明しながらティーナは「ふぅ」と息を吐く。
「これは周りの時間を止めた時も同じ。防御してる人の時間は止まらないの」
「え? でも、これまでティーナさんが使ったとき、俺も止まってましたよね?」
「ルティスさんくらいの耐性なら、私が本気出せば止められるわ。効きにくいってだけね」
「なるほど……」
なんとなく理解した。
どちらかというと、圧倒的に奇襲に効果的な魔法だとわかる。そして効く相手ならば一方的に勝てるが、効かない場合は何もできない。
「それじゃ、これから体で覚えてもらうから。……覚悟してね」
◆
「……だ、駄目だ。これは……」
それから、ティーナの魔力が尽きるまで、何度か止まった時間の中を味わった。
しかし、思っていたのとは違い、視界がぐにゃぐにゃになるような感覚を味わい、ルティスは我慢できずに最後はテーブルに突っ伏した。
「……大丈夫……?」
隣でリアナが心配そうな顔をしながら背中を撫でてくれるのが嬉しいが、気分の悪さは取れない。
「……これが平気になる頃には、自分でできるようになるんだって……」
ティーナはルティスにそう伝えたあと、さっさと寝室に行ってしまった。魔力を回復させるためだろう。
彼女の説明では、魔法の構成が理解できれば、パズルがはまった時のように突然平気になるらしい。
ただ……。
「……す、すみません。お手洗い行ってきます……」
込み上げてくるものを我慢できずに、ルティスは口を押さえ、慌ててトイレに走った。
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