第75話 レクチャー
「……それじゃ、今日は説明だけね。私は先にルティスさんに教えていくから、あなたはまずこの本を読んでおいて」
夕方、カレッジから帰ったあと、ふたりはすでに起きていたティーナから家の食堂で説明を受けていた。
朝のリアナとのやり取りなど忘れたかのように、ティーナは何も気にしていないような態度だった。
「これは……?」
リアナは渡された古い本を手に、不思議そうな顔をした。
裏返してみると、書いた人だろうか。「紫の魔女」と書かれていた。
「あなたのご先祖様が書いた本よ。……開いてみて」
「はい」
表紙を開くと、古代文字――あまり読みやすい字ではなく――で「光と闇の魔法」という見出しがつけられていた。
「ええと……」
「アンナベルから預かってきたの。まずはそれ全部読んで覚えなさいね。一応、写本は作ってあるけど、それが原本だから大事にしてね」
「は、はい……」
闇の魔法はリアナにも聞いたことがある。
魔族が使うとも言われていたし、実際に学園祭の時にもテオドールに扮した魔族が、闇魔法と思われる魔法を使ったのを自分の目で見ている。
しかし、それに対比する魔法が聖魔法だとばかり思っていたのだが、この見出しを見る限りでは、別に光魔法があるというようにも読み取れた。
とはいえ、中を読み進めないと詳しいことはわからない。
リアナは椅子に腰掛けて、じっくりと本に目を落とした。
◆
「さ、次はルティスさんの番ね。時間魔法はねぇ、正直説明するのが難しいから、体で覚えて欲しいのよね」
ルティスに向き合ったティーナは、軽い調子でそう言った。
その言葉に、過去にリアナから受け続けた魔法の練習を思い出して、言葉を詰まらせる。
「ま、まさか……。バンバン魔法をぶつけて……って感じじゃないですよね……?」
「ふふふ、そのまさか、よ。当たれば命に関わるよーな魔法受けたら、本能で防ごうとするから……ね」
「…………!」
ニヤリと口角を上げたティーナを見て、ルティスは絶句する。
あれでも手加減していたリアナとは違い、ティーナの話の通りならば、直撃すると危険なほどの魔法をぶつける気なのだと。
確かに、過去に二度発動した時は、いずれも本当に危険な時だったことを考えると、あながち見当違い、とは思えなかった。
しかし、それは失敗すると死を意味することは間違いなく、顔を青ざめる。
ルティスの様子を見ていたティーナは、突然ぷっと吹き出した。
「…………なーんてね、嘘よ嘘。まぁ、私はそれで覚えたんだけど、今はもっと簡単な方法があるのよね」
別の方法があることを聞き、ルティスは安堵して、大きく息を吐き出した。
「よ、よかったです。……それで別の方法っていうのは?」
「まずは時間が止まる感覚を覚えましょう。私があなたと私を残して止めるから、魔力の感じを覚えてね。……そんなに何度もはできないから、たぶん日数がかなりかかると思うけど、その中で動く感覚さえ覚えたら簡単だから。……たぶん」
「わ、わかりました」
「ルティスさんは何回か自分で止めたことがあるって聞いてるから、もしかしたらすぐできるようになるかも? ま、やってみましょーか。……でも明日からね」
「はい、よろしくお願いします」
話の通りであれば、そこまで大変な内容でもなさそうだ。
そのことにほっとしつつも、薄ら浮かべたティーナの不気味な笑みをなんとなく怖く思った。
◆◆◆
「失礼します……」
その夜、寝衣姿のリアナが音を立てずにルティスの部屋に現れた。
もちろん自分の枕を抱いて。
待ちきれない、という想いが溢れ出ているかのようなリアナの表情を見ると、ルティスも顔が緩む。
「リアナ、おいで」
「はいっ」
名前を呼ぶと、とたとたとベッド脇に来て、するっとシーツに潜り込む。
そして、すぐにぴたりと身体を寄せた。
「えへへ、来ましたっ!」
「はい、よしよし……」
ルティスは片手でリアナの肩を抱き寄せつつも、もう片方の手で頭を少し強めに撫でると、「ん……」と嬉しそうに喉を鳴らした。
頭を撫でられるのが大好きなリアナに対しては、いつも最初はこうしていた。
しばらくして満足したのか、リアナはぐいっと顔を寄せて唇を重ねてきた。
しーんとした部屋だということもあり、ふたりの息遣いとキスの音だけが耳に返ってくる。
唇を離したあとも、間近で彼の顔を見つめながら小さな声で囁く。
「ふにゅぅ……。ルティスさんには、私をたっぷりたっぷり可愛がる責任がありますからね? 安心してぐっすり寝られるよーにしてください……」
「……なんかいつもより積極的じゃないです?」
ルティスがからかうと、リアナは顔を真っ赤に染めながら、ぽつりと呟く。
「……きゅぅ。……ティーナさんがルティスさんを誘惑するから。……なんとなく怖くて」
「あはは、大丈夫ですって。ティーナさんは遊んでるだけで、そんなつもり無いと思いますよ」
「……でも。――んぅ」
まだ不安そうな顔を見せていたリアナに、今度はルティスがキスで口を塞ぐ。
優しく頭を撫でながら舌を交わすと、すぐに恍惚とした表情に変わっていく。
「ふにゃぁ……。キス……好きです……」
リアナのうっとりとした顔を見ていると、本当に愛しく思える。
さらさらとした黒髪もずっと触っていたくて、梳くように指を通しながら後頭部に手を這わせ、リアナを抱き寄せた。
「……リアナが好きなのは、キスだけじゃなくて、他にもいっぱいありますよね?」
息がかかるほどの耳元で囁くと、リアナは頬をぷくーっと膨らませて、恨めしそうな顔でルティスの顔を睨む。
「……いじわるです」
「あはは。リアナが可愛いから、意地悪したくなるんです。……駄目ですか?」
「きゅうぅ……。ダメじゃないです……」
もう一度しっかり抱き合ったまま、ルティスの顔に頬を擦り付ける。まるで猫が自分の匂いをマーキングしようとしているように。
自分のものだと主張するかのようなリアナに、ルティスはぽつりと呟く。
「……でも、絶対に泣かせたりしませんから、安心してください」
「はい。……
「ええ、お約束します」
しっかりと頷くルティスの返答にリアナは満足そうに頷き、自分の寝衣のボタンに指をかけた。
「それで……私、毎日可愛がってくれないと、すぐ泣いちゃいますからね?」
そう呟きながら、にんまりと口元を緩めた。
◆
いつものようにルティスにしっかりと抱きつき、うとうとと瞼が落ちそうになっていた頃、リアナは耳元でぽつりと呟く。
「……私、ずっとお嬢様の保険だと思って生きてきたんですけど……。もしかしたら他に、もっと別の役割があるのかも、って最近思うんです」
「リアナ……?」
「なんとなく、ですけど。……なんか、お母様の手のひらで踊らされているような気もして」
「まさか……」
正直、ルティスとしてはその辺りは偶然だと思っていた。
もしくは、リアナに本当のことを言わないでおくことで、無用な負担を避けたかったのかもしれないと。
ルティスは優しく問いかける。
「……もし、リアナがそれを知っていたら、どうなってたでしょうか」
リアナは目を閉じたまま、しばらく無言で考えたあと、ゆっくりと口を開く。
「……魔族との戦いでは少し楽になったかもしれませんけど、それだけですね。……私の役目は変わらないでしょうし……」
「……魔族……か」
リアナの話を聞いて、なんとなく引っかかるものがあった。
昨晩、アリシアと話をしたときにも思ったが、なぜ彼女が魔族に狙われているのかもわかっていない。
それを護るのがリアナの役目だったはずだ。
もちろん、魔族が襲ってくることまでアンナベルが想定していたかはわからないが、もし想定していたとしたら……?
(……いや、想定していたなら、学園祭のときのように、あれほど危険な橋を渡るはずがないか)
あのときは本当にギリギリだったのだ。
リアナは魔力を使い果たしていたから、アリシアがいなければやられていただろう。
いずれにしても、今わかっていることだけでは何も判断できない。
「ま、今できることを頑張るしかないか……」
そう呟きながらリアナの顔を見ると、すでに彼女は「すー……すー……」と寝息を立てていた。
幸せそうな顔で。
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