第9章 修行
第72話 籠の鳥
遠征から帰ってきて1周間が経ち、疲れも取れて日常が戻ってきていた。
まだティーナが王都に来ていないこともあって、その日もそれまで通りカレッジの文書館に通い、研究室から戻ったアリシアと合流して家に戻ってきたところだ。
「今晩の晩御飯は種鶏の煮込みです」
別れてそれぞれの部屋へと戻る前に、リアナが嬉しそうに晩御飯のメニューを伝えた。
彼女は好物のハンバーグ以外にも、基本的に肉料理は好きだった。
「へー、種鶏なんて久しぶり。楽しみね、あれ美味しいわよね」
アリシアが言うと、聞き慣れない言葉に、ルティスが尋ねた。
「種鶏ってなんですか?」
「鶏のなかでも柔らかい若鶏じゃなくて、もっと成長した鶏なんです。少し硬いからしっかり煮込まないといけませんけど、旨味がよく出て美味しいんですよぉ」
料理に時間がかかるということなら、朝から準備していたのだろう。
食べるのが楽しみだという雰囲気が全身から湧き出しているリアナを見ていると、微笑ましく思えてくる。
そういえば、カレッジでも機嫌が良さそうだった気がしたのは、これが理由だったのかと納得した。
「はい。楽しみにしてますね」
ルティスが言うと、リアナはとことこと目の前までやってきて、頭を向けた。
これは「撫でろ」ということだとすぐに理解したルティスは、ぽんと頭に手を置いてから、柔らかく手を滑らせる。
「んふふ、お任せくださいー」
リアナは顔をほころばせて嬉しそうに目尻を下げた。
「むー」
それを見せつけられたアリシアは口を尖らせつつも、リアナを押しのけるようにルティスの前に立った。
そして、不満そうに眉を顰めたリアナの顔をちらっと見たあと、ぎゅっとルティスに抱きつく。
「ぎゅー」
どうしたものかと思いつつも、彼女の背中に腕を回してポンポンと叩くと、アリシアはルティスの腕の中で彼の顔を見上げた。
ゆっくりと背伸びして、顔を近づけようと――。
「――えいっ」
「わわっ!」
その瞬間、アリシアのキスを阻止しようとしたのか、リアナが横から体当たりすると、アリシアはバランスを崩して倒れそうになり、ルティスから手を離して少し離れた。
「何するのよっ」
「それはこっちの台詞ですー。なにこんなところで堂々とキスしようとしてるんですかっ」
「家の中だからいいでしょー」
「良くないです。そういうのは部屋の中でどうぞ」
目を細めてリアナが諭すと、アリシアは開き直ったかのように言った。
「むー、わかったわよ。……どうせ今日は私の番だし、あとでたっぷりするもんね」
「ふぐうぅ……」
夜の順番のことを思い出したリアナは、勝ち誇るアリシアに向かい、頬を大きく膨らませた。
もちろん交代なので、どちらが得というわけでもないのだが、なんとなく負けた気になる。
「それじゃ、ルティスさん。夜はたっぷり可愛がってくださいね」
わざとリアナに聞かせるようにそう言ったアリシアに、リアナは更に口をへの字に結ぶ。
(なんか危険な香りが……)
しかし、その様子がルティスには怖くて、なだめようとリアナを手招きした。
ルティスは表情を緩めて彼の前に来たリアナと同時にアリシアを抱き寄せて、ふたりの耳元で囁く。
「喧嘩は駄目ですよ。仲良くしてくれないと、俺ひとりで寝ますから」
すると、しばらくふたりとも無言だったが、やがて声を揃えて頷いた。
「「はい……」」
◆
その夜、ルティスはアリシアの寝室に来ていた。
別にどちらの部屋でもいいのだが、アリシアの番のときは彼女の部屋に行き、リアナのときはルティスの部屋に彼女が来る、というのがなんとなく流れで決まっていた。
アリシアのベッドで並んで座ったまま、彼女は口を開いた。
「……細かいことはいいんだけど、結局ルティスさんの魔法って、魔族との戦いで役に立ちそう?」
それまで聞くのを控えていたが、やはりここに来ている目的に合っているのかどうかは気になっていて、それだけでも聞きたかった。
ルティスはそれに対して小さく頷く。
「はい。俺がどこまでできるかわからないですけど、かならず役に立てると思います。あと……」
「……あと?」
「実は、リアナには聖魔法じゃない何か別の力があるみたいです。それが何かは、俺たちも教えてくれませんでしたが……」
どこまで話すかルティスは考えながら、ここまでなら構わないだろうと思って、アリシアに伝えた。
「更に別の力? ……リアナって、ホント凄い子ねぇ。もう呆れるわ……」
それはアリシアに偽らざる本音だった。
もともと、勉学も魔法もリアナのほうが上なのだ。
それに加えて、侯爵の血を引いていて、もし自分がいなければ令嬢として務まる立場でもある。
更には、自分のアドバンテージだった聖魔法も自分以上に扱える上に、まだ隠された力があると……。
羨ましいを通り越して、自分に勝ち目があるわけがないと呆れるほどだ。
「あはは、そうですね」
「……そこまでくると、なんか私って道化師みたい。なんで私が狙われるのかしら……?」
アリシアは自嘲する。
聖魔法を持つが故に自分が魔族に狙われているのはわかるが、自分よりよほど魔族に対抗できる人が周りに何人もいるのだ。
その上でただ踊らされているように思えてならなかった。
しかし、目を伏せるアリシアをそっと抱き寄せて、ルティスは呟く。
「どうしてなのかはわかりませんが……。でも、俺たちはアリシアを護るためにいるんです。それって、力とか立場とかそんなのが理由じゃなくて。笑顔で自由に過ごして欲しいからなんです。……少なくとも俺はそうですし、きっとリアナも同じだと思いますよ」
「ルティスさん……」
そう言ってくれることが嬉しくて、アリシアは彼の首にそっと手を這わせる。
初めて彼を見たとき、自分を羽ばたかせてくれるのではと夢に見たことが、こうして現実になろうとしていて。
「……ありがとう。大好き」
素直に気持ちを伝えたあと、身を寄せてしっかりと口付けを交わした。
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