第8章 魔女
第59話 幕開け
【幕間】
無限に続くかのような長く薄暗い石造りの廊下を、両側に整然と立てられたランプの明かりが仄かに照らしていた。
廊下の幅は広く、ちょっとした広間くらいはあるだろうか。
奥に目を凝らしてみても、先に何があるのかは定かではない。
その廊下の真ん中を、コツコツと足音を立てながら真っ直ぐに歩く人影がひとり。
暗くて顔立ちは分からないが、背格好は平均的な男性よりは高い。
どこまで続くのかと思える廊下を無言で歩き続けると、遠くにそれまでとは違う、ぼんやりとした明かりが見えてきた。
なおも進むと、その奥にあったのはひとつの玉座。
その大きな玉座は二段高い位置に据え付けられていて、そこに優雅に片肘をつき、足を組んで座している人影――まだ若い少女のような風貌の――がいた。
「……わたくしになんの用? ザルドラス」
座っていた少女は侮蔑するような口調で、歩いてきた相手を見下ろした。
「ふ……。あんたに伝えたいことがあってね、ヴィオレッタ」
ザルドラスと呼ばれた人影は、長い髪をした中性的な顔立ちだ。
その顔だけでは性別がわからないが、男性のような低い口調で、玉座に座るヴィオレッタに鋭い視線を向けた。
その視線を忌々しく思いながら、ヴィオレッタは肘掛けから細い腕を上げると、長い黒髪を手で整えながら足を組み直した。
「よほど嬉しいことでもあったの? ……お前の使い魔はあっさり返り討ちにされたというのに」
「……!」
ヴィオレッタの言葉に、ザルドラスは一瞬顔色を変えたが、すぐに表情を戻した。
(ちっ、なんで知ってるんだ、こいつは……。伊達に守護者随一と呼ばれていないか……)
「……ふん。雑魚は雑魚だったというだけだ。次はそうならんさ」
「だと良いけれど。……で、なんの用? そんなことを言いに来たわけではないと思うけど?」
ヴィオレッタはさほど興味を持っていないような顔で、もったいぶるザルドラスに改めて聞いた。
「……宣言しにきた。俺は魔王様の封印を解いてみせる。……もしそれが叶ったら、俺を守護者の筆頭と認めてもらおう」
「そんなこと? ……別に構わないわ。できるものなら、ね」
「その言葉、確かに聞いたぞ? ……俺の話はそれだけだ」
つまらなさそうなヴィオレッタの言葉に、ザルドラスは言質を取ったとばかりに口元を歪ませて、くるりと身体を翻す。
ヴィオレッタはもう一度片肘を肘掛けに置きながら、その様子を眺めていた。
「……そう。せいぜい頑張りなさい」
ザルドラスは、背中に掛けられた言葉には何も答えずに歩き始める。
そして、長い長い廊下をまた足音を立てて去っていった。
完全に足音も気配もなくなった頃、ヴィオレッタはポツリと呟いた。
「……馬鹿な奴。何も気づいていないのね」
――守護者。
それは、1000年以上昔に封印された魔王を護るという名目で、現最高位の魔族7人によって構成されていた。
かつてヴィオレッタが創り上げたものだ。
魔王が封印されたあと、完全にバラバラになり好き勝手に動いていた魔族をまとめるために。
それ以降、愉悦のために人間を殺めることを禁じ、ある程度の秩序を保ってきた。
その守護者のひとりに、ザルドラスが加わったのは5百年ほど前のことだ。
人間の魔法士によって相次いで滅ぼされた守護者の空席を埋めるために、力のあるものから選ばれたのだ。
ヴィオレッタはその時のことを未だに覚えている。
その時も、人間を侮った守護者のひとりが、あっさりと返り討ちにあったのだから。
とはいえ、ザルドラスの行為が無駄なことだとは分かっているが、わざわざ忠告してあげる義理もない。
ただ暇つぶしくらいにはなるかもしれないし、もしかしたら……。
そう思って、ヴィオレッタはゆっくりと目を閉じた。
――自らの時を止めるかのように。
◆◆◆
その頃王都では――。
「遠征ですか?」
夕食を食べているとき、アリシアの話を聞いたルティスが聞き返した。
「ええ。まだ1週間くらい先のつもりだけど。ちょっと遠くの村まで情報収集に行くって話があるの」
「遠くって、どのくらいですか?」
「馬車で5日くらいだから、距離はそんなに離れてないんだけどね。……ただ、かなり山の中みたいなのよ。だから結構大変そう」
アリシアはあまり乗り気ではなさそうな顔で説明した。
「山……ですか」
「ムルランって地域なんだけど、みんな知らないわよね?」
「あ……」
アリシアは誰も知らないだろうと軽く問いかけただけだったが、ライラが驚いたように小さな声を上げた。
「あら、ライラは知ってるの?」
「は、はい……。実は……わたしが育ったのは、そのムルランの山の麓の村なんです……」
「へぇ……。そうなのね……」
ライラの出身地について、細かいことはこれまで聞いていなかった。
それは以前に村が襲われたことを聞いていたこともあり、あまり思い出させるような話題に触れないようにしていたからだ。
しばらく黙って考えていたライラは、アリシアに提案した。
「……もしよろしければ、わたしが道案内します。ムルランの付近は、だいたい知っていますから」
「え、良いの? それは助かるわ。現地で案内人を雇わないとって思ってたから……」
「はい。少しでもわたしが力になれるなら、精一杯頑張ります」
「よろしくね。……あと、みんなもそういうことだから、しばらく王都を離れるつもりで準備しておいてね」
アリシアの呼びかけに、全員が頷く。そのあと、リアナが確認の声を上げた。
「ところで、他の同行者はいるんですか?」
「ええ、今のところはフェリック君が同行する予定よ。先生は長期間カレッジを空けられないし、あともうひとりのフェデリコさんはちょうど帰省の時期で。ただ、この機会を逃すと雨季になっちゃうから……」
「はぁ、
リアナはあまり嬉しそうな顔を見せず、少しがっかりした様子だった。
しかし、アリシアはからかうような口調で言った。
「でもフェリック君、あれからリアナのこと気にかけてるわよ? どんな練習積んだのかとか、聞かれたもの」
「……だから嫌なんです。私、人と話すの好きじゃないので」
「ふふっ、別に馴れ合う必要はないわよ。でも一応、彼はエドワードさんの息子なんだから、あんまり冷たくはしないでね」
「……嫌です。フェリックさんのお相手はお嬢様にお任せします。私は面倒なので『魔女』らしく、黙ってますから」
リアナはそう言いながらも、最後に大事に残しておいたハンバーグのひと欠片を口に運ぶと、満足そうに目を細めた。
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