第55話 カレッジへ

「私はアリシア・デ・サン・ムーンバルトと申します。よろしくお願いしますわ」


 数日後、カレッジの研究室に顔を出したアリシアは、教授のほか、同じ研究室の研究生の前で挨拶をしていた。


 この場には、ルティスとリアナはいない。

 あくまで留学しているのはアリシアひとりで、残りのふたりは護衛としての立場だ。

 よって、カレッジへの往復と、一部の場所――例えば文書館や食堂など――への立ち入りは許可されているが、研究室入るのはアリシアひとりだ。


 残るふたりは、文書館で空間魔法などの調査をしているはずだ。

 そして、ライラは洋館にひとり残して、洗濯や掃除などの家事を頼んである。


「ようこそ、レイヴェンド研究室へ。エドワード君から話は聞いているよ。私がレイヴェンド。そして、こっちが研究生のフェデリコ君だ」


 髪が薄くなった壮年の教授が挨拶を返しながら、近くにいるフェデリコを紹介する。

 フェデリコは20代半ばくらいの青年で、ブラウンの短髪の爽やかな風貌だ。


「初めまして、アリシアさん。フェデリコ・ヴァン・オーガスタスです」


「こちらこそはじめまして。オーガスタス子爵とは何度かお会いしたことがありますわ。こちらに留学されていたのですね」


「ええ。あと数年で領地に戻りますが、王都は幸い近くですから……」


 アリシアはフェデリコと握手を交わす。

 ここ王都に来る途中にオーガスタス子爵の領地を抜けてきていたが、フェデリコは名前の通り、オーガスタス子爵の息子だ。


「あともうひとり研究生がいるんだが、今日はまだ来てないな。そのうち来るだろうから、またあとで紹介するよ。――さて」


 レイヴェンドは椅子に座りながら、手でふたりにも座るように促す。

 それに応じて座ったあと、レイヴェンドは話を変えた。


「もう聞いているだろうが、この研究室では魔法薬の研究をしているんだ。今取り組んでいるのは、大幅に魔力を回復させることができないか、というものだ。他にも毒を消す魔法を飲み薬に込めたりとかね」


「はい、エドワードさんから聞いておりますわ」


 アリシアは頷きながら、答えた。

 時間がなかったこともあり、アリシアの留学では自分の希望よりも、空きのある研究室を当ててもらった経緯がある。

 しかし、研究テーマとしては面白いものだとは思っていた。

 なにしろ、前回の魔族との戦いでは、リアナは魔力が一発で無くなるほどの魔法を使ったのだ。


 一発の魔法で出せる威力と、その本人が持つ魔力の総量は必ずしも比例しない。

 リアナやルティスは、一般の魔法士よりも多くの魔力を持っているが、それでも強力な魔法を使うとすぐに無くなってしまう。

 特にリアナは常人とは比較にならない威力の魔法を使えることから、それがより顕著だった。


 そのときに、すぐに回復できる魔法薬があるならば、弱点を補うことができると考えていた。

 だから、空間魔法の調査はふたりに任せて、アリシアはこの魔法薬の研究に専念することにしていた。

 何よりも、彼女自身は攻撃魔法がそれほど得意ではなく、むしろ治癒魔法などのサポートに向いていると思っていたから。


 レイヴェンドは話を続ける。


「魔法薬の研究は、素材の確保がおもな作業だ。王都から離れて、色んな魔法石や魔力を貯めた植物などを集めてきて調合するんだ。だから、調合も手伝ってもらうけれど、材料集めに出かけてもらうこともこれから出てくると思う。

 これまではこのフェデリコ君ともうひとりの研究生に頼んでたんだが、アリシア君が来てくれて効率も良くなるだろう。……頼んだよ」


「はい。わかりました。……そのときに、私の護衛の同行は構いませんわよね?」


「もちろんだ。流石にアリシア君ひとりで行かせる訳にはいかないからね。……何かあったら私の首が飛ぶよ、ははは」


 レイヴェンドはそう笑った。

 カレッジの教授とはいえ、近隣の貴族の子息を預かっている身だ。

 もしアリシアの身に何かあれば、即座に彼への処罰が行われるだろう。


「ご安心ください。私の護衛はとても優秀ですから……」


 リアナとルティスを思い浮かべながら、アリシアは力強く頷いた。

 とはいえ、今ふたりで仲良くしているだろうことを思えば、なんとなくリアナが羨ましくも思えた。


 ◆


 その頃。


「ルティスさん、とりあえず今日はその棚からいきましょうか」


「はい。1冊ずつ読んで確認ですね」


 人もまばらにしかいない、静かな文書館に来ていたふたりは、まずは空間魔法について記載された魔法書が無いかを順番に確認していくことにしていた。


 魔法書は手書きのものが多く、また目次が無いことも多々ある。

 よって、読みにくい古代文字を追いかけながら、1冊1冊内容を確認していかなければならない。

 しかも必ずしもその内容が正しいとも限らないのだ。


 ここカレッジの文書館には膨大な魔法書が収められているから、それを全部確認していくのはそれだけで時間がかかる作業だ。

 もちろん、アリシアには研究の合間に、教授達から空間魔法のことについて聞いてもらうことにはしていた。

 しかし、今ふたりにできることは、こうして文献の調査くらいしかない。


「そーいえば、そろそろ古代文字読めるようになりましたか?」


「ええ、難しいのはまだ無理ですけど、何が書かれているかくらいは……」


 それを聞いてリアナは口元を緩めた。

 留学話をしたあと、調査のためには古代文字の勉強は必須だと、きつく言っておいたからだ。


「おおぉ、少しは成長してるんですね。まだかかるかと思ってましたけど……。褒めてあげます」


 そう言いながら、リアナは背伸びをしてルティスの頭をヨシヨシと撫でて、笑顔を見せた。


「えへへ、それじゃ手分けして読み進めていきましょう。わからないものがあったら言ってくださいね」


「はい。わかりました」


 ルティスは何冊かの本を手にして、机の上に本を並べると、ふたり並んで座って順番にそれを読んでいく。

 多くの本は、名を残した魔法士の自伝や歴史が書かれているものだが、その中にもしかしたら魔法士が出会った空間魔法士のことが書かれているかもしれない。

 もしそういった記述があるならば、その地域に伝承が残っている可能性もある。


 あまりに情報が少ないことから、少しでも漏らさないように調べていこうと考えていた。


 しかし――。


「……いつ終わりますかね? この本の量……」


 ふとルティスは壁一面に備えられた本棚を見上げる。

 1冊読むのにもかなりの時間がかかることを思えば、この本をすべてチェックし終わるのに、何年かかるだろうかと不安になる。


「さぁ……。でも見つかれば終わりですから。……それに、私はルティスさんとこうしていられるなら、いくら掛かっても良いですよ」


 目を細め、頬を染めたリアナが嬉しそうにしているのが可愛くて、気づくとつい彼女の頭を撫でていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る