第53話 魔女

 部屋に入ってきたフェリックは、中にいたアリシア達にはあまり興味を持っていないのか、小さく頭を下げただけで何も言わなかった。

 それを見たエドワードは苦笑いしつつ、彼に声をかけた。


「フェリック。この方が今度カレッジに入ることになったアリシア君だ。少し前に話したろ?」


 するとフェリックはそれを覚えていたのか、改めてアリシアに顔を向けた。


「……はじめまして。フェリックです」


「アリシアよ。よろしくね」


 しかし、それだけの挨拶でフェリックは顔を逸して、エドワードに話しかけた。


「面会中に邪魔をしました。今日はこの資料を届けに来ただけですから、もう帰ります」


「ああ、すまないな」


「では、失礼します」


 手に持っていた書類の束をエドワードに渡すと、フェリックは皆に小さく会釈だけして、早々に部屋を出ていく。

 その後ろ姿を見送ってから、エドワードは口を開いた。


「すまないね。あいつは人見知りが酷いんだよ。気を悪くしたら申し訳ない」


「いえ、ご心配ありませんわ」


「それで、話を最初に聞いたときから気になっていたんだけど。今回こんな中途半端な時期に、急に王都に来ることになったのには何か理由があるのかい? ただ勉強するためだけではないんじゃないかって思ってね」


 エドワードは改めてアリシアに尋ねた。

 アリシアが留学の話を書き記してエドワードに送った書状には、ルティスとの婚約の話や、今回の人選なども記載していた。

 しかし、それを読んだエドワードとしてみれば、婚約しただけの理由では、学年の節目の時期ではない今のタイミングに、急に留学を決めるには不自然に思えた。


 アリシアは少し考えてから、ゆっくりと答える。


「……それに答える前に……。エドワードさんは魔族に会ったことはありますか?」


 アリシアから逆に問われたエドワードは、意外な言葉に驚きつつも首を振った。


「いや……。見たことはないよ。基本、奴らは人間に干渉してくることはないからね」


「そうですよね。……実は、私たちはこれまで2度、魔族に会いました」


「――!」


 エドワードは一瞬驚いたような顔を見せたあと、すぐに眉を顰めた。

 魔族に出会うということは、王都でもほとんど聞いたことがない。

 その理由はいくつかあるのだが、最たる理由は「魔族に出会って生きて帰った」という人間が限りなく少ないからだ。


 それを2度も会っているという時点で、普通ではないということが分かる。

 しかし、アリシアが嘘を言うなどはあり得ないだろう。


「……その2回とも、聖魔法を使えるを明確に狙ってきました。なんとか滅ぼすことができましたが、恐らく次もあるのではと考えました」


「なるほど……。それで王都へ、ですか。ここなら強力な魔法士も多いし、魔族といえども大っぴらには行動できないと読んだのですね?」


「ええ、その通りですわ」


 アリシアの話に納得がいったのか、エドワードは表情を緩めた。

 王都に来た目的のもうひとつ、空間魔法についての調査というのは、まだ伏せておくことにした。


「……しかし、聖魔法を使える者は他にいないわけじゃない。……魔族の目的は何だ……? いや、そもそも食事以外で人前に顔を出すとは……」


 エドワードは顎ヒゲを触りながら、ブツブツと考え込む。

 その様子をしばらく見ながら、アリシアは頃合いを見計らって声を掛けた。


「エドワードさん。魔族の話は内密にお願いしますわ。混乱させてもいけませんので……」


「あ、ああ……。そうさせてもらうよ。……王都では少しでも気楽に過ごせることを祈っているよ」


「はい、ありがとうございます。……それでは、今日はお仕事中でしょうし、私たちは退席させていただきますわ。落ち着いた頃、ゆっくりと話をしましょう」


「悪いね、大した歓迎もできなくて」


「いえ、事前の連絡もなく押しかけてしまい、申し訳ありませんでした。それでは失礼します」


 アリシアが席を立つと、残りの3人も続いて立ち上がる。

 そして、ドアを開けてくれたエドワードに会釈をして、部屋を後にした。


 ◆


 エドワードとの面会の後は、膨大な敷地の王宮内を少し散歩し、屋敷に戻ることにした。


「ライラ、疲れてない?」


 帰路の途中、あまり話さずに黙っていたライラにアリシアが声をかける。

 立場上のことで気を使っていただけなのかもしれないが、アリシアにはあまり彼女の元気がないように見えたのだ。


「あっ……いえ、大丈夫です……」


「あんまり大丈夫そうに見えないから聞いたの。まだ体調は万全じゃないでしょ? 辛かったら言っていいのよ」


 心配そうな顔をしたアリシアに、ライラは恐縮して頭を下げた。


「ありがとうございます。体調はもう大丈夫です。……ただ――」


「……ただ?」


「……先ほど、魔族って話されていたのが気になって……」


 彼女のような一般の人でも、魔族について聞いたことがないということはないだろう。

 しかし、人間を快楽のために殺して食べる悪魔――のような、ただ恐怖の存在のように認識されているだけだ。

 きっとライラにとってもそうなのだろうと、アリシアは思った。


「ごめんなさいね。でも、王都にいればそんなに心配ないと思うわ。私もここに来ることは周りにも言ってないしね」


「いえ、そうではなくて。……実は、わたしも一度見たことがあるんです。小さい頃に……」


「え……! 本当に……?」


「はい。まだ6つくらいの頃です。村で姉と遊んでいるときに、見慣れない若い女性の方が来て。そのとき、話しかけた姉が――」


 そのときのことを思い出しながら、ライラは顔を伏せる。

 彼女の様子を見て、ライラの姉がどうなったのかは、聞かなくてもわかった。


「そう……。ライラは何度も辛い経験をしているのね……。あまり聞くのも申し訳ないけど、その魔族はどうなったの?」


「……いえ。もう昔のことですから。その魔族は、次はわたしを……ってきたんですけど、近くに住んでいた魔法士の方がたまたま村に来ていて……助けてくれました」


「へぇ……。すごい魔法士の人がいたのね」


 その話を聞く限り、魔法士がひとりで魔族を倒したのだろうか。

 例え下位の魔族であっても、人の姿で現れた魔族は、並の魔法士では太刀打ちできないほどの強さがある。

 偶然にも魔族の天敵である聖魔法士だったのか、それとも……。


「はい。村が無くなってしまったので今は分かりませんが、ひとりで森の中に住んでいた若い女性の方です。ときどき、村に編み物を持ってきて、食材と交換して帰るんです。……わたしは魔法が使えないので詳しく分かりませんが、周りからは『森の魔女』って呼ばれていました。でも、別に怖い方じゃなくて、優しい人でしたよ」


「森の魔女……ね」


 その二つ名を聞いて、アリシアは苦笑いする。

 そして、同じく複雑そうな顔をしていたリアナをちらっと見た。


「実はリアナも、地元じゃ『氷結の魔女』とか呼ばれてるのよね。今のリアナからしたら意外かもしれないけど」


「氷結……ですか。とてもそんな風には見えませんけど……」


 リアナの顔を見ながらライラが呟いた。

 アリシアの代わりに、「ふぅ」とため息をつきながらリアナが説明する。


「ええとですね。それは私が氷魔法が好きで、よく使うってことと――」


 そう言いながら、リアナは突然すっと表情を消して、氷のような冷たい目でライラを見た。

 その視線に、ライラは一瞬背筋がぞっとするものを感じた。

 かつて、魔族が自分をただの食料としか見ていないような目を思い出させられて、どっと汗が吹き出すような感覚を覚える。


「……いつもこんな顔をしてたからですよ。……たぶん」


 そして、リアナは表情を緩めて、舌をペロッと出した。

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