第50話 その夜
昼は買い出しついでに近くの店で済ませたが、夜はリアナがパスタを作った。
その横でライラがサラダとスープを作る。
スープの味付けはリアナが少し調整したりしつつも、ライラは少しでも覚えようと細かくメモを付けていた。
「読み書きもできるんですね」
「はい、両親に教わりました」
「そうですか。それはよかったです。読み書きできるなら、置き手紙をすることもできますから」
話すことはできても、平民の中には文字の読み書きができない者もまだ多くいる。
そういう意味では、奴隷として売られたとはいえ、ライラはある程度の教養を持っているということだ。
仕事を教える際にも、資料やメモを残すことができるのは大きなメリットだ。
「さ、食べましょうか」
「はいっ!」
食堂で待っていたアリシアとルティスの前に、料理が並べられる。
そしてリアナとライラも席に着くと、アリシアの「いただきます」の声で一斉にフォークを手に取った。
しばらく無言で食べていたが、ふいにアリシアが口を開いた。
「明日はどうしようかしら?」
「そうですねぇ……。まだ王都もよくわからないですし、少し街を散策してみるのはどうでしょう?」
リアナの提案に、ルティスが反応する。
「王都ってすごく広いですよね。入り口からここまで、馬車でもだいぶかかりましたから……」
「そうね。歩きじゃ端から端まで行くのはとても無理よね。幸い、カレッジは中心部に近いから、この辺り……王宮も見に行ってみる?」
「王宮……ですか。どんな感じなんでしょうね」
「私は一度行ったことあるけど、そりゃ広いわよ? 城だけでムーンバルトの街くらい……とまでは言わないけど、その半分くらいあってもおかしくないもの」
アリシアは手を広げて説明する。
その広さは想像がつかないが、とりあえず広いということはわかった。
「それじゃ、明日はみんなで行ってみましょうか」
◆
その夜――。
カチャ、という小さな音がしんとした屋敷に響く。
できるだけ音を立てないように、そっと部屋から顔を出したのはリアナだ。
真っ暗な廊下を、足音を立てないようにそーっと歩く。
普段から足音を立てないように歩く癖を付けていたから、そのあたりは余裕なのだが、どうしても木製の古い板張りの廊下は、僅かな軋み音を立ててしまう。
それを忌々しく思いながらも、あと少しでルティスの部屋に着く……と思ったとき。
バタン、と別の部屋の扉が開いて、リアナは「――ひゃっ!」と小さな悲鳴が喉から飛び出た。
音を立てたのが誰か、予想はしていたが、恐る恐る音のしたほうに顔を向けた。
暗闇に、真っ白い寝衣がぼんやりと見える。
「……お嬢様……」
「あら、リアナじゃない。お手洗いはそこじゃないわよ?」
人影に声をかけると、すぐに軽い調子で返事が返ってくる。
とりあえず幽霊ではないようだ。
「そ、それは分かっています。……お嬢様こそ、こんな夜中にどうしたんですか?」
「え、えっと……。何か音が聞こえたから、ど、泥棒でも入ったのかなーって……」
「住み始めたばかりの何もない屋敷に泥棒なんて来ませんよ。――ささ、安心してお休みくださいませ」
しかし、アリシアはリアナの目の前まで歩いてきて、腰に手を当てた。
そしてじっと目を合わせると、リアナは目を逸らす。
さっきまでは暗くてはっきりと分からなかったが、リアナはしっかりと自分の枕を胸に抱いていた。
「枕持って夜這い……ね。今日は疲れたから、みんな別で……って話だったと思うのだけど?」
「…………こ、これは……散歩するのに持ってなくと寂しくて……!」
自分でも苦しい弁明だと思いながら、リアナは枕をぎゅっと抱きしめた。
とはいえ、あのアリシアにそんな言い訳が通じるはずもない。
「ふーん。素直に言ったら許してあげようと思ったのにねー。私に嘘つくんだ、リアナって……」
「きゅうぅ……」
白々しくそう話すアリシアに、リアナは言葉を詰まらせる。
その頭の中では、ぐるぐると必死に考えを巡らせていた。
(どうしようどうしよう……!? ここは素直に撤退? それとも強行突破? でもお嬢様もついてきそう……。でも、ひとりで寝るのは寂しいし……。うううぅ……)
しかし、顔を伏せ、もじもじするリアナの様子を見ていたアリシアは、ふいに「ふぅ……」とため息をついた。
「……良いわ。今日は可愛いリアナに譲ってあげる。……でも、次からはコッソリは無しよ? ちゃんと順番決めてからにしましょ」
「は、はい……! 申し訳ありません……」
予想外にあっさりと引いたアリシアに驚きつつも、リアナはペコリと頭を下げる。
そして、彼女が部屋に戻るのを見届けたあと、リアナは深呼吸してから扉をノックした。
◆
「し、失礼します……」
ルティスの部屋に入ると、実はライラが先客として来ていた――などということはなく、大きめのベッドのヘッドボードにもたれて体を起こしていたルティスと目が合う。
部屋は小さなランプがゆらゆらとした明かりを灯していた。
「……外の話、聞こえてました……よね?」
「全部は聞こえませんけど、何か話してるなーっていうのは聞こえてましたよ」
「そ、そうですよね……。ごめんなさい……」
苦笑いするルティスに恐縮しながらも、リアナは後ろ手にそっとドアを閉めた。
普段の堂々とした姿とは別人のような態度に、時折どちらが本当の彼女なのかわからなくなる。
だが、今の姿の方が本質に近いことをもう知っている。
リアナはゆっくりとルティスのベッド脇まで歩くと「……い、良いですよね?」と、ひと言断りを入れた。
ルティスは答えなかったが、少し脇に身体をずらして、リアナが入れるように場所を空ける。
それを肯定と捉えて、リアナは自分の枕を置くと、そっとシーツに身体を滑り込ませた。
「うにゅう……。暖かいです……」
呟きながら、ルティスに擦り寄る。
ふたりは身体を起こしたまま、彼の胸に背中を預けるように密着させた。
「……ようやくルティスさんを独り占めできます……。私、すっごく我慢してたんですよ……?」
肩越しに振り返ると、ルティスの顔を下から覗き込んだ。
「それはここ数日のこと? それとも、俺が屋敷に来てからの……?」
「両方です……。でも、この数日は特に。……知らなかったら何でもなかったことなのに……」
薄暗がりのなか、目を細めて嬉しそうな笑顔を見せる彼女の髪にそっと手を這わせた。
「……駄目でしたか?」
「きゅうぅ……。ダメじゃないです。……でも、私がこうなったの、ルティスさんのせいですよ……? ちゃんと責任とってくださいよぅ。……じゃないと、私拗ねちゃいますよ……?」
頬を染めて照れながら、ゆっくりと顎を突き出すリアナに、返事の代わりに唇を合わせる。
「んぅ……」
同時に彼の両腕にしっかりと抱きしめられて、リアナは恍惚とした表情を見せた。
ルティスがゆっくりと唇を離すと、すぐにリアナはぐるっと身体を回して、自分から彼に抱きつく。
体重をかけてルティスをヘッドボードに押し付けた。
「……もっと……」
もう一度彼の口を塞ぐようにしっかりと唇を重ねて、頭が真っ白になるようなキスをただひたすらに味わう。
同時に、彼の手が髪を撫でてくれることも気持ちよくて……。
そして――。
「今日はたっぷり可愛がってください……。またしばらく我慢できるように……」
少し拗ねたような表情で、リアナは上目遣いで彼の顔を見上げた。
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