第47話 闖入者
今晩の宿はひと部屋が狭く、全員が別々の部屋を取ることにした。
貴重な荷物は部屋に持ち込んでいたが、ルティスは部屋着に着替えようとしたとき、持って来るはずのバッグを間違えたことに気づく。
部屋着を入れていたバッグを馬車に置いてきてしまったようで、取りに行くことにした。
馬車の鍵を借りるため、アリシアの部屋に行き、ドアをノックしてから声をかけた。
「あの、馬車に荷物取りに行きたいんですけど、構いませんか?」
「ルティスさん? ええ、良いわよ。鍵持って行くわね」
ドアの外で待っていると、すぐにアリシアがガチャリとドアを開けて出てくる。
「すみません。部屋に持ってくる鞄を間違えてしまって」
「いいわよ。どうせ暇だし、私も一緒に行くわ」
「わかりました」
宿の部屋は2階で、ふたりで階段を降りて入口に向かう。
馬車は宿の横の広場に置いてあり、馬は近くの厩舎に預けてあった。
外に出ると周囲はもう暗くなっていて、少し冷え込みを感じた。
「ちょっと寒いわね」
「すぐ済みますから、すみません」
「ふふっ、そんなの気にしなくて良いって。――灯りを」
アリシアは片手を掲げて、魔法で周囲を照らす。
真っ暗では何も探せないからだ。
そして、アリシアが馬車の荷室の鍵を開け、すぐにルティスが荷物を取ろうと扉を開けて頭を突っ込んだ。
――そのとき。
ドンッ!
「な、なんだッ⁉︎」
突然、中からルティスは突き飛ばされ、馬車の外で待っていたアリシアにぶつかった。
鍵がかかっていたはずの馬車の中に、何者かが潜んでいたのだ。
その人影は、ルティスを突き飛ばした勢いのまま、馬車から飛び出すと、路地の方に走って行く。
「――ま、待ちなさいっ!」
慌ててアリシアが声をかける。
中の荷物に手をつけられている可能性を考えてのことだ。
もちろん立ち止まるはずもない人影を、ルティスが走って追いかける。
「待てっ!」
ルティスが逃げる背中に声をかけた直後。
その人影――小柄な少女のような――は、ふらっとバランスを崩して、受け身も取れず、前のめりに倒れ込んだ。
そこにルティスが追いつき、アリシアもほどなくその場に合流する。
ふたりは起き上がることができない少女を見下ろした。
その少女が身に付けているのは、みすぼらしい汚れた平服で、赤みがかった髪はボサボサだ。
手には何も持っていないから、何かを盗られたりはしていないようだ。
ただ倒れただけにしては、息も荒く、明らかに様子のおかしい少女を見て、アリシアに聞く。
「……アリシアさん。具合悪そうですけど、どうします?」
「んー、どうするって……」
アリシアも困った顔をしながら、少女のそばにしゃがみ込んだ。
「……ねぇ、あなた大丈夫? 話できる?」
「あ……。あ……」
少し顔を上げた少女は、明らかに怯えた表情をしていた。顔もやつれて、血色が悪い。
「別に取って食べたりしないわよ。……もしかして、ずっと馬車に乗ってたの? あなた……」
その可能性は先ほどから考えていた。
馬車の荷室の鍵は外からしか開け閉めできないし、王都に入ってからずっと、馬車を離れてはいない。
となると、これまでの旅の途中で、どこかで忍び込んでずっと乗っていた可能性だ。
そして、少女の身なりからすると――。
「……奴隷」
アリシアがその言葉を呟くと同時に、少女の顔色がはっきりと変わるのがわかった。
「……やっぱりね。――ルティスさん」
「はい、どうしましょう?」
「とりあえずリアナ呼んできて。あと水と、なにか羽織るものを」
「はい。……アリシアさんひとりで大丈夫ですか?」
「私を誰だと思ってるの。早く」
「は、はいっ!」
アリシアに促されて、ルティスは急いでリアナを呼びに走った。
残されたアリシアは、少女に声をかける。
「……少しくらい話はできるかしら? 私はあなたに何かしたりはしないわ。それは安心して良いわよ」
「…………」
息がだいぶ落ち着いた少女は、無言でその場にゆっくりと座り直す。しかし、まだ顔は伏せたままだ。
転けた時に怪我をしたのだろうか。肘から赤い血が滲んでいるのが目に入った。
「……癒やせ」
それを見たアリシアは、さっと手をかざしてひと言呟く。
すると、流れた血は無くなることはないものの、傷は跡形もなく消え去った。
「……!」
「そのくらい簡単よ。ほら、立てる?」
はっとした少女に手を差し伸べると、恐る恐るその手を取った。
しかし、立ち上がろうとしようとも、足元がふらついて、うまく立てなかった。
「よくそれで走ろうなんて思ったわね?」
アリシアは苦笑いしながら、少女の脇に手を差し入れて支える。
少女は困惑しながら震える口を開いた。
「……ふく……よごれます……」
「あら、私の服を心配してくれてるの? 大丈夫よ。このくらい」
普段着とはいえ、アリシアが着ている服は立派な生地が使われていて、かなり高価なものだということが傍目にもわかる。
一方、少女の服はボロボロで、汚れも酷い。
明らかに釣り合いの取れていないふたりの格好だ。
「――お嬢様!」
ちょうどそのとき、ルティスに呼ばれたリアナが走ってきた。
「リアナ、水をあげて」
「はい。……飲めますか?」
リアナがそっと水筒を渡すと、少女はそれを恐る恐る受け取った。そして、口をつけると、よほど喉が渇いていたのか、一気にゴクゴクと飲み始める。
「ずっと荷室にいたんだもの。喉も乾くわよね」
飲み終わったのか「ぷはっ」と息を吐いた少女は、少し間を空けて「ゲフゥ」と大きなげっぷを吐いた。
恥ずかしかったのか、すぐに顔が真っ赤に染まるのがわかった。
「ふふっ。……リアナ、それを」
アリシアに促されて、上着のようなものを少女の背中に掛けた。
「とりあえず、部屋で話を聞くわ。行くわよ」
「…………は、はい……」
少女はまだ不安そうな顔をしていたが、水をもらって少し落ち着いたのか、素直にアリシアに従った。
宿の受付にひと言断りを入れたあと、アリシアに肩を預けたまま、少女はアリシアの部屋に入る。
明るいところで見ると、髪もボサボサで痩せこけているが、それなりにはっきりとした顔立ちをしているようだ。
歳はリアナより更に少し幼いくらいだろうか。
アリシアはベッドサイドに座り、少女には近くに置かれた椅子に座ってもらった。
「……お腹空いてるんじゃない? なにか食べる?」
聞くと、お腹を押さえてこくりと小さく頷いた。
不安そうな顔をしているが、空腹には変えられないのだろう。
「じゃ、リアナ。お腹に優しいもの、なにか頼んできて」
「承知しました」
頷いたリアナが一度部屋を出ていき、宿の主人に頼んだのか、しばらくして部屋に戻ってきた。
「すぐに持ってきてくれます」
「ありがとう。……さ、それじゃ悪いけど、少し話を聞かせてほしいの。さっきから聞いてて分かってると思うけど、私はアリシア。――アリシア・デ・サン・ムーンバルト」
アリシアが本名を名乗ると、少女にはその名前に聞き覚えがあったのか、はっと顔を上げてアリシアの顔を見た。
「聞いたことくらいはあるかもね。こう見えて、ムーンバルト侯爵の娘なの、私。……で、こっちがルティスさん。私の婚約者」
「よ、よろしく」
ルティスが照れながら頭を下げると、少女も小さく礼をする。
「で、最後。この子はリアナよ。……
アリシアはそう言いながら、「表向きは」と心の中で付け加える。
紹介されたリアナは、無言でペコリと頭を下げた。
「……あなたの名前を聞いても良い?」
アリシアに促されて、少女は戸惑いながらも口を開いた。
「……あの……ライラって呼ばれています。今は家名がありません……」
家名がないということが何を指すかすぐに分かる。
数百年も昔ならともかくとして、今や平民でも家名があるのが普通だ。
それがないということは、つまり奴隷や人攫いに遭った者、ということだ。
「ありがとう、ライラ。私の予想を言うわね? ……たぶん、昨日泊まったボーヴィレの街から乗ってきたのかしら。街から逃げて、どこか別の街へ行こうとして」
「…………はい」
アリシアの問いに、ライラは目を伏せて頷いた。
そして、すぐに続けた。
「……わたし、もとの街に連れ戻されるのですよね……?」
その質問に、アリシアは少し考えてから答えた。
「ライラがそうして欲しいのなら。……それはゆっくり考えましょうか。食事も届いたようだし」
アリシアが扉を振り返ると、ちょうどノック音が響く。
「どうぞ」の声に扉が開くと、宿の従業員が皿にサンドイッチとミルクを持っていた。
それを受け取ってライラの前の小さなテーブルに置く。
「さ、食べていいわよ。私たちには気を使わなくていいから」
アリシアに促されて、ライラはゴクリと喉を鳴らすと、卵がたっぷり挟まれたサンドイッチに手を伸ばした。
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