第45話 冗談です。
「来られるなら、ひと言仰っていただければ、ご準備させていただきましたのに」
宿のロビーに来たフィリップは、アリシアの顔を見るなり、深々と礼をした。
あまり目立たぬように、というアリシアの話が伝わっていたのか、フィリップは護衛と思われる若い魔法士をひとり連れているだけだった。
「いえ、今回はただ一晩宿をお借りするだけですから、わざわざ来ていただくほどのこともないかと思いまして」
「そうでしたか。……今回はどちらに?」
「それは伏せております。フィリップ殿もご存知だと思いますが、先日もムーンバルトで魔族に襲われまして、しばらく身を隠そうと思っています」
アリシアはフィリップにそこまで伝えた。
基本的には行動について隠すつもりだったが、アンブロジオ鉱山でフィリップと共に魔族に襲われたこともあり、ある程度の情報は伝えたほうが彼には信頼されるだろうという考えからだ。
「なるほど……。承知いたしました。では、せめて今晩の食事だけでも、私に準備させてください。――お二方も、お久しぶりです。先日はお世話になりました」
フィリップはルティスとリアナに向かい合って、改めて頭を下げた。
それに応じて頭を下げると、アリシアが伝えた。
「……このルティスさんは、先日、私の婚約者になりましたの。ご承知おきください」
「ほぅ……。それはそれは。ご婚約おめでとうございます。前回もアリシア殿が気にかけておられましたからね。納得しました。――ルティス殿、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
フィリップから差し出された手を、ルティスはしっかりと握って握手を交わす。
「詳しいことはまた後ほど。この宿からできるだけ近い場所で食事の準備をいたします。また呼びに参りますので、それまで部屋でおくつろぎください」
「ありがとうございます」
フィリップが去ったあと、アリシアの「じゃ、ゆっくりしましょ」の声で、部屋に戻ることにした。
◆
「……ふにゅー」
部屋に帰るなり、リアナが気の抜けた声を発して、ベッドにバフッとうつ伏せに倒れ込んだ。
このだらしない姿を見ていると、まさかあの氷結の魔女だと思う者はいないだろうと思えるほどだ。
「……最近のリアナ、ちょっと緩すぎない?」
「お仕事はちゃんとしますし。お部屋の中では許されるのですー」
アリシアの苦言にも、ぐでーっとなったままだ。
「まぁいいケド。……確かに普段から自室じゃ、そんな感じだったもんね」
「そ、そうなんですか……?」
ルティスが聞くと、アリシアは頷く。
「ええ。前からこんなものよ。みんなリアナを怖がりすぎなのよね。……こーんな可愛いのに」
そう言いながら、アリシアはうつ伏せになったリアナの背中にそっと指を這わせる。
「――ひゃぅっ! お、お嬢様! ダメですっ」
ビクッとしたリアナが慌てて体を起こそうとするが、アリシアは構わず彼女の腰の上にドスンと乗っかった。
「ふぎゃっ! お、おもっ――」
リアナはバタバタと必死にもがくが、体勢が悪いということもあって、全く抜け出せるような気配がない。
この3人のなかでは魔法だと圧倒的だが、見た目相応に非力な彼女は、物理的手段が弱点ともいえる。
もちろん、本気で抵抗する場合は魔法が飛ぶのだろうが……。
「ふふっ、隙を見せるからよ。――ルティスさん、どうせしばらく暇だから、ね」
「ダ、ダメですっ! ルティスさん、お嬢様と結託すると怒りますよっ!」
更に両手首を背中側からアリシアに掴まれて、足だけをバタバタさせながらルティスを牽制する。
「えー? ルティスさんは私の味方よねぇ?」
そう言いながら、アリシアはルティスの方を向いて笑顔を見せた。
ここでアリシアと一緒になれば、後でリアナに何をされるか正直わからない。
最近のリアナは、以前ほど手厳しくは無いものの、それでも過去に随分厳しくされたことは身体が覚えていたから。
かといって、リアナを助けてアリシアを引き剥がすようなことも……悩ましくて。
(俺、どーすりゃいいんだよ……!)
結局、動けずにいたら、ふたりから同時に声が飛ぶ。
「ルティスさん! 早くお嬢様をどかしてくださいッ!」
「ルティスさん! なにぼーっとしてるんですか!」
「ええっ!?」
慌ててなんとかしようと、仕方なく――折衷案という名の、
――ぐにゅっ。
ルティスは同時にふたりの脇腹をぐりっとくすぐってみたのだ。
片方だけだと後で怖かったというのが理由だったのだが……。
「――きゃっ!!」
「――ひにゃーッ!!」
驚いたふたりは同時に叫び声を上げながら、アリシアはリアナの上で仰け反る。
リアナも一瞬、ビクッと身体を反らしたあと、しかし拘束が緩んだ隙に、スルッとアリシアの下から抜け出すことに成功した。
そして――。
ゆらりと立ち上がったリアナは、何故かルティスの方を睨む。
「――ふっふふふふ……。ルティスさん、やってくれましたね……?」
「ひっどい! リアナやっちゃえ!」
脇腹を抱えたアリシアも、何故かルティスを指さして怒っていた。
(なんでだよぉ……ッ!)
自分の選択が間違いだったことを確信したときには、リアナの放った氷魔法で、足をガッチリと床に固定されていて。
身動きが取れないルティスに、真顔のリアナがジリジリと近づく。
「んふふ。……ルティスさんには少し躾が必要なようですね」
「ちょ、ちょっとやめっ! リアナっ!」
阻止しようと両手をバタつかせるが、「邪魔な手ですね……」と呟いたリアナに、ガチッと氷の
足と手が固定されているため、スクワットをしているような体勢で身動きが取れなくなってしまう。
「すみません! 俺が悪かったって!」
ギリギリまで近づいてきたリアナに必死で謝るが、真顔の彼女は、ほんの少し目を細めただけだった。
「……目を閉じなさい」
そして、リアナの命令でルティスが目を閉じたとき――。
――チュッ。
生暖かい感触が唇に伝わってきて、驚いて目を開ける。
すると、近すぎてぼやけて見えないほどの距離にリアナの顔があって。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、アリシアの「あああー!!」という叫び声で、リアナにキスをされたのだということに気づく。
「……冗談です。私のお願い、聞いてくれないと……次は、わかりますよね?」
間近で少し頬を染めて、ペロッと舌を見せてリアナが笑う。
そのあと、彼女がさっと手をかざすと、ルティスを拘束していた氷はジュワッと音を立てて、あっという間に溶けてなくなった。
「…………し、死ぬかと思った……」
力の抜けたルティスは、心境を吐き出しながら、その場にへなへなと倒れ込んだ。
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