第40話 留学

「ええっと……?」


 理事長室に呼ばれるということは、『やっぱり優勝は無かったことに』などと言われたりするのではないかと思ったルティスは、怖くなってアリシアの顔色を窺う。

 とはいえ、今のアリシアは本心を見透かせるような表情ではなく。


 先にノックをして理事長室へと入ったアリシアに続いて、ルティスも部屋に入った。


「……あれ? 誰もいない……」


 しかし理事長室には誰もいなかった。

 リアナが最後に入室し、パタン、と扉が閉められる。


「ふふっ、なにそんなに緊張してるの。……一緒にお昼を食べようと思って。ルティスさん、いつもは食堂でしょ?」


「……え? あ、はい。そうですけど」


「私たちはいつもここで食べてるの。ルティスさんのぶんも準備しておいたわ」


 アリシアはそう言いながら、理事長室に置かれた応接セットを手で指し示した。

 そこには、すでに3人ぶんの食事が並べられていた。


 ほっとしたルティスは胸を撫で下ろす。


「……そうだったんですね。全然知りませんでした」


「私たちが食堂行くと目立つから。どうせここ空き部屋だもん。お父様は滅多に来ないし」


 軽い調子のアリシアは、先にソファに座る。

 3人でどう座るのか悩んだけれど、とりあえずルティスがアリシアの前に座ると、リアナは無言でその隣に体をぴったり寄せるように座った。


「…………なんか近くない?」


 アリシアがジト目を向けると、リアナは視線を泳がせながら答えた。


「……そ、そんなことないですよ? 気のせいです」


「なるほど、そうね。私の気のせい……。――って、そんなワケないでしょっ! こんな広いのに」


「お嬢様はルティスさんのお顔を見ながら食べられます。どちらがかは好みの問題です。……なので、毎日交代ではいかがでしょうか?」


 アリシアのツッコミにもリアナは冷静に答える。

 最初は少し不満そうな顔を見せたアリシアだったが、「ふぅ」とひと息つく。


「……分かったわ。そうしましょう。交代なら悪くない案ね。……それじゃ、冷めないうちにいただきましょう」


「はい、いただきます」


 アリシアの音頭に合わせて挨拶をしたあと、皆で昼食に手を付けた。


 ◆


「……それでは、私からひとつ提案があります」


 昼食を終えてひと息ついたあと、ふいにリアナが真面目な顔でふたりに告げた。


「どうしたの? 急に改まって……」


「あくまで提案ですけれど。……この魔法書を見てください。このあたり」


 リアナが手提げ鞄から1冊の古びた本を取り出し、先程まで昼食が並んでいた応接机の上に広げた。

 彼女が指し示すページには――。


「……す、すみません。俺、この文字読めないです……」


 しかしルティスには魔導書の文字――現在使われていない古代文字――が読めなくて、苦笑いを浮かべた。

 呆れたような顔でアリシアが言う。


「……えー。授業でも習うでしょ? 真面目に講義受けてる? 留年してもう一度やり直したほうが良いんじゃない?」


「お嬢様の言うとおりです。このくらい読めないと話になりません。……あ、ルティスさんが留年したら私たちと同級生ですね。それはそれでアリかもしれませんねぇ……」


 リアナがなぜか嬉しそうな顔を見せるが、アリシアが「コホン」と咳払いをすると、彼女は真面目な顔に戻る。


「まぁ、それはそれとして、です。……ここに書かれているのは『空間魔法』についてです。とはいえ、大したことは書かれていません。私が前に話したように、空間転移や多少の時間を操ることができる魔法系統が存在している、とあるだけです」


「ルティスさんが使ったかも、って魔法よね?」


「ええ。詳しくは全く分かりません。……でも、もしルティスさんが自由に扱えるようになったなら、すごいことだと思いませんか?」


「それは……そうだと思うけど……。練習方法とか、なにもわからないのよね?」


 リアナの話に、アリシアは疑問を呈する。

 その空間魔法がどの程度役に立つものなのか、それすらはっきりわからないのだから。


「そうですね。……ただ、今のままでは、次に魔族が襲ってきたりすると、手の打ちようがないかもしれません。何か……対策を考えておかないと」


「それがこの空間魔法って言いたいの?」


「そうです。……確実なことは言えませんが、王都のセレスティアルカレッジに行けば、もっと詳しいことが分かるのではないかと思っています」


 リアナの出した名前は、このムーンバルトなども属する国の王都ルナリスに存在している魔法士の研究機関だ。

 現在通っている学園『ムーンバルト魔法アカデミー』と似たような組織だが、この学園が魔法士を養成することを主目的にしているのとは異なり、王都のそれは魔法体系の研究を主目的にしていた。


 カレッジには各地からの優秀な魔法士が研究補助員として在籍していて、アリシアやリアナも以前招待を受けたことがあった。


「確かに……あそこなら何かわかるかもしれないわね……。前に一度見学に行ったけれど、本の数だけでもすごかったし」


「……ですので、しばらく留学するというのも、ひとつの手ではないかと思いました」


「留学……ですか?」


 ルティスが聞くと、リアナは頷く。


「はい。……それに、お嬢様が所在を隠してここを離れると、魔族も狙いにくくなるはずです。……これまでも聖魔法を使える魔法士がいたのに、なぜ急に魔族が狙ってくるようになったのかなども、王都なら情報が集まりやすいですし」


「なるほどねぇ……」


 アリシアはそう呟きながら、しばらく黙って考え込む。

 

「……留学ならお父様も説得しやすいし、しばらく公務をサボって羽を広げられるし、良いことだらけよね……。当然、3人で行くってことよね?」


「もちろんです。私はお嬢様から離れる訳にはいきませんし、ルティスさんが行かないと始まりません。当然、ルティスさんだけが行くなんてのもあり得ません。……となると選択肢は、行くか、行かないかだけです」


「……ルティスさんはどう思う?」


 アリシアに聞かれて、ルティスは素直に自分の気持ちを答えた。


「俺は……まだまだ足手まといですけど、ふたりを守れるくらい、もっと強くなりたいと思ってます。なので……少しでもその可能性があるのであれば……」


「……わかったわ。お父様に聞いてみないとだけど、そのつもりで準備しましょうか。なんか楽しそうだしね。ふふっ」


 ルティスの意思に賛同して、アリシアも楽しそうに笑った。

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