第39話 その翌日

「ん……」


 リアナは眠い目を擦りながら、ゆっくり目を開けた。

 まだ窓の外は薄暗くて、部屋の中もはっきりとは見えない。


 ただ――。

 すぐ眼の前にルティスが寝ているのはすぐに目に入った。

 その向こう側には、自分がずっと仕えてきたアリシアの姿も見える。


 そのふたりと自分がこうして並んでいることなど、これまで想像すらしていなかったことだ。


(これから、どうしましょうか……)


 この幸せを享受し続けたいけれども、それはいつか終わりが来る。


 目を閉じ、先日の魔族との戦いを思い浮かべてみる。

 あのとき、自分の魔力全てを注ぎ込んだ聖魔法の直撃を与えても、一撃では消滅させることができなかった。

 もし……次にもっと上位の魔族が現れた場合、とても勝てるとは思えない。

 となると――。


(また……ルティスさんにお願いしないといけないことが増えてしまいますね……)


 まだ自分も多少は強くなれるだろう。しかし、大きな伸び代がないだろうことも自覚していて。

 彼なら、あるいは……。


 近いうちにその考えを打ち明ける必要があると思いながら、今はこの心地よさがたまらなく幸せで。

 寝返りをするだけで落ちてしまいそうな狭いベッドなのを言い訳にして、彼との距離を目一杯縮めた。


 ◆


「……そろそろ起きてよね?」


 突然、声を掛けられて、ルティスは目を覚ました。

 慌てて体を起こすと、ベッド脇には、学園の制服を身に着けたアリシアが立っていた。


「お、おはようございます」


「おはよう。……少し寝坊しすぎね。今日から講義なんだから、急がないと時間がないわよ?」


 疲れていたのだろうか。時計を見ると、いつも起きる時間はとうに過ぎていた。

 急いで準備しないと、講義に間に合わないようなギリギリの時間だ。


「や、ヤバっ……!」


「ふふっ、あまりに気持ちよさそうに寝てたから、そのまま寝かせておいたんだけど。やっぱり起こしておいたほうが良かったわね。……リアナは『叩き起こしましょう』なんて言ってたけど」


「ははは……」


 リアナのセリフが実際に頭の中で聞こえてきてしまい、ルティスは乾いた笑いを見せた。


「ほら、朝食置いておくから、すぐ食べて準備してね。……私の婚約者がいきなり遅刻とか、悪目立ちはやめてね……」


「は、はい……」


 アリシアは「それじゃ、あとで」と言ってルティスの私室を出ていった。


 ルティスは急いで着替えてから、サイドテーブルに置かれたパンを頬張る。

 急いで食べていたからか、喉に詰まりそうになって、ポタージュを飲んでいるとき、扉がノックされる音が耳に入った。


「んぐ……!」


 声を出そうとしたけれど、うまく出せなくて。

 しかし、返事を待たずに扉が開くと、隙間からちょこんとリアナが顔を出した。


「……なにをやってるんですか、朝から……」


 ルティスが胸を叩いていると、制服姿のリアナは呆れた顔で部屋に入ってきた。


「ゲホッ……! す、すみません……」


 ようやくつっかえが取れたルティスは、自分を覗き込むように見ているリアナに顔を向け、頬を掻く。


「……本当に時間がありませんよ。……あと1分で食べなさい」


「は、はいっ!」


 真顔でそう告げるリアナに、条件反射で返事をしてしまう。

 その様子を見た彼女は、「ぷっ」と笑う。


「……冗談です。まだあと5分くらいはありますから、ゆっくりどうぞ」


 たったの5分しかないのかと愕然としつつも、ルティスは急いで次のパンを口に運んだ。


 ◆


「まさかルティスが優勝するなんてな。クララも準優勝だろ? みんな凄すぎだろ……」


 ルティスが教室に入ると、すぐに駆け寄ってきたエリックが興奮した様子で話しかけてきた。


「ははは、俺はクララに焼き殺されるかと思ったよ」


「まさか! あのくらいじゃないとルティスくんには効かないって分かってたからね」


 それまで他の学生と話していたクララが、その時のことを思い出しながら話の輪に加わる。


「いや、ほんと危なかったよ。リアナさんに教わった使わないと、ヤバいって思ったから」


 『アレ』とは、防御魔法を使いながら、同時に別の魔法を使う技のことだ。

 どうしても一撃の威力は単独で使う場合に比べて落ちてしまうが、それを補って余りある効果があることは間違いない。


「びっくりしたよ。……そのリアナさんも、ものすごい魔法使ってたし。アリシア様も。……あのとき、わたしは何もできなかった」


 魔族と相対したとき、加勢できずに傍観していることしかできなかった。

 自分たちがこれまで練習で戦っていた魔獣などと桁違いの強さを前にして、無力を感じた。


「俺だって、防御魔法使ってただけだからね……。魔族は……桁違いすぎるよ」


 今の自分ではまだまだリアナやアリシアの足を引っ張るだけだろう。

 だから、もっと強くならないといけない。


「本当にね……。ちょっと自信なくなったよ、わたし……」


「クララ……」


「まぁ、わたしはわたしにできることやるよ。ところで――」


 クララが話を変えようとしたとき、校舎に講義開始の時間を告げるチャイムが鳴り響き、残念そうな顔をしたクララは自席に戻っていった。


 ◆


「――ルティスさん、いますか?」


 昼休みが始まった直後、突如教室に響く済んだ声に、講義から開放されて騒がしかった教室が、一瞬でしーんと静かになった。

 教室の入り口にいるふたり――アリシアとリアナに、皆が一斉に視線をむけて息を飲む。


「おい、ルティス。……お呼びだぜ?」


 自席でエリックと話をしていたルティスは、彼に小声で促され、立ち上がった。


「は、はい。アリシアさん……」


 毎朝夕を含め、いくらでも顔を合わせているけれども、学園の中で話をするようなことは滅多になく。

 当然、こうして彼女がルティスの教室に来ることも初めてだ。


 ルティスを見つけたアリシアは、よそ行きの柔らかい笑みを浮かべて、彼を呼んだ。


「お昼休みに申し訳ありませんわ。……少し来ていただけると助かります」


「わかりました」


 周りが無言で見守るなか、ルティスは教室を出ると、アリシアに先導されて後ろを歩く。

 彼が出たあとの教室からは、どっと喧騒が戻るのが聞こえてきた。

 どうせ彼の噂話なのだろうが、それが気恥ずかしくてルティスは少し俯いた。


「……そんなに下を向いてはいけません。胸を張りなさい。ただでさえ今は目立つのですから」


 しかし、すかさずルティスの後ろから、リアナが忠告する声が聞こえて、慌てて背筋を伸ばす。


「す、すみません……」


「ふふっ、相変わらずリアナも厳しいわねぇ。……さ、もう着いたわよ」


 アリシアが入るように促したのは、学園の理事長室だった。

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