第37話 抜け駆け

「ど、同時にふたりをって……?」


 アリシアの提案に、ルティスは戸惑いながら聞き返した。


「それはそのまま、言葉のとおりよ。私としては、このためにお父様を説得したりしてきたってのもあるけど……どうしてもルティスさんと、って気持ちがあるの。それはわかって欲しいの」


「は、はい……」


 アリシアの言っていることは理解できる。

 リアナも含めて、そのためにずっと前から準備してきたことを知っているからだ。


 辞退するならせめて表彰式のときにするべきで、腕輪を受け取っておきながら、こうも簡単に反故にされるとアリシアだけではなく、周りだって困るだろう。


「……でも、私はリアナのこともルティスさんと同じくらい好きなの。リアナはどう……?」


「……もちろん、私もお嬢様のことは、自分の命以上に大切に思っています……」


 少し照れながらも、リアナははっきりと言った。

 そのためにこれまで生きてきたのだという思いもあった。


「だよね。……私はこれからもリアナにいて欲しいし、リアナにだって幸せになって欲しいの。これまでの恩返しの気持ちもあるし。……それで、私は思ったんだけど、それならみんなで仲良くするのが一番丸く収まる気がしない……?」


「みんなでって……」


 アリシアの意図を正確に知りたくて、ルティスが聞き返した。


「はっきり言ってしまえば、私たちふたり、両方と結婚したって別に良いじゃない、っていうことよ」


「そ、そんなのはアリなんでしょうか……?」


 ルティスが恐る恐る聞くと、アリシアは軽い調子で返した。


「こういうのは、当人同士が良いなら良いんじゃないの? 私はリアナなら容認するわ。もしリアナもそれで良いって言ってくれるなら、だけど。……そもそもお父様だって似たようなものでしょ?」


「た、確かに……」


 アリシアの言う通り、同じ父親を持つアリシアとリアナの母親は別なのだから。


「それに……」


「……それに?」


「……もし、次にまた魔族が襲ってきたりしたら、リアナがいないとどうにもならないんだから。ケンカしてる場合じゃないと思うのよね」


 アリシアの話に、リアナはもうひとつ相談しておかなければならないことを口にした。


「……はい。その件ですが、私もお嬢様はこれからも魔族に狙われると思っています。……なので、私もお嬢様の提案に賛成します。現実的に考えると、力を合わせないと、太刀打ちできない可能性が高いです」


「ルティスさんはどう?」


「そうですね……。おふたりがそれで良いのであれば……」


 曖昧な返事を返したルティスに、アリシアが口を尖らせた。


「そんな優柔不断じゃダメよ? 自分の意思って大事なんだから」


「は、はい……。なら……俺は、お嬢様とリアナさん、どちらも幸せにできるように頑張ります……」


「うん、それじゃこれで決まりね。あと……一応、婚約者なんだから、『お嬢様』はもうやめていいのよ?」


「わかりました……。では、アリシアさん……?」


 恐る恐る、ルティスが名前を呼ぶと、アリシアは少し不満そうな顔をした。


「……別に呼び捨てでもいいのにー」


「そ、それはちょっとどうかと……思いますよ? お嬢様……」


 戸惑いながら、リアナもアリシアの顔色を窺う。


「……まぁ、とりあえずはそれでいいわ。リアナは周りに知られるとまずいから、当面そのままかな?」


「ア、アリシアさんは……強引ですね……」


 ルティスがぎこちなく声をかけると、アリシアは胸を張った。


「そのくらいじゃないと、務まらないのよ。ルティスさんもそのつもりでね」


 ◆


「……ルティスさん、これで本当に良かったのでしょうか……?」


 アリシアの部屋を後にしたリアナは、ルティスに恐る恐る尋ねた。


「でも、確かにこれが許される最善の選択肢だという気はするんですよね……」


「私もそれはそう思います……。ルティスさんがお嬢様の婚約者のままのほうが、都合が良い面も多々ありますから。……これなら元々の計画の範囲内と言えなくもないですし」


「はは……。それでは、俺はここで失礼します」


 ルティスはそれぞれの私室に向かう廊下の分かれ道で、リアナに軽く手を上げた。


「……あの……ちょっと待ってください……」


 しかし、リアナに呼び止められて足を止める。

 リアナはすぐにルティスの目の前に来ると、一度周りをきょろきょろと見てから、上目遣いでじっと彼を見上げた。


「はい、なんでしょう? リアナさん」


「……ルティスさんがお嬢様ともお付き合いするのは許容しますけど……す、少しくらい、抜け駆けしても許されますよね……?」


 そう呟いたあと、リアナは精一杯つま先立ちすると、ルティスの首に腕を回して、少し強引に唇を重ねた。


 ルティスは突然のことにドクンと心臓が跳ねるが、その柔らかい感触に身を委ねるしかなくて。

 そして、ゆっくりと唇が離れたとき、真っ赤に頬を染めたリアナの顔が眼前に広がる。


「……、ルティスさんが……す、好きです……」


 リアナは小さな声で彼に想いを伝えると、すぐに顔を伏せて、そのまますぐにと逃げるように自室の方に消えていった。


 後にはまだ唇に余韻を残したまま、呆然と立ち尽くすルティスだけが残された。


 ◆


 ――コン、コン、コン。


 その夜。

 ルティスが風呂に入ったあと、翌日の講義に備えて私室で準備をしているとき、扉がノックされた。

 いつものリアナのものとは違う、しっかりとした音に、すぐにピンとくる。


「はい。開いています、どうぞ」


 そしてすぐに扉から顔を出したのは、寝衣姿のアリシアだった。

 しっとりとした艷やかな髪で、見慣れない姿にどうしても胸が高鳴る。


「ふふっ。こんばんは。つい、来てしまいました。……リアナはまだ来てないのね?」


「え、ええ。そうですね……」


 そわそわとした様子で部屋に入ってきたアリシアは、ちょこんとルティスのベッドに腰掛けた。


「……うーん、少しこの部屋は狭いわね。今度、もう少し広いところに移る? ベッドも狭いし……」


 部屋を見回しながら、アリシアはそう呟く。


「俺ひとりなら十分ですよ。このくらいで……」


「……むー。女の子ふたりと並ぶには狭いでしょ、って言ってるの。ふたりとも幸せにするんでしょ? もっと自覚持ってよね。……それとも、今から私の部屋に来る?」


「え、ええと……」


 どう返答すればいいか考えていると、アリシアが手招きする。

 明日の準備は後回しにして、アリシアの前に立つと、彼女は自分のすぐ横――ベッドをポンポンと叩いて、そこに座れという意思表示をした。


 ルティスがそこに腰掛けると、アリシアはゆっくりと話し始めた。


「……私……こういう日が来てほしいって、ずっと夢に見ていたの。……あの演劇を見たときから」


「それは……以前観に来ていただいた劇ですか?」


「うん。私、好きでもない、全然知らない人と無理やり結婚させられるんだって、ずうっとそう思ってた。でも……劇を見てね、もしかしたら将来、私にもそうじゃない日が来るかもって、夢を見たの」


 遠くを見るような目をして、アリシアが続ける。


「そしたら……偶然、ルティスさんがムーンバルト家で働くこと希望してるって話を聞いて。あのとき格好良かった男の子! ってすぐわかった。もしかして運命かもって」


「それはちょっと恥ずかしいですね……」


 ルティスが頭を掻くと、アリシアは首を振った。


「ふふっ、そんなことないわよ。……だからね、お父様にお願いして、この屋敷に来てもらったの。それからはほとんど思ってた通りになってびっくり。ただ……まさか先にリアナに取られちゃうなんて、私としたことが油断してたわ……」


 苦笑いを浮かべるアリシアに、ルティスは申し訳なく思う。

 アリシアの気持ちもわかるし、リアナの気持ちもわかる。

 ただ……少しだけリアナと過ごした時間が長かったということ。たったそれだけの差なんだろう。


「……でも、どうしても夢を諦められなくて。リアナには敵わないかもしれないけど、せめて……少しだけでも私を見て欲しいの。我儘でごめんなさい」


「アリシアさん……」


 そっと身体を寄せるアリシアの肩を抱く。

 ルティスの顔を覗き込むように見上げたアリシアは、小さく喉を鳴らすと「……お願い」と呟き、ゆっくりと目を閉じた。


 そして、ルティスも彼女に応じて、そっと唇を重ねた。

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