第5話 隣町へ
「――や、やめてくれッ! 何でもする! 助けて……」
ゆっくりと歩いて近づく人影に、地べたに尻もちをついた男が必死に命乞いをしていた。
人影が一歩近づくごとに、男は逃げようとずり下がる。
――ドンッ!
しかし男の背中に何か当たり、それ以上退くことはできなかった。
「……あなたも、お仲間と同じにして差し上げます」
人影――まだ小柄な少女は、抑揚のない声で男に告げた。
男が後ろを振り返ると、その背中に当たっていたのは――氷漬けになった仲間の男だった。
「ヒィッ!!」
そして、引きつった顔で首を必死に振る男に向け、少女は片手を差し出した――。
◆
「……ねぇ。あの子よ、この前の……」
「怖いわよね……。全員、殺したって噂じゃない? まだ子供なのに……」
「誰が言い始めたかわからないけど、『氷結の魔女』だって。顔色ひとつ変えないし、ホントぴったりよね……」
リアナがメイド服姿で街に食材を買いに出ているとき、主婦仲間と思われる二人組が道路脇でひそひそ話をしていた。
(全部、聞こえてる……。いえ、わざとなのかも……)
特段、リアナの耳が良いわけではなかったが、何を話しているかは聞こえていた。
それももう慣れてしまった。
先日、アリシアが中等部への通学中、誘拐されそうになったとき、乗り合わせていた自分が相手全員を氷漬けにして――殺したのだ。
護衛なのだから、当たり前の仕事だ。……何度も何度も、そう自分に言い聞かせた。
「リアナ、おかえりなさい」
買い物を済ませて屋敷に戻ると、アリシアが笑顔で手を振っていた。
「お嬢様、ただいま戻りました」
深々と礼をして屋敷に入ろうとすると、駆け寄ってきたアリシアが、突然リアナをぎゅっと抱きしめた。
「……いつもありがとう、リアナ」
「お嬢様? 急にどうしたのですか?」
普段と違うアリシアの行動に、リアナは困惑しながらも返した。
「なにか……リアナがすごく悲しそうに見えたの。だから……」
「……ご安心を。私は大丈夫ですよ。何があっても……お嬢様の味方ですから」
「うん……」
自分を見つめるアリシアの顔を見て、リアナは自分の役目を再確認する。
アリシアを守り、幸せにすること。
そして――もし、自分より彼女に相応しい人が将来現れたら――。
◆◆◆
「早く起きなさい、ルティスさん」
その日は講義が休みの日。
元々使用人としても休暇の予定となっていた日だった。
しかし、早朝まだ薄暗い時間にもかかわらず、扉がノックされて冷たい声が響く。
「は、はいっ!」
それまで疲れて熟睡していたルティスだったが、聞き慣れた声に条件反射で飛び起きて、慌てて返事を返す。
と同時に、ガチャリと扉が開いてリアナが入ってきた。
その日のリアナの服装は、見慣れたメイド服姿ではなく、もちろん学園の制服姿でもない、いわゆる私服姿――とはいえ、地味なワンピース――だった。
「急ですが隣町まで買い出しに行きます。荷物持ちをしなさい」
「ええっ! 今日は休みのはずでは……?」
予想外の命令に、ルティスは返事も忘れて質問で返した。
それに対して表情は変えないままで、リアナはすっと目を細める。
「……なにか不満が? あなたに拒否権があるとでも?」
「う……。は、はい。承知しました」
「よろしい。5分待ちます。すぐ準備しなさい」
「はい……」
有無を言わせぬ口ぶりに、ルティスは急いで準備を始めた。
が――。
「……リアナさん、そこで待つのですか……?」
部屋の中程で直立したまま、ルティスの着替えをじっと見ていたリアナに、恐る恐る尋ねた。
「いけませんか? あなたは私の下着を見ました。なら、私があなたの下着を見たとて問題ないと思いますが?」
「あ……はい……」
着替えているところを見られるのは正直恥ずかしいが、彼女の言い分に反論ができない。
そもそも
緊張でベルトを締める手が震えて、カチャカチャと音を立てた。
「3分経ちました」
ポケットから懐中時計を出してリアナが冷酷に告げる。
着替えは終わったが、まだ顔も洗っていない。
急いでルティスはタオルを持って、部屋を飛び出した。
そして顔を洗い、トイレを済ませて部屋に戻ると――。
「……遅い。5分35秒経っています。後で罰を与えます」
「えぇえっ!」
慈悲のない言葉にルティスが頭をうなだれると、上から声がかけられた。
「……冗談です。さ、行きますよ」
「は、はいっ!」
ほっと安堵したルティスは、足音もなく歩き始めたリアナの後ろを追う。
(……本気なのか冗談なのか、全く分からねぇ)
とはいえ、とりあえず機嫌が悪いわけでは無いようだ。
「あの……。リアナさん?」
「……なんでしょうか?」
「わざわざ休みの日に買い出しとは、なにか目当てがあるのでしょうか?」
しばらく躊躇していたが、ルティスが聞く。
リアナは一瞬だけルティスの方に視線を向け、すぐに前を向いて答えた。
「……質のいいステッキが売り出されたという話があります。何本か入手しておくのもいいかと」
「なるほど……」
ステッキは短い杖のような形状をしていて、魔法を使う際に魔力を制御しやすくしたり、増幅する役目を持つ。
特に経験の浅い者にとっては、いいステッキを使うことは上達の近道になる。
もちろんルティスも自分用のステッキを持っていたが、高価なものではなかった。
リアナは隣町に向かう定期路線の大型馬車乗り場に着くと、二人分の運賃を支払った。
一人片道500ルド。
軽めの昼食代ほどの運賃だ。
高くないとはいえ、膨大な借金を持つルティスからすれば大金でもあったが、どうもリアナは自分に請求する素振りはなさそうだ。
隣町レイヴンブルックまでは、馬車で1時間ほど。
ルティスはリアナと並んで揺られていたが、乗り合わせの馬車ということもあったのか、その間一言も会話はなかった。
馬車を降りてすぐ、ルティスはリアナに声を掛けた。
「あの、リアナさん?」
「……なんでしょうか?」
「お腹が空いたのですが……」
早朝に叩き起こされてから今まで、ルティスは何も食べていなかった。
まだ朝の早い時間とはいえ、空腹が堪える。
しかしリアナはしばらく無言で何かを考えてから告げた。
「……帰るまで我慢しなさい」
「マジか……! あ、いえ。すみません……わかりました」
つい声を上げてしまい、慌てて言い直したルティスに、リアナはほんの一瞬、表情を緩めた。
「ぷっ、冗談ですよ。……では、そこの店にでも入りましょうか。ご心配なく。今日は私の命令ですから、お代は私が持ちます」
(わ、笑った……!?)
覗き見をしたときの笑顔を除けば、一瞬とはいえ、リアナがルティスに対して笑顔を見せたのは、これが初めてのことだった。
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