第4話 氷漬け

「……ルティスさん、ちょっと良いですか?」


 今日一日の講義を終え、屋敷に戻ってルティスが夕方の仕事――庭木への水遣りをしていると、見回りをしていたリアナが唐突に声を掛けてきた。


(げげ、ついに来たか……)


 それまでにも何度となく顔を合わせる機会はあったが、そばにアリシアがいたからか、リアナは何も言ってこなかった。

 そこに来て、今のこのタイミングだ。

 周りには自分たちのほかには、誰もいない……。


「は、はい……。なんでしょうか……?」


 この庭に氷像がひとつ出来上がることを覚悟しつつ、恐る恐る返事を返すと、リアナはすかさず告げた。


「返事が遅い」


「は、はいッ!」


「まぁ、それは許しましょう」


 そう言いつつ、リアナは周りをちらっと見回して、改めて他に誰も居ないことを確認する。


「……ふたつ、聞きたいことがあります。まずひとつ目。実戦練習の際、キマイラに襲われそうになったとき……何か魔法を使いましたか?」


 リアナの話に、ルティスはすぐにその時のことに思い至った。

 しかし、自分でも全く理解できていなくて、正直にそのことを話す。


「い、いえ。防御壁を全力で張っただけのつもりでした。……でも、何故か立っていた場所が変わっていて……」


「……なるほど。わかりました」


 その返答だけで納得したのか、リアナはひとつ頷いた。


「すみません、助けていただいて。死ぬかと思いました……」


 ルティスが少しでも機嫌を取ろうとして礼を言うと、リアナはしばらく無言だったが、表情を変えずに口を開いた。


「……いえ、大したことではありません。無謀な敵と戦っても何の訓練にもなりませんから。むしろ良くあの一撃をかわしたと、私は思いますよ」


 いつもと変わらない口ぶりだが、ルティスにはなんとなくリアナの機嫌が良いような気がしていた。

 自分を褒めるようなことを言うなど、今まで一度もなかったことだからだ。


「ありがとうございます」


「……ふたつ目の質問です。……ルティスさん、見ましたね……? 朝……」


 その言葉に、ルティスの心臓がドクンと跳ねた。

 朝、部屋を覗いていたことを言っているのは間違いない。


(こ、殺される……。享年18歳か……。キマイラに殺されるほうがマシだったかも……)


 覚悟を決めてルティスが「はい……」と答えると、リアナは少し顔を伏せる。


「何を見たか、正直に言ってください」


「はい……。リアナさんが笑顔で『今晩はハンバーグ』と……」


 それを聞くと、リアナは目を閉じた。


「……それで、その時の私の服装は?」


「えっと……。その……下着姿……でした……」


 改めてその事実をルティスの口から聞いて、すべて見られていたことを理解したリアナは、ゆっくりと下を向いた。

 そして――。


「あの……ルティスさん? ……ぜ、絶対、誰にも言わないでくださいよ……。お願いです……」


 心なしか頬を染めて、もじもじしながら懇願するリアナに、ルティスは目が点になった。


「――へ? ――はい?」


 まるで別人のような声色に、理解が追いつかずに上の空で返したルティスに、顔を上げたリアナはすっと目を細める。


「もしも――もしも、誰かに漏らしたりしたら、氷漬けにして差し上げます……!」


「――はっ、はいッ!」


 あっという間に元に戻ったその表情に、やはり彼女が『氷結の魔女』なのだということを思い出したルティスは、ビシッと直立して元気よく返事した。


 ◆


「はぁ……。疲れた……」


 夕食の皿洗いを済ませて、私室に戻ったルティスは、使用人の服を脱いで質素なベッドに寝転がった。

 質素とはいえ、元住んでいた家のベッドよりは十分豪華ではあるのだが。


 今日は色々なことがあった。

 朝からリアナの一件があり、実戦練習ではキマイラに殺されかけた。

 そして夕方の尋問。

 ……何度肝を冷やしたことか。

 まだ生きていることに感謝しなければならない。


 しかし、アリシアがリアナのことを「優しい子」だと言っていたが、なんとなくそれが分かるような気がしていた。


 ――もしかすると、いつも冷たく振る舞っているのは、職務柄そう演じているだけなのではないだろうか、と。


 もちろん、それを確認する勇気はこれっぽっちもなかった。

 今も変わらず厳しい上司であり、口ごたえでもしようものなら、無言で骨の一本や二本、ポキッとやられそうでもあるから。「痛みに耐えるのも修行の一環です」とか言って。


「とりあえず風呂に……」


 そこまで考えてから、身体を起こす。

 多くの使用人が働くこの屋敷には、使用人専用の風呂も備えられている。もちろん男女別だ。

 着替えを手に、私室を出た。


「……あら、ルティスさん」


 廊下を歩いているとき、偶然にもばったりと出会ったアリシアに声を掛けられた。

 ほんのりと上気した顔からすれば、彼女も湯浴みの後なのだろうか。


「お嬢様、こんばんは」


「はい、こんばんは。……これからお風呂ですか?」


「ええ。今日は疲れましたので……」


 しみじみと呟くルティスに、アリシアは笑う。


「うふふっ、そうね。……どうやらリアナと仲良くなってくれてるみたいだし、私も嬉しいわ」


「え? そう見えますか……?」


 意外な話にルティスが聞き返すと、アリシアはこくりと頷いた。


「ええ。やっぱりリアナと何かあったでしょ? あの子が誰かを助けるなんて今までなかったもの。びっくりしちゃった。……今までなら、キマイラにあのままプチっとやられてたと思うわ。こう、プチッとね」


 アリシアは笑顔のまま、人差し指と親指で、虫でも潰すような仕草を見せる。


「そ、そうですか……」


 ルティスは自分がプチっとされる光景を想像して、背筋がぞくっと冷たくなるのを感じた。

 早く風呂で温めなければ……。


「……で、何があったか私にも教えてよ。リアナに聞いても話してくれないのよね……」


「ぇえ……!?」


 拗ねたように言うアリシアに、ルティスはリアナの台詞を頭に浮かべた。「に漏らしたりしたら、氷漬けにして差し上げます」という言葉を。

 その「誰か」というのはきっと、この屋敷の主でもあるアリシアに対しても有効なのだろうと思うと、板挟みになったルティスは言葉を失った。


「ほーらほら、言わないと脇腹くすぐるわよぉ?」


 氷漬けと脇腹なら、まだ脇腹のほうがマシだと思い、冷や汗を流しながらもアリシアに後ろから脇腹をグリグリされ続けた。

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