第3話 実戦練習

「それじゃ、実技始めるぞ。まずはエリックから前に出ろ」


 魔法実技の指導担当であるアルドリック教官が競技場から声を上げると、エリックが苦い顔で立ち上がった。

 この競技場は体育館ほどの広さで、結界が張られており、よほど強力な魔法以外は外に漏れないようになっている。

 普段はこの中で魔法実技の練習が行われていた。


 今日の講義では、知能の低い下級魔獣を召喚して戦うという実戦練習が予定されていて、高等部の下級生も見学に訪れていた。

 待機場所でルティスが見学席を振り返ると、アリシアとリアナの姿が見えた。


(相変わらず目立つな……)


 ふたりの姿は周囲から明らかに浮いている。

 なにしろ、最前列に居るふたりを、少し離れた位置から取り巻くように周りのクラスメートが陣取るという、VIP対応だからだ。


「いいか? 下級の魔獣とはいえ、油断すると危険だ。危なくなったら手を上げろ」


「はい、アルドリック教官」


 競技場の中にはエリックだけ。

 エリックが魔法を増幅するステッキを構え、準備が整ったのを見て、アルドリックが離れたところから闘技場の中央に描かれた魔法陣へと向けて詠唱を始めた。


「……いでよ、闇より来たりし者よ……!」


 詠唱を終えると同時に、魔法陣が淡く光り始める。

 そして、一瞬まばゆい光に周囲が包まれたかと思うと、その光が収まった時には、魔法陣の上に黒い犬のような獣が1体佇んでいた。


「……ヘルハウンドか」


 エリックが呟く。

 魔獣としては下級だが、動きが素早く炎も吐く、油断ならない相手だ。

 ごくりと唾を飲み込むと、エリックは詠唱を始める。


「……霧の中に踊る幻影よ、我が指示に従え……!」


 それと同時に、彼の周囲を白い霧が覆う。

 エリックの得意とする幻影魔法だ。

 その霧の中に、無数の人影が見えては隠れ、敵を欺く。


『ガアァアッ!!』


 ヘルハウンドが咆哮を上げ、その霧の中の人影を目指して飛び込むが、その牙は空を切った。


「今だッ! ――氷の刃、我が敵に冷徹な裁きを与えよッ!」


 目標を外して混乱したのか、動きを止めたヘルハウンドに向けて、エリックが氷の魔法を唱える。


 ――ズバァッ!!


 無数に現れた氷の刃がまっすぐにヘルハウンドに襲いかかる。


『ギャアァアアッ!!』


 胴体に突き刺さった氷の痛みに、叫びのたうち回るヘルハウンドだったが、しばらくして事切れたのか、どさりと倒れて塵となって消えていった。

 それを見てエリックは「ふぅ……」と肩の力を抜く。


「よし、エリック。よくやった。次は――」


 アルドリックが満足そうに頷く。

 すぐに生徒が交代して新しい下級魔族を呼ぶ、という実戦練習が繰り返される。


 そして――。


「ルティス、次はお前だ。頑張れよ!」


「は、はいっ!」


 ようやく自分の順番が回ってきて、ルティスは立ち上がる。

 ちらりと見学席に目を遣ると、リアナが冷たい目でこちらを見下ろしているのがはっきりと見えた。


(……無様な姿を見せたら、後で言われるネタが増えるな)


 ただでさえ、朝の事件があったばかりだ。

 少しでも印象を良くしておかねばならないと、ルティスは気合を入れてステッキを構える。


「よし、行くぞ。――いでよ、闇より来たりし者よ……!」


 アルドリックが詠唱を行うと、先程までと同じように魔法陣が光った。

 そして、光の中から出てきたのは……。


「げ、キマイラ――!」


 そこには馬車ほどの大きさの獅子の体躯に、複数の頭を持っている、所謂キマイラと呼んでいる魔獣が佇んでいた。

 その強さはもはや下級とは呼べず、その大きさからすれば中級魔族にも匹敵するものに思えた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺、コイツとやるのか!?」


 ルティスはキマイラの迫力に後ずさるが、相手は待ってくれない。

 すぐさま、その視線をルティスに集中させ、口を開いた。


「や、やべっ! ――守りの盾よ! 我が身を包み込め!」


 慌てて魔法による防御壁を展開する魔法を唱えると同時に、キマイラの口から放たれた業火がルティスを襲った。

 大半は防御壁によって弾かれたが、その熱は壁を超えてルティスにも届く。


「あっちち、クソっ!」


 急いで後ろに下がってキマイラに視線を向ける――が、そこには何も居なかった。


「ど、どこだ……!?」


 キョロキョロと周りを探すが敵の姿は見えない。

 そのとき――自分の周囲が影になるのを感じて、はっと上を向くと、キマイラのその巨大な体躯が、まさに自分を踏み潰さんと降りてきて――いや、落ちてきているのが目に入った。


(し、死ぬ――!!)


 どう考えても、避けるのはもう間に合わない。

 感覚が過敏になって、時間が止まったかのようにゆっくりと近づいてくるキマイラの前足が目に入る。

 その光景にルティスは死を覚悟しつつも、先程展開した防御壁を強化しようとありったけの力を込めた――。


 ――ブオンッ!


 その直後、確実に捉えられたと思われたキマイラの前足が空を切る音が響いた。


「なんだ……! 今のは……」


 その様子を見ていた見学席からどよめきが湧く。

 周囲からは、捉えたかのように見えたキマイラの足の軌跡はそのままに、ルティスが一瞬消えたように見えたのだ。

 そして、そのルティスは目を見開いたまま、キマイラの背後で立ち尽くしていた。


 ルティス自身、何が起こったのか分からなかった。

 防御壁にキマイラが当たって弾かれた訳ではない。そんな感触はなかった。


 ――あたかも、自分が最初からその場所に居たように、立っている場所が変わっていたのだから。


 獲物を逃したキマイラが、しばらくルティスを見つけようと周りを探し、やがてその視線が獲物を捉えたとき。


 キマイラは全身がになっていた……。


 ◆


「……今のルティスさんでは、あのキマイラに勝つのは無理でしょう」


 見学席から座ったまま、片手をキマイラに向けて魔法を放ち、一瞬で氷漬けにしてしまったリアナは、表情を変えずにポツリと呟く。


 その様子を見ていた、周囲をとりまく生徒のひとりが畏怖の声を上げた。


「信じられない……。結界があるのに……」


 そう、リアナは結界の外から、それを貫通するほどの魔法を放ったのだ。

 それほどのことが可能なのはほんの一握りの者だけで、学園の教官ですら大半ができない芸当だった。


 それを涼しい顔でやって見せたリアナに、誰もが緊張の面持ちを寄せる。

 ルティスも目の前の氷漬け――『氷結の魔女』とリアナが呼ばれる所以――を見せつけられて、呆然と立ち尽くした。


(……さっきのは、まさか空間圧縮の魔法……? ルティスさんが……?)


 しかし、その当のリアナ本人は、先程のルティスの動きについて驚きを持って思い返していた。

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