第8話 力を示す紫水晶


「さて、では食事も一通り済んだ事ですし、神楽くんにこの世界の事をさらっとお話しましょう。推測ですが、マイの手引きでトラックに轢かれてから一切の説明もないのでしょうし」

「‥‥‥メンボクナイデス」

「ええ、お話をお願いします、ユウキさん」

「承知いたしました」


 こほん、と咳払い。


「まず、この場所はリラックという世界の地方都市、エンドンになります。辺境に位置しておりますので、人間はもちろんの事、魔種や亡霊、海獣といった知的生命体も住んでおります。いわゆる、生き物のるつぼになります」


「‥‥‥はぁ」


 唐突な単語が羅列される。発言を受けて分かる、俺は本当に異世界転生とやらをしてしまったのだと。


「また、エンドンは昔から多種多様な生命を惹きつける霊脈‥‥‥マナが地下を張り巡っています。このマナへの適合こそ呼吸に等しく、リラックで生きていく上で必須の行為になるのです。波長があう方は、マイのようなリラックの人間が導くとスルッと入れる事があるんです」

「‥‥‥マナへの適合が無さ過ぎて、別の生命に転生させた事も数知れずですけどね」


 ぽそっと恐ろしいことを呟くマイはスルーしておく。


「そして、今から話す事を聞いて傷ついてほしくはないのですが」

「‥‥‥ええ」


 ユウキさんが一呼吸を置く。宣告を告げる裁判官のように。

 俺は激変する空気を読み、傾聴の姿勢を見せた。それを合図として、真正面にいるユウキさんが口を開いた。


「マイは、滅びゆく生命の脈動を敏感に感知できる能力があります。寿命や病気、不幸な事態など外的要因もありますが、脈動が尽きる生命に等しく死が訪れます。‥‥‥そして、マイは神楽くんのあまりに細すぎる生命の脈動を察知しました。このままでは死を迎えると」

「‥‥‥え?」


 死んでいた?‥‥‥俺が?あまりに唐突なユウキさんの話に鼓動が早くなる。


 理解と拒絶の狭間で、少なからず該当するであろう事実と照らし合わせて理由を模索する。正直他人事のようで、だが、本当に自身に起こりえたと心のどこかで感じえる。


「ユウキさん、ありがとうございます。‥‥‥続きは、私が話します」

「ええ、お願いね。マイ」


 俺の動揺を敏感に察知したのか、横に座っているマイが向き合った俺の方に優しく手を置き、すっと優しく目線を合わせた。


「‥‥‥神楽さん、落ち着いて聞いて。大丈夫、だから」

「‥‥‥ああ」


 大きく一呼吸。それを見たマイが言葉を紡ぐ。


「‥‥‥今はなんとか持ちこたえているようでしたが、私の見立てでは間違いなく神楽さんは、あの世界が発する無の重圧によって摩耗し尽くして‥‥‥死んでいたでしょう」

「‥‥‥」


 俺が元々いた世界。高らかに平等が謳われた会場で、生まれながらにスタートラインが全く違う徒競走を死ぬまで繰り広げなければいけない地獄の競技を強いる世界。

 弱音を吐く事も、途中で投げ出す事も一切許されず、負けを認めた時点で己以外が形作る「社会」とやらが有形無形の否定で烙印を押してくるのだ。

 ここで逃げたら無能だと。生きる価値もないと。確かに俺は疲れていたかもしれない。


「だから、私は神楽さんを乱暴な手段を用いてでもリラックへ引き連れました‥‥‥。色々な理由はほかにもありますが、神楽が抱える心の虚無は、リラックのマナを吸い尽くして埋めきれない程に大きい。間違いなくこちらに来れる存在だったというのも大きいです」


 言葉を選びながらの慎重な説明。それがどれだけ俺を気遣っているのか、さすがに理解できる。


「だから、神楽さん‥‥‥」


 俺の手を握り、目線を合わせ、マイが懇願する。銀髪の穂先に隠れた眼から、一粒の涙が浮かんでいた。


「このリラックで‥‥‥、エンドンの街で‥‥‥私達と暮らしてみませんか?きっと、楽しく暮らせます。私が、守りますから」


 手より感じる温もりが、この誓いが本音である事を語っている。ユウキさんも俺の判断を慎重に見定めているように見える。

 しばし思考を張り巡らし、意見を整え、浮かんだ一つの疑問を語る事にした。


「マイ、一つだけ聞いて良いか?」

「‥‥‥はい、なんでしょう」

「どうしてそこまで俺に関わるんだ?見ず知らずの俺を助けようとする」


 俺の言葉に、マイの表情が若干こわばる。彼女は一瞬の逡巡を挟み、僅かの動揺を必死に隠すように、ただ本音を語る為か、指を軽く置いた唇が開かれる。


「神楽さん‥‥‥それを聞くのは野暮ですよ。そうしたいからそうしただけです」


 そうしたいから、そうした。単純明快。まるで人助けに理由なんていらないだろ?と言わんばかりの純粋な理由。


「‥‥‥ははっ」


 なんか唐突におかしくなってきた。こんな大それた異世界転生とやらを果たしたためか、心のどこかで俺には大きな使命があるのか、またはとんでもない才覚が眠っているから選ばれてやってきたのかと。そう考えていたら事実は、ただ現代社会に疲れて死にかけた男を可憐な少女が助けてくれた、ただそれだけだったのだ。


「マイ、お前は優しい奴だな」


 ふとそうしたくなり、握られていた手を外し、絹のような銀髪がふわりと広がる小さな頭上に手を置いた。

 一瞬、マイの瞳孔が大きく開き、頬も紅潮しているように思えるが、俺のなでる動きを受け入れている。

 彼女の落ち着いた笑みと、無意識に上がる口角は言葉を介さずとも感情を察知できるほどだ。


「ふふ、神楽君がリラックに来た理由も分かったでしょうし、この世界で生きる為の準備も合わせて始めましょうか。いったんギルドの受付までいきましょう」


 頃合いを見計らったような、ユウキさんの声。同意し、酒場からマイと一緒に席を立って移動をする。


「まずは、別の世界からリラックに来る冒険者に共通する事なのですが、リラックで生きていく為に必要なマナを肉体的、または精神的に適合させる事により健康に生きる事が可能です。神楽さんはその点、精神面にマナを配置するスペースがあったようですね。まるで元々の住人と思えるくらいの適合度です」

「そうなんですね」

「そしてマナとの適合度が高ければ高いほど、命の源たるマナの恩恵が全身に満ちた結果、人ならざる技能を発揮するといわれています。マイから話を聞きましたが、神楽君が盗賊を蹴散らした際に使ったその力を指します」

「技能‥‥‥。俺が、か」


 話をしながらもギルドの受付に到着する。

 天井吹き抜けの広々とした空間に、壁にかけられている武具やいくつもの勲章がその活動を語る。見たこともないはずの言語だが、脳裏には意味が浮かぶ。これもマナによる恩恵なのだろうか。


 酒樽やテーブルが無造作に立ち並び、武骨な雰囲気を感じさせる。ここにはどれだけの同族がいるのだろうか気になるところだ。


 まだ朝が早いためか無人の受付には、幾何学模様が浮かぶ、地球儀のような大きさの紫水晶が恭しく鎮座している。


 中を見通せるようで見通せない、不思議な透明度の水晶だ。


「まずはここで冒険者としての資質‥‥‥即ち、技能の登録を行います。冒険者は食いっぱぐれない職業ではありますが、もちろん危険を伴う職業です。その為、技能の強弱によって幾ばくか安全に依頼をするため、即ちクエストを振り分ける為に行うものです」

「何だか本当にゲームの世界みたいだな」

「ゲーム‥‥‥?何でか、他の世界から来た皆さんはその単語を使いますね」

「ああ、すいません。お構いなく」


 俺の呟きにユウキさんが一瞬返答に困ったようだ。もしかしたら俺の他に誰かが来ているのだろうか。

 気を取り直したかのように身なりを整えたユウキさんがこちらをじっと見る。


「‥‥‥最初はマイのやりかたを見た方が安心できるかもしれませんね。マイ、ちょっとやってくれませんか?」

「ええぇ、それを触るとすごい嫌な感触するんですもんイヤですよぅ」

「マイ。‥‥‥捌くわよ?」

「やりますなんでもやらせてください」


 マイとユウキさんのパワーバランスは既に理解を完了した。


「神楽君、マイはこのリラックを守護する騎士を束ねる最強の騎士、守護騎士マイとしてエンドンの中で有名な存在なのですよ。特に魔獣狩りに大きな功績があります」

「えへへ‥‥‥ユウキさんのお褒めに預かり光栄です」


 にへらと笑うマイ。


「騎士って本当のことだったのか」

「本当ですよ神楽さんっ!私、多少は強いんですから。‥‥‥多少は」


 ユウキさんの方をちらちらと見ながら懸命の私強いアピールをするマイ。

 真の強者の前で強さを語りにくいのだろうか。確かに、ユウキさんは副業でギルドの管理者をやっているとも言うし。

 そんなこんなぶつぶつ言いながら、マイは紫水晶に手を伸ばした。


「行きますよ!‥‥‥‥‥‥っ‥‥‥」


 触れるや否や、紫水晶から発せられる眩い光がマイを包む。まるで意志を伝達しあうかのように滑らかに動くその光は、マイの能力を本当に読み込んでいるかのように見える。


「……ん、くぅっ‥‥‥」


 煽情的なマイの吐息はさておき、食い入るように水晶の動きを見つめる。すると水晶の模様が変容をはじめ、無機質かつ複雑な模様を描き始める。


「神楽君に教えておくと、この模様が複雑であればあるほど強力な技能の持ち主とみなされ、より難易度の高い仕事を依頼できるというシステムを採用しています。もちろん難易度が高ければ高いほどその報酬も比例します。‥‥‥まあ騎士は公僕なのでいくら働いてもお給料は変わりませんが」

「くぅぅぅぅぅ‥‥‥ひどいですよぅ‥‥‥」


 どの世界でも世知辛い職業はあるようだ‥‥‥。

 そうこうしているうちに紫水晶の変化が止まった。まるで万華鏡の一面がそっくり描かれたように、複雑な図形が描かれている。


「ありがとうございます、マイ」

「ふんだ、微塵も思ってないくせに」

「なにか、いいました?」

「いえいえこちらこそどういたしましてぇっ!」


 うん、なんかもうはっきりした。マイとユウキさんの関係が。


「‥‥‥こほん。とまあ、マイにも協力してもらい、紫水晶に力を転写しました。見る限り強い方ですね」

「そうなんですね。‥‥‥ユウキさん、なんかレベル……あ、いや。こう基準みたいなものってないんですか?強さの段階を示す段階とかワードとかって」


 俺の問にユウキさんが腰に手を当てて考えこむ。


「んー‥‥‥。実はそういうのは当ギルドでは設定していないんですよね。やはり力を示す単語を与えると、冒険者同士が自ら格差を生んでしまいます。私は冒険者一人一人の可能性を信じたいので、基本的に私の主観で判断しています」

「ほうほう」

「‥‥‥とりあえず私が法律ですし」

「⁉」


 言葉の節々から強者である事が感じられる。この世界に生きる上で敵に回してはいけないのだろう‥‥‥。


「では次は神楽君の番です。逆の利き手でこの紫水晶に触れてみてください。最初は少しびっくりするかもしれませんが、じきに慣れますよ」

「ええ、分かりました」


 俺は左手を紫水晶の上に、撫でるように置いた。その瞬間、微弱な電流のような感覚が全身を一瞬で貫いた。


「っ」


 思ったより痛いかもしれない。


「神楽君はいま電気に打たれたような感覚を覚えたと思うのですが、その瞬間に神楽君の体力、マナとの適合性、そして可能性‥‥‥などを諸々を精査しています。基本、図形が完成されるのでそれを見て判断します」


 水晶の中の模様が崩壊と構築を繰り返し、何らかの姿を生み出そうとしている事は鮮明に確認できた。


「ええ、ではもしかしたら隠れた力が発見されるチャンスでもあるんですか?」

「‥‥‥実はこの紫水晶は不正を働いて、力もないのに冒険者をやろうとするならず者を排除する為に作ったので、模様が出ないけど実はものすごい力を持っていたという実例は無いです。マイがかつてエンドンへ連れてくる人を間違えた時も、模様が単純な場合は生きていくのも正直難しい力量なので‥‥‥私の権限で元の世界に送り返す事もありました」

「うくう‥‥‥」


 マイがしょぼくれているのを軽く無視しておく。


「トラックで轢いといて‥‥‥そこから戻せるものなんですか」

「お茶の子さいさいです」

「どうやってさいさいするのかは聞いておかないでおきますよ」

「‥‥‥うふふ。神楽くんはやっぱり面白い」


 そうこうしているうちに模様の動きが収まり、回答を描く。


「ほら、そろそろできますよ」


 模様は幾多の線を描き、何らかの模様を描こうとしては消え、描こうとしては消え......何回か同じ行為を重ねた末に、水晶に模様は描かれることなく......残ったのは、無回答であった。

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