第5話 新人官吏は別命を受ける

 ユリやアオイと別れ、リンとツクシは無事に官吏としての初日を迎えた。

 まず最初に今年の新人官吏が全員集まって六部の長官が揃った場での着任の挨拶をする。今年の新人官吏は15人で、リンとツクシが最年少。残りの13人はいずれも20代後半から40代前半の男性であった。

 小国とはいえ官吏に採用されるための雇用試験は難しい。読み書きと計算は勿論、大陸史や近隣諸国の情勢と地理、礼儀作法や祭事のしきたりについても高い知識が問われる。この年の受験者は200名以上いたので、合格率は10%未満だった。

 そんな試験に合格しただけでも十分に国のエリートと呼べる。親しい人たちから無謀だの脳筋だのいわれたリンであるが、15歳という若さで官吏となった。これは充分に才女と呼ばれるべきことである。実は、リンは記憶力や思考力において決して周囲の人間に劣っているわけではないのだ。それでも官吏となることは非常に難しいことだった。ユリ以外の親しい人間は誰もリンが合格するとは思っていなかった。まさに努力の賜物である。また、彼女のイメージを文官の道から遠ざけたのは、何よりも身体能力が飛びぬけていたからだ。高い身体能力との対比でどうしても脳筋と呼ばれてしまう。

 そして、リンとは真逆のタイプがツクシである。今回のは15人の新人の中で首席合格となり、六部長官たちの前で代表挨拶するのが最年少のツクシとなった。

 ツクシの身体能力は並みにやや劣る程度であったが、その頭脳明晰ぶりは城下でも評判になる程であった。父親はしがない厩番で決して高貴な家柄ではないが、その頭脳を評価され、幼い頃から特待生として奨学金で私塾に通った。

 国内に存在する詩文に関してはほぼすべて暗唱し、どのような計算も即座に暗算で答えるほどだった。

 リン、ユリ、ツクシの3人で遊ぶときはユリが破天荒な思いつきを言い出し、ツクシがそれを可能とする策を考え、リンが力技で実行するというのが通例の流れであった。良行も悪戯も、いつもそのパターンで過ごしてきた。

 ヤマト国の麒麟児とまで呼ばれたツクシの代表挨拶から始まり、式部長官から激励の言葉を受け取った後、官吏としての基礎的な規則を改めて説明されたのちに、城内の行政府を案内される。リンとツクシにとっても行政府は普段立ち入らない場所であり、初めて入る部屋ばかりだった。それらが終わると日が傾き、彼らの官吏としての初日が終わろうとした。


「新人諸君、ご苦労であった。本日の基礎研修はここまでとなるが、諸君は明日から1週間ごとに各部署にて研修を受けることになる」


 初日の教官役を務めたのは式部次長のアカシという中年の男性で、リンやツクシも良く知る人物であった。官吏の人事を司る式部のナンバー2にあたる。


「明日より6グループに分かれて式部、戸部、礼部、刑部、兵部、工部の各部署を順番に体験することになる。グループ分けを読み上げるぞ。まず、最初に式部の研修をうけるのが……」


 アカシが手元のボードに挟まれた資料を読み上げる。


「……以上。各自、明日より直接それぞれの部署に行くように」


「っちょ、ちょっと待ってくださいアカシさん!?」


 リンは教官役のアカシに詰め寄った。


「リン‼お前は今日から官吏だ‼上司への口のきき方に気をつけろ‼」


 これまでの習慣で顔なじみのアカシに馴れ馴れしく話しかけてしまったことを一喝される。


「っ!失礼しました。アカシ式部次長。ただ、私とツクシだけ名前が呼ばれなかったのですが……」


「その通りだ。リン・グレン、それにツクシ・カタクラ。お前たちは確かに正式に官吏と認められている。しかし、余りに若年であることも否めない。そのため他の者とは別行動とし、半年間の特別研修期間を設ける。これは式部長官の決定だ。異論は認めない」


「そんなっ‼若いというだけで半年も追加の研修ですか!?」


 周りの新人官吏たちがクスクスと笑い声を上げた。「いい気味だ」とか、「生意気なクソガキにはいい薬だ」、「姫の幼馴染だからといって身内雇用などするからだ」などと小声で聞こえてくる。

 小国とはいえ官吏とはエリート職である。当然それだけ自尊心も高い。本来ならば20代で合格するだけでも非常に優秀で将来を期待される存在なのだ。そして、高い自尊心は深い嫉妬を生み出す。しかもふたりはこの国の姫であるユリの幼馴染であることが広く知られている。同期の仲間からでも疎まれることも当然である。


「お言葉ですが式部次長、10代で官吏になった前例はたくさんあります。しかし、それらがそのような特別研修を受けたなど聞いたことも……」


「異論は認めないと言ったはずだ。繰り返すが、これは決定事項だ」


「しかし……」


「実際に先ほど、貴様は式部次長である私に対して、新人にあるまじき言葉遣いをしたではないか。まだ貴様が未熟な証拠だろう」


 リンは俯いた。反論の余地が無い。しかし、必死の思いで官吏になったのに、初日からこの扱いではリンも納得はできなかった。


「……承知しました。アカシ式部次長」


 納得できずにいたリンに代わって返事をしたのは隣にいたツクシだった。


「仰る通り、我々は他の同期の皆さんと比べて未熟なのは明白です。皆さんと同等の仕事がこなせるわけがありません。ありがたく研修を受けさせていただきます」


「ツクシ……」


 一切の動揺無く、胸を張って正面からアカシと対面するツクシの腕をリンが掴む。


「……大丈夫。悪い話じゃないはずだよ。素直に従って」


 同期の官吏たちに聞こえない小さな声でツクシが呟いた。リンはその言葉に動揺しながらも、ツクシがこのような態度をとるなら、何か理由があるのだと無理やりに納得してアカシに頭をさげた。


「…失礼しましたアカシ式部次長。謹んで励みます……」


「……うむ」


 アカシの厳しい表情に一瞬だけ安堵の色が見えた気がした。


「それでは、リン・グレンとツクシ・カタクラはこの場に残れ。それ以外の者は解散とする」


 アカシが解散の指示を出すと、同期の官吏たちは小声で「コネ採用のくせに」とか「何が最年少で首席だ……不正があったにきまっとる」などと話しながら出口の方へと散っていった。

 それらの新人がみな見えなくなると、アカシが厳しい表情を緩め、ふたりの良く知る親しいアカシのやさしい顔を見せ、ふたりの肩を叩いた。


「すまなかったな、リン。よく我慢してくれた。そしてツクシ、お前のことだから私の考えを読んでくれたんだな。さすが首席合格だ。小さい頃から見ていたひとりとして鼻が高いよ」


「……アカシ式部次長?」


 リンはアカシの豹変に動揺するが、ツクシは単純に安堵した顔をした。


「……若年の僕とリンが同期から過剰に厭われることを見越した配慮ですよね。このままずっと同列に扱われれば、嫉妬心から彼らは僕たちを阻害するでしょう。ユリの幼馴染なこともあるし、僕らは彼らから嫌われる要素を多く持っている。だからはじめに彼らの嫉妬心を緩和させるために、薄遇をうけているように見せたってことですよね」


「半分正解だ」


 アカシはツクシの髪をクシャクシャにして頭を撫でた。


「式部長官に前もって言われていてな。ふたりは一旦、別扱いにしたほうが良いだろうという話になった。ただ、今朝になって、本当にお前たちに別命がやってきたんだ」


「別命……?」


「そうだ。申し訳ないがふたりとも、このまま式部の長官室にきてもらう」






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黒百合の守姫 向里 実記 @miki_mukaisato

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