第4話 幼馴染は城に集う

 持久力こそ劣る小狼であるが、平地でもその速度は馬に引けを取らない。リンの家から城に向かって走り、途中少し回り道をして目立たない裏門に入るのに5分程度しかかからなかった。

 しかし、街の中でも商業区、とりわけ料理の提供をする屋台や食堂では開店前の仕込みをしている時間帯である。高速で大通りを駆ける狼に向かって、ご近所感覚で大衆食堂の大将や水くみの娘などが手を振っていた。

 一国の姫が早朝から街中を狼で駆ける。それもまたこの小さな国では日常茶飯事であった。

 速度を徐々に落として裏門へと手綱をとると、不知火しらぬいは音もなく厩舎に滑り込んでいった。


「姫さま、リン!こっちこっち!」


 青い顔をした厩舎番の中年男がリンとユリに向かって厩舎の影に半身を隠しながら手を振っていた。

 リンは不知火から飛び降りると、続いて飛び降りるユリを抱きとめて優しく地面に下ろした。

 青い顔をした厩舎番と対照的に、ユリは短いながらも至福の時を過ごしてすこぶる機嫌が良い。


「ワラビおじさん、朝早くからありがとう」


「ありがとう、じゃないよ姫さま。姫さまが小狼に乗れるのを内緒にしているだけでもハラハラしてるのに……。急にアオイ様の狼を、それも特にお気に入りの不知火を黙って連れて来いなんて……。こんなのアオイ様にバレたら……」


「大丈夫よおじさん。アオイにぃは私はともかくリンには甘いから。リンが乗ったって言えば、お咎め無しの問題無しよ」


「ちょっ⁉ちょっとユリ、なんで私のせいにするのよ⁉」


「だ・か・ら、バレなきゃ大丈夫よ。さあ、リンはいよいよ出勤でしょ。いきましょー」


「ちょっとユリ!?」


 ユリは不知火の手綱を厩舎番のワラビに押し付けると、リンの手を引いて城の正門に向かって歩き出した。

 哀れなワラビは自由奔放な姫に何を言っても無駄なことを悟り、すごすごと小狼を狼房に誘導する。


「ああ、リン!」


 思い出したようにワラビがユリに手を引かれるリンを呼び止めた。

 リンとユリが足を止めて振り向くと、ワラビは被っていたハンチング帽を脱いで、ふたりに微笑んだ。


「お城へのお勤めが決まったこと、おめでとう。ツクシは張り切って、ついさっき城内に向かったよ。同期として、これからもウチの子と仲良く頼むよ」


「……もちろんよ!ありがとうおじさん」


リンは友達の父親であるワラビに笑顔で返事をした。





「……いつも気軽に来てるお城だけど、今日から官吏として働くと思うと、ちょっと違って見えるわね。まぁ、ユリにとっては今日からも自分の家だどね」


 リンは堀にかけられた橋の上から城の全貌を眺めた。リンにとっても幼い頃から頻繁に訪れた場所である。幼馴染の家であり、遊び場でもあった。父である先代の刀仙とうせんに連れられて来ることも多かった。そして、今日からはここが自分の職場となる。


「新人の官吏は7時半に式部棟の会議室よね」


「……なんでユリが新人官吏のスケジュールを知ってるのよ・・・」


「式部の長官に聞いたらすぐ教えてくれたけど?」


「ちょっと、王族の権威をそんな所で使わないでよ」


「権限なんて使ってないわ。ふつーに聞いただけー」


 いつものユリのペースでリンの緊張感が一瞬で崩壊させられたところで、橋を渡り切って城の大きな入口に差し掛かると、エントランスホールで一人の少年がふたりを待ち構えていたかのように立っているのが見えた。


「あれは……ツクシだわ!」


 ユリが駆けだして少年に近づくと、リンも追いかけた。

 

「ツクシ、おはよう。ツクシも今日から官吏ね。改めておめでとう!」


 警戒心無く無邪気にユリはツクシの胸に飛び込み、ツクシも腕を広げて受け止めた。


「ありがとう、ユリ。今日からは幼馴染だけじゃなくて同僚になるから、一緒に行こうと思ってリンを待ってたんだけど、予想通りユリも一緒だったか」


 ユリの後から追いついたリンは、ユリとは対照的におちついて背筋を伸ばし、ツクシに右手を差し出した。


「ツクシ、おはよう。今日から同期の官吏として、今まで以上によろしくね」


「ああ、こちらこそよろしく、リン」


 ツクシもしっかりとその手を握り返した。

 ツクシは厩舎番ワラビのひとり息子でリンやユリとは幼馴染であり、小さなころから3人一緒で遊びに出ることが多かった。

 幼い頃よりユリは父王や兄王子たちにやや過保護気味に育てられてきた。小狼は瞬発的には時速50kmを越える速さで走ることが可能な上、山間部の魔物らしい跳躍力を持っていて数mの壁を乗り越えることもできる非常に優秀な騎乗家畜である。その反面、騎乗中に落下するなどの事故が起これば命も危うい。そのため、ユリは幼い頃からその必要なしと、騎乗を禁止されていた。

 楽しそうに兄や幼馴染のリンが騎乗訓練するのを寂しげに見ていたユリを、内緒で父親が預かる厩舎に手引きしたのがツクシだった。

 何故かユリは不思議なほどに小狼を手懐ける才能を持ち、リンよりもずっと早く小狼の騎乗を身に着けることができた。

 最初は城内の柵内で深夜や早朝のみ、帽子を目深にかぶって顔を隠しながら小狼に乗っていたユリやツクシだったが、幼い子供がその秘密を幼馴染と共有したいと思う気持ちを抱え込むことは不可能だった。ある日こっそりと小狼に乗ってリンの家に出かけたふたりは、城に帰ってきたところを厩舎番でツクシの父であったワラビに見つかってしまう。

 ワラビははじめ、王や王子たち、リンの両親などにこのことを内緒にする代わりに、二度と小狼に近づかないようにユリに約束させた。

 しかし、その後に非常に困ったことが起こった。ユリが練習で乗っていた小狼が全く餌を食べなくなったのだった。

 初めは原因不明で困惑していたワラビだったが、その食欲不振の原因と解決法はすぐに見つかった。

 ワラビの見ている前では全く餌を食べなくなった小狼だったが、何故かやせ細りながらも数日たってもなんとか走ることができるほどに体力を保っていた。

 不思議に思ったワラビがある夜、その小狼の様子を見に行くと、幼いユリが城の厨房から拝借してきた生肉を小狼に与えていた。ユリの手からのみ、その小狼は餌を食べることができていた。

 食欲不振の原因はユリに会えなくなったストレスに因るものだと悟ったワラビは、仕方なく王家の者に内緒でユリが小狼に乗ることを了承した。

 その後、帽子を深く被り手巾で顔を隠した少女が乗る小狼が市街地で度々見かけられるが、空気を呼んだ市井の人々はそれがユリだと理解しながらも特に何も言わず静観し続けている。今となってはユリが小狼に乗っていることを知らないのは王家の人間だけと言える。


「朝から父さんがソワソワしてると思ったら、厩舎に不知火がいないからさ。ユリが不知火でリンのとこに行ったんだとすぐ分かったよ。アオイ様にバレたらどうする気なんだ、ユリ」


「大丈夫よ、行きはともかく、帰りはリンが御してたんだから、リンに甘いアオイにぃなら、『リンが乗りたいって言った』って言えば絶対許してくれるわ」


「だから、なんで私のせいにするのよ!」


「まぁ……たしかにアオイ様はリンに甘いからなぁ。確かに大丈夫かも……。あれ?あそこにいるの、噂をすればアオイ様じゃ……」


 ツクシが指さしたのはエントランスホールから中庭に抜ける出口だった。

 その先にいたのはヤマト国の王太子であり、ユリの長兄であるアオイだった。こちらが気が付くと同時にアオイも幼馴染3人組に気が付き、慌てた様子で大股に近づいてくる。


「ユリ‼‼朝から部屋にも居間にもいないと思ったら、やっぱりリンやツクシと一緒だったか!」


 アオイがユリの腕を乱暴に掴んだ。


「ちょっ!アオイにぃ!怒らないで!アレはリンが乗りたいって……」


「っちょ!?本当に速攻で私のせいにしてる!?」


 自分に飛び火が来ると覚悟したリンだったが、アオイは意外な反応を見せた


「ん?リンが乗りたいって…何のことだ…?」


 アオイは怒っているのではなく、焦っていた。


「ああ、リンもツクシも、今日から頑張れよ。王族のひとりとしてふたりの活躍に期待するからな。さあ、遅れないように式部棟へ行くと良い。さあユリ、こっちに来い!早く!!」


「いやーーーーー!着任式もふたりを見守るつもりなの……。いやぁぁぁ!!」


 アオイは早口でリンとツクシを寿ぐと、駄々をこねるユリを問答無用で引きずって行ってしまった。


「………どうしたのかしら、アオイにぃがあんなに慌てるのなんて珍しい……」






 













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