第3話 姫は白馬の勇者に憧れる

「……じゃあ、いってきます」


「いってきまーーす!」


 誰にもバレていないと思っていた官吏を目指した本当の理由が周知の事実となっていることを知り、リンはふて腐れて頬を膨らませながら家族に見送られて家を出た。

 そのリンとは対称的にご機嫌なユリは、右手でリンの手をしっかりと握り、リンの家族に向かって左手を大きく振る。

 中心地から離れているとはいえ、国自体が小さなヤマト国は王都も小さい。グレン家から城までは、徒歩で1時間ほどの道のりであった。

 グレン家のように王都に工房を構える鍛冶師は珍しい。王都の中心には王家の居城があり、立法と行政の最高機関を兼ねる。王城の周りは公共機関が集中する区画であり、軍本部、行政所、憲兵詰所、防災隊の基地、総合診療所などが集中する。さらにその区画をぐるりと囲むように商業地区が囲い、さらにその外側が一般の居住区となっている。すなわち、公共機関の区域、商業区域、住居区域が三重の同心円を描いたような形になっている。

 王都で働く人間の多くが王都に住んでいるが、人口密度は低い。居住区のはずれになれば家と家の間は広く離れており、グレン家の鉄を打つ音もそこまで近所迷惑ではないという具合になっている。

 この片道1時間程度、距離にして5km弱はヤマト国の感覚ではそう離れたものではない。そのため、リンは毎日の通勤では徒歩で登城することにしていた。小柄ながらも体力自慢のリンはこの距離なら全力で走れば15分もかからないし、ヤマト国は涼しいので夏でなければ汗をかかない程度にゆっくり走っても20分程度だった。もちろん、初日も徒歩のつもりであった。

 しかし、リンと違って体力に自信があるわけでもないユリは、この早朝のお出迎えで歩く気も走る気もさらさら無かった。


「じゃじゃーん!今日はリンの初出勤を記念して、アオイにぃの小狼しょうろうを内緒で借りてきちゃいましたー!」


「ぶっ!?」


 リンは家の門に太い綱で繋がれた赤褐色の体毛を持つ大型の狼を見て驚愕した。


「ちょっとユリ!どこの世界に出勤のために王太子の小狼を勝手に使う新人官吏がいるのよ!?」


 繋がれていたのは小狼と呼ばれる狼で、ヤマト国で唯一の乗用の家畜である。

 平地の多い他国では乗用の家畜は馬が一般的であるが、馬は険しい山道を走るのに向いていない。小狼は太古から山間部に住み着いている大狼たいろうという魔獣を品種改良して家畜化した狼であり、優れた個体であれば5m以上の落差を跳躍することができる。名前の上では狼であるが、元々は大型魔獣である大狼と比べて小さくなったというだけで、その背には人をふたり乗せることもできる大型の狼だ。

 そして、おとなしくユリに顎を撫でられて嬉しそうにじゃれつくその小狼は一般的なものと比べて一回り大きく、よく手入れされ赤みを帯びた褐色の体毛は朝日を浴びて光り、まるで炎がゆらぐかのようで美しい。


「しかもその子、アオイにぃが大切にしてる王国屈指の名狼、不知火しらぬいじゃないの!」


「そうそう、アオイにぃが立太子のときにお祝いでもらった子。小狼大好きっ子なアオイにぃの一番の宝物!」


 ユリは両手で頬を押さえながら上目遣いでリンを見つめた。ユリは幼い頃から決まって、リンを驚かせようとするとこの顔をする。目が「ナイスサプライズでしょ!誉めて誉めて!」と訴えるが、たいていその顔をするときは、ユリの悪戯によってふたりまとめて叱られるのがオチである。


「完っ全にアオイにぃブチ切れ案件じゃないの……」


「大丈夫よ、厩舎きゅうしゃ番のおじさんには話をつけてあるわ。ササっと裏門から入って返せばバレないバレない!レッツゴー‼」


 そう言ってユリはふたり用の鞍がつけられた小狼の背によじ登り、半身になって足を揃えて後ろ側に座る。


「あれ?今日は自分で御さないの?いつもは自分が前に乗りたがるのに」


 続いてリンも小狼の背に飛び乗り鞍の前側に跨った。革製のくつわを手に取ると、半身のユリがリンの腰に手を回してしっかりと掴まった。


「だって、今日はリンが城勤めになる記念日だから、リンに城にエスコートしてもらいたいの!私が小狼に乗れるのは父様や兄さま達には内緒だしね」


「記念日だからこそ、ユリが迎えに来てくれたんじゃないの?」


「だって、憧れてたんだもの。子供の頃に読んでもらった絵本の、ユグの初代女王が初めて城に入るシーン。後の伴侶となる光の勇者バルドルの白馬に乗って、しっかりと彼の腰に手を回してお城に入っていくの……」


 ユリは頬を染めてリンの背中に密着した。幼いながらも鍛えられたリンの細い胴に、ユリは遠慮なく力いっぱいにしがみついた。


「お城はユリの家じゃない。城に入るのは初めてじゃないでしょ…」


「今日はリンが官吏として初めて城に入る日でしょ。リンは私のために王家に仕えてくれるんでしょ?そうでしょ?」


「……まぁ、そうだけど」


「私の白馬の勇者様はリンだもの。今日は絶対にお姫様座りでリンにお城に連れてってもらうの!」


「……わかったわよ。私がユリを城に連れて行くわ。それでいいんでしょ」


 リンはユリの言葉で耳まで真っ赤になって照れた顔を見られないように前を向いて狼の手綱を握った。


「じゃあ、いくわよ、お姫様」


 リンが手綱を引くと、名狼不知火しらぬいはふたりを背に乗せて田舎道を走り出した。


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