第27話 騒がしい夢

 占い館の寝室に現れたのは、ボガート、サキュバスとインキュバスに続く、第三の襲撃者。直視できないほどの光に手をかざしながら、わたしは聞き取れた声から、ある人物を連想する。


「そ……その声はまさか……!」


「うわーん! 次から次へと闖入者ちんにゅうしゃが!」


 オンドレアが騒ぐのが聞こえる。まばゆい光が消え、その人物の姿を認めると同時に、わたしは叫んだ。


「ガートルードちゃん??」


 見間違えるはずもない。毎日、登下校を共にしてきた同級生。長い黒髪をなびかせて常に隙がなく、品行方正な才色兼備。人前で話すのが苦手なわたしをかばい、まるで守護者のようにいてくれた相手。

 だが、いつもなら生真面目な表情は、不遜をにじませる笑みへとすっかり変貌していた。


「ど、どうしてガートルードちゃんがここにいるの……?」


「あら、わたくしを捨てたミアさん。名前を覚えていてくださって光栄ですわ。夢ではちゃんとおしゃべりできるんですのね。それとも人によって態度が違うのかしら」


「捨てたって、いったいなんのこと? わたしはただ、あなたに頼らないようにしなきゃと思って。しゃべれるのは、明晰夢にまだ慣れていないからで……」


 予想だにしなかった人物の登場に、わたしの思考は混乱した。オンドレアはキョトンとして、首をかしげる。


「なーに? キミの知り合いなの?」


「気をつけるにゃ、ミア! こいつは人間じゃない!」


「え?」


 ネルの声にハッとし、あらためて目の前の少女を眺めれば、たしかにそれはわたしの知るガートルードではなかった。

 耳はとがっており、頭に曲がった角、背中にはコウモリの羽が生えていて、ハート形の尻尾が見え隠れしている。きっちりとした服を着込んでいるものの、つい先ほど現れた女夢魔によく似た特徴があるではないか。


「まさか、あなたもサキュバスだったの? ガートルードちゃん、あなたいったい何者……?」


 おそるおそる尋ねたわたしに、優しかった級友は首を横に振る。


「いいえ、サキュバスなどではありません。わたくしはカンビオン。同じく夢の世界の住人ですわ。あなたがこちら側に来るこの時を、ずっと心待ちにしていたんですの」


 それを聞いたオンドレアが、目を見開いて叫ぶ。


「カンビオン! サキュバスとインキュバスの子供! ……こいつは驚いた。本来、夢魔は人間と交わらなければ子孫を残せない。だが極稀に、彼ら同士で子を成すことがある。それがカンビオン」


「ええ、そのとおり。よくご存知ですわね」


「だがおかしい。カンビオンは醜くて体重が重く、七才までには死んでしまうはずだ。こんな成長した美少女のはずがない!」


「それ、褒めているんですの? それともけなしているんですの?」


 そのとき、先ほどまで倒れていたふたりの夢魔がよろよろと起き上がり、彼女の両脇に立った。インキュバスのアーヴィンが、痛みに顔をしかめながら口を開く。


「それは私から説明しよう。たしかにわれわれ夢魔は、その容姿や習性を人間にとやかく言われてきた。だがしかし、世界の優秀な美男美女と交わり続けた結果、人間を遥かに凌駕する美貌と才能を手に入れた。そしてあるとき気づいたのだ。もはや魔力に劣る人間の血など要らぬと」


「思いっきり悪魔の思想だねぇ。いや、夢魔はもともと悪魔の一種か」


 オンドレアは冷めたようにつぶやいた。アーヴィンはその言葉を気に留めることなく話を続ける。


「人に愛想を尽かし、夜な夜な異性を求める習性に逆らい、私は衰弱していた。そんなある晩、我々は出会った。あの時計塔の上で。それはかつて感じたことないほどの激情──つまりは恋だ。ああ、愛しのセルマ!」


「アーヴィン!」


 あいだのカンビオン越しに、サキュバスとインキュバスは手を交わらせた。そして自慢するかのごとく、ふたりで少女を際立たせる。


「そうして誕生したのが、このガートルードちゃんである。蝶よ花よと大切に育て上げ、鬼門である七つの誕生日を超えることができた。世界一、いや宇宙一かわいい女の子。誰よりも美しく、誰よりも優秀。これぞ完全無欠の美少女だ!」


「なんて親子バカなんだ。というか、夢魔が親子で現れるとか……」


「にゃー……」


 オンドレアとネルは呆れているようだ。話の途中から想像はついたものの、わたしはどう返せばよいかわからず当惑する。エナレスのみだらな想像が呼び寄せた事態だが、彼らはいったい何をしにここへ来たのだろう。


「それで、あなた方は何の用でいらしたんですか。ここはわたしたちの夢です……」


「にぶい! にぶすぎですわ、ミアさん!」


 ガートルードは嘆くように、セルマの肩へもたれかかった。顔をうずめる娘の代わりに母親が口を開く。


「このように、ガートルードちゃんはとてもシャイな子でして……。ミアちゃんに嫌われたとショックで寝込んでしまい、こうして私たちが参上した次第ですわ」


「は、はあ……。でもさっき言ったとおり、それは誤解で──」


「嘘よ! ミアさんはそこの性悪な泥棒猫に騙されて、わたくしを捨てたんですわ!」


「にゃにゃーっ?? いったい何の話にゃ!」


 とんだとばっちりを受けた猫耳少女は、尻尾をピンと立てた。


「とぼけても無駄ですわ、ネル! お前だけは絶対に許さない! テストで居眠りして、意図的に級長をわたくしに押しつけたくせに! そうしてその隙に、わたくしからミアさんを奪ったのですわ!」


「誤解にゃ〜! 疲れて寝ちゃっただけなのにゃ!」


「問答無用! ミアさん、力ずくでしか愛を伝えられないこのわたくしの不器用さをお許しくださいませ」


「え?」


 ガートルードは一瞬で間合いを詰めてきた。左手でわたしの腰にまわすと同時に翼で飛び上がり、ベッドの上へと移動する。そして右手の指先でわたしのあごを持ち上げ、その美しい顔を目と鼻の先にまで近づけた。


「うふふ、かわいいですわよ、わたくしのミアさん」


「なっ……!!」


 まったく動きが見えなかった。たとえ夢の世界といえど、明らかに人間業ではない。水を得た魚のように、夢のなかの夢魔は、明晰夢中の人間をはるかにしのぐ能力があるようだ。


「ガートルード! いったい何が目的なのにゃ! ミアを離すにゃ!」


 ネルは現実世界でのライバルに怒りをあらわにする。カンビオンの少女は、腰にまわした左手はそのままに、右の腕をいっぱいに広げ、高らかに宣言した。


「うふふふふ。わたくしはミアさんと共に、この夢の世界で、ふたりだけの愛の園を作りあげるのですわ!」


「……はい?」

「……にゃ?」

「エッッッッ!」


 そこでガートルードは頬を赤らめ、わたしが現実で彼女にそうしてきたように、こちらの耳元でそっとささやいた。


「甘美な夢をみせてあげる」


 わたしは顔が火照るのを感じた。するとネルとオンドレアが騒ぎだす。


「今なんて言ったにゃ??」


「絶対えっちなやつだ!」


 わたしはわずかに身を引きながら、変わってしまった級友に語りかける。


「な、何を言ってるの、ガートルードちゃん。あなたはわたしのこと、面倒に思っていたんじゃないの?」


「なんですって! まさかそんなふうに思われていたなんて……。とんでもありませんわ、ミアさん。わたくしはあなたに想いを打ち明けることができず、誤解を招いてしまっただけなのです。本当のわたくしは、あなたにもっとお近づきになりたいと、心の底から願っていたのですわ!」


 まるで非礼を詫びるかのように、こちらの手をとって真摯な眼差しを向ける。するとオンドレアは、温かい笑みで何度もうなずきながら言った。


「うーん、じつに美しい光景だねぇ。カンビオンとは百合を司る夢魔だったのかぁ。なるほどなるほど、なるほどなぁ〜」


「ええ、そうですわ。あなた、なかなか見所がありますわね。男なんてこの世から抹殺し、乙女だけの花園を作るあげるのです!」


「インキュバスかわいそう……。パパさん、苦労してるんだね。家庭内の力関係が垣間見えるよ」


「フッ、わかってくれるか。結婚は人生の墓場さ……」


「そこ、何を打ち解けてるにゃー!」


 女神の呪いによって男が女体化したエナレスは、男女の心が理解できるようだ。

 握った拳をわななかせていたネルは、右手を横に一閃し、ベッドから見下ろすライバルをめ上げた。


「ガートルード! ミアの意思を尊重しないそんな企みは、このあたしが許さないのにゃ!」


「そうだそうだ! どうやらエナレスとカンビオンの利害は一致しないみたいだ。おじさんはともかくとして、美少年は絶対に必要な存在だ!」


「ひどい!」

「わかるわ!」


 同調したオンドレアに反応を示すセルマとアーヴィン。サキュバスとインキュバスの思想は、子のカンビオンとはいささか異なるらしい。


「いいでしょう、ネル。そこまで言うのなら、わたくしが直々にお相手して差しあげますわ。ミアさん、すこし待っていてください。すぐに決着をつけますわ」


「決着……?」


 ガートルードはほほ笑みながら、困惑するわたしを解放した。そして翼を全開に広げ、右手を天に掲げて叫ぶ。


「出でよ、わが魔剣! ソウルクラッシュ!」


 突き出された手のひらからどす黒い混沌が立ち昇り、強風をまき散らせながら、彼女の手の中へと収束していく。

 現れたのは、少女が持つにはおよそふさわしくないほどの大剣。波打つ刀身はメタリックピンクで、柄にはかわいいストラップ。実用的な無骨さと、おしゃれな女の子らしさを併せもつ武器だった。


「ほお、フランベルジュか! あれで傷つけられると、治りにくいんだ」


 楽しそうに語るオンドレアの言葉に、わたしはゾッとした。夢のなかとはいえ、〝魂砕き〟と名づけられた刃に触れれば、とても無事で済むとは思えない。

 ガートルードはベッドから降り立つと、片手で軽々と大剣の切先を相手に突きつけた。


「さあ、抜きなさいネル。積年の恨み、ここで晴らさせてもらうわ。その生意気な根性、魂ごと微塵みじんに打ち砕いてあげる。ミアさんは、わたくしのものよ!」

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