第26話 夢魔襲来
視界いっぱいがまばゆく点滅し、わたしは思わず手で光を遮った。
「きゃああっ! 今度はいったい何なの~!?」
「まぶしいにゃ〜!」
「あー、とうとうやってしまった……」
約一名、違う反応をしたようだ。事情を知るオンドレアをとっちめねばならない。だがしかし、瞳を開けたわたしが見たものは、まるで予想だにしない光景だった。
なんと目の前に、下着姿も同然の男女が立っているではないか。
女性は艶かしい黒のランジェリーを身にまとい、男性のほうはワイシャツの胸元を大胆にはだけている。共に容姿の良い大人たちで、とがった耳とコウモリの翼をもち、曲がった角とハート型の尻尾が生えていた。
「うふふ。やっと見つけたわぁ。見失ったと思ったら、結界が張ってあったのね。ほんと小賢しい女だわ」
「ククク。穴がこじ開けられたお陰で、やっと入り込めたぞ。そこのお嬢さんはうぶだから、なかなかつけ入る隙がなくてね」
邪悪なほほ笑みをたたえるその面影にどこか見覚えを感じながら、わたしはおそるおそる尋ねる。
「あ、あなたたち、誰なの……?」
「あら、私たちをご存知ない? まあ、なんて性教育が遅れているのかしらぁ。いいわ、教えてあげましょう。私はサキュバスのセルマ。こっちはインキュバスのアーヴィン」
「そ、その名前……!」
「ミア、知っているのにゃ?」
「そうよぉ、私たちは初対面じゃないのよね。毎晩のように、夢で一緒におままごとをしていたの。本当は大人になるためのお勉強をしたかったのだけど、あなたはそれどころじゃなかったみたい。いつも最後はナイトメアに邪魔されていたわ」
わたしは恐怖であとずさった。セルマにアーヴィン──それは姉のドリーが持っているビスク・ドールの名前だ。ナイトメアとは、おそらくモークルを指している。まさか夢でわたしを苦しませてきた人形たちが、夢世界の住人だったとは。
「それでは、真夜中のお勉強会を始めましょうか。思春期のレディに、性の嗜みを優しくねっとり教えてあげましょう。さあ、やっちゃいなさい、アーヴィン」
「悪く思わないでいただこうか、お嬢さん。これも夢魔として生きる者の
サキュバスに指示されたインキュバスが一歩前に進み出た。尻に敷かれているのか、力関係が垣間見える。
「いったい何をしようというの……? いや、こっち来ないで……」
「にゃにゃにゃ、にゃにをする気にゃ!」
ネルも動揺しているのか足が震えている。わたしには何が起きているのか、何をされるのか、さっぱりわからなかった。
するとかたわらのオンドレアが突然、大声で泣き叫ぶ。
「うわーん、みんなボクのせいだー! ボクが釣竿とか牛乳、メロンとかバナナを夢に出したから、淫魔を呼び寄せちゃったんだー!」
「なんでもいやらしいものに結ぶつけるんじゃない! お前はフロイトかーっ!」
ジークムント・フロイト──無意識を発見し、夢の分析をおこなった心理学の第一人者。男夢魔のアーヴィンは、人間社会についての知識があるようだ。
「いやだー! ボク、淫魔ふたりに挟まれて、あんなことやこんなことをされちゃうんだー!」
「するかボケー! 我々をいったいなんだと思ってるんだ!」
「サキュバスやインキュバスといったら、寝ている人の下に潜ったり上に乗っかったりして、子作りするんでしょ! ボク、知ってるもん!」
「お前など眼中にないぞ、このちんちくりん」
「な、なんだとー、このおたんちん!」
「こらー! えっちなのはいくないにゃ! 低レベルな争いはやめるのにゃ!」
オンドレアとアーヴィンの応酬に、ネルが割り込んで邪魔をする。わたしはなんだか
「……いったいみんな、なんの話をしているの?」
「ミアはわからなくていいにゃ!」
「ええい、茶番は終わりだ! 静まれガキンチョ! さあて、極上のテクで至福の夢をみせてやるとしようか。ククククク……」
業を煮やしたインキュバスは強引に流れを断ち切って、手をわきわきさせながらこちらに歩み寄ってきた。
「いや、来ないで!」
「ラブリー・ボーイ以外はお断りだ!」
「みんな、かかれー! あいつをやっつけるにゃ!」
ネルの号令を合図に、わたしたちは手当たり次第に物を投げつけた。目覚まし時計に枕、お香に懐中電灯。たとえ夢解釈の権威であろうと分析は不可能なほどに、軽くて投げられればなんでもよかった。
「ぶはっ! ぼばっ! へぶぅ! や、やめんか小娘ども……!」
「寄るなケダモノー!」
「猫耳のヤツにだけは言われたくないわー! あひゃん!? そ、そこは卑怯……だよ……グハッ!」
アーヴィンはそれだけ言い残すと、前のめりに倒れて気を失ってしまった。どうやらオンドレアの放った一撃が決め手となったようだ。
相方を仕掛けて傍観していたセルマは、かぶりを振って肩をすくめる。
「やれやれ、大の男が子供相手に何してんだか。仕方ないわねぇ。ここはひとつ、大人の色気ムンムンのこの私が、一肌脱いであげるとしましょう。うふふ、いいのよぉ。私は女の子でもいけるクチだから。さあいらっしゃい。快楽の夢をみせてあげる」
サキュバスはすこし前屈みになり、胸の谷間を見せつけてウインクした。するとオンドレアがふらふらとした足取りで、夢魔のもとへと引き寄せられていく。
「め、メロン……果汁たっぷり、濃厚な高級メロンがボクを呼んでいる……」
「こらー! 目を覚ますにゃー!」
セルマはピンク色の頭をわしづかみにし、エナレスの小さな手が宙を泳いだ。
「みだらな妄想で導いてくれたあなたには感謝しているわ。でも、残念ながらお呼びじゃないの。用があるのは、そこのミアちゃんだけよ」
「え、わたし……?」
「にゃ? お前たち、どうしてミアを狙っているのにゃ。インキュバスはついボコボコにしちゃったけど、襲撃者にしてはそこまで手荒な感じでもなかったのにゃ。もしかして裏で手を引いているやつがいて、連れてくるよう命令されたのかにゃ」
「ぎくっ! なかなかするどい……」
「ミア、最近みた夢のなかで、こいつらとモークル以外に知らないやつが出てきたかにゃ?」
「ううん。お姉ちゃんとニーナさん、それにお婆ちゃんや動物ぐらいだよ。鏡で見たわたしが別人のようだったことはあるけれど……」
「ふむむ。ミアは最近とても頑張っていたから、変わろうという気持ちが反映されてしまったのかもしれないにゃ」
ネルは、エレーナさん──現実世界でのニーナさんと同じことを言った。するとセルマが不敵な笑みを浮かべる。
「悪いけど、変わってもらっては困るのよねぇ。あなたにはずっとずーっと、かわいいお人形さんのままでいてほしいの。私たちの大切なもののために……」
「大切なもの……?」
いくらわたしでも、目の前の夢魔たちがいかがわしい存在であるのは理解できた。だが、彼らが大切にしているものなど、考えても何ひとつ思い浮かばなかった。
悩むわたしを庇うように、ネルは前に進み出て両腕を広げた。
「聞き捨てならんにゃ。ミアは人前でおしゃべりできるように、一歩前へ進もうとしてるんだにゃ。それを人形のままでいいだなんてひどいこと言うやつは、このあたしが許さないにゃ」
「いいえ。必要なのは成長ではなく、性徴よ。邪魔だてするなら、こちらこそ容赦しないわよ、仔猫ちゃん」
セルマはピンクの髪から手を離し、ネルと向かい合う。すると呪縛の解けたオンドレアがサキュバスに向けて口を開いた。
「はっ、ボクはいったい何を! ダメだよ、おばちゃん。ミアとネルは、熱い友情かそれ以上の絆で結ばれてるんだ。ボクだって遠慮したんだから、あんたも気を使いなよ」
「な、なんですって! 今なんと言ったのです! 訂正しなさい!」
「ふふふ。もういちど言ってあげようか、お・ば・ちゃ・ん」
一瞬、烈しい怒りをあらわにしたセルマだが、からかって喜ぶオンドレアに対して首を横に振って答える。
「いえ、私が気になったのはそちらではなくて……」
「あれれ? おばさん扱いされても怒らないの? 変なサキュバス……」
「ミアちゃん、今のは本当なの? いったいどういうことか、おばさんに説明してちょうだい!」
サキュバスは明らかに動揺を見せ、こちらに詰め寄ってきた。困惑するわたしの両肩をつかみ、激しく揺さぶる。
「えっと、どういう意味でしょうか、セルマさん……。ネルは、わたしがちゃんと会話できた初めての友達で……」
「ふたりはチューも済ませてあるよ」
「余計なこと言わないの、オンドレア! あれはネコだと思って──」
「それ以上は? そこから先は??」
「そんなのありませんって! 夢のシンクロのために、一緒にお風呂に入ったぐらいで──」
「一緒にお風呂!?」
セルマはそれだけ言い残すと、額に手を当ててパタリと卒倒してしまった。
場に微妙な雰囲気が漂う。わたしは嫌な予感がした。夢の世界は、それを生んだ人間の精神状態に連動している。となればまた……。
「──おそーい。まったくもう、いつまで待たせるのよ!」
ピカピカと部屋中が瞬くと同時に、どこか聞き覚えのある声が響いてきた。
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