第25話 猫の女王

 静寂に包まれた部屋で最初に言葉を発したのはわたしだった。レイピアを携えて二本足で立つサバトラに対し、静かに話しかける。


「猫さん、助けてくれてありがとう」


「にゃ……。ふたりとも無事でよかったにゃん」


「ねえ、その声。あなた、ネルなんだよね?」


「ち、違うにゃ。あたしはさすらいのケット・シーにゃん」


「ごまかしても無駄だよ。その声、絶対ネルに間違いないもん。どうして猫の姿をしているの? それにどうして黙っていたの?」


「に、にぅ……」


「ねえ、答えてよ。わたし、ずっとあなたのこと探して──」


 後ずさる猫の妖精に詰め寄ると、オンドレアが横から制した。


「やめるんだ、ミア。おそらくこの子は人間じゃなくて、ケット・シーが真の姿なんだよ」


「……どういうこと? 本当なの、ネル? 事情を説明して」


 うつむいていたサバトラは武器をしまうと、観念したように顔を上げた。


「ごめん、ミア。その子の言うとおりだよ。本来のあたしは、妖精たちが住む世界の住民。姿を変えて、人の世で暮らしてたんだ」


「どうして……」


「あたしは人間の世界に興味があったんだ。黙っていたのは成り行きで、ミアに嘘をつくつもりはなかった。どうしても知られるわけにいかなかったんだ。お願い、信じて……」


 するとオンドレアが、ネルを擁護するように口をはさむ。


「ボクの姉さんも別人を装っていたでしょう? ふたつの世界を行き来できることは、おいそれとひとに教えるわけにはいかないんだ。双方に混乱が生じてしまうからね。ミアは姉さんから信用できる子だと認められただけで、本来は極秘事項なんだよ」


「そうだったの。責めてしまったみたいで、ごめんね。わたしはただ、ネルとシンクロできなかったのがショックだっただけなの。でも、そうじゃなかったんだね。よかった……」


 わたしはたぶん、うれし涙を流していた。うるんだ視界の中で、猫の妖精はうなずきながら答える。


「うん、ずっと一緒だったよ。嘘をついていて心苦しかったけど、すごく楽しかった。あたしたち、ちゃんと夢のシンクロができたんだよ。オンドレアもありがとう。あらためてよろしくね」


「こちらこそよろしく。まあボクは、キミがネルなのは途中で気づいたけどね。でもあんなに強いとは思わなかった。あの剣さばきに魔法……キミ、只者じゃないね。いったい何者なんだい?」


「やだな、あたしはただのケット・シーだよ。人間の世界に留学して、世の中の仕組みをいろいろ勉強していたんだ。いつの間にか、あのまま学校生活を謳歌おうかするのもいいかな、なんて思っていたけど」


「ねえ、オンドレア。ネルは運動神経が抜群で、頭もいいんだよ。居眠りさえしなければ、級長とか生徒会にだってなれるんだから……」


 わたしはネルが褒められたのがうれしくて、自慢するかのように説明をする。サバトラは照れくさそうに頭をかき、耳がかわいらしく折れた。

 ──その時だった。


「それだけではニャい!」


 突然、扉が乱暴に開かれて、聞き慣れぬ老人の声が部屋中にとどろいた。

 見れば、腰を曲げた一匹の猫──おそらく年老いた男性のケット・シーが立っているではないか。


「……どちらさまですか?」と、わたしは尋ねた。


「吾輩はケイスネスの女王補佐官である。そしてそこにおわすは、クニャネルカ二十二世・女王陛下であらせられるぞ!」


「ええっ!? ネルは猫の女王さまだったの!?」


「左様。我らの女王は百年に一度、一匹だけの特別な個体をお身ごもりなる。ネルさまは由緒正しきケイスネス王家の血統で、先代女王の失踪にともない、現女王となられたのでありますぞ」


 それに対しネルは、小さな前脚をわたわたさながら全力で否定する。


「違う! この爺さんが勝手に言っているだけだよ。ケイスネスなんてとっくの昔に滅んだ王国なのに、子孫だからって祭り上げられてるんだ」


「違いませぬ! ネルさま、まだそんなことをおっしゃっているのですか。ケイスネス復興は我々ケット・シーの悲願。人間社会への留学を許可したのも、すべてはそのためだったではありませんか。それなのにすっかり入り浸って、戻ってやきやしない」


「夢のなかでまでお小言はよしてよ。だいたい、どうして爺やまでこの世界に来ているの?」


「吾輩だけではありませんぞ。皆の者、入って参れ」


 開かれた扉から、二足歩行の猫たちがぞろぞろと現れる。その数ざっと三十近く。そのなかに見覚えのある者を見つけたわたしが叫ぶ。


「あっ! 屋敷で見かけたメイド猫! それにあなたたちは、おデブとハンサムの凸凹コンビ!」


「ご機嫌麗しゅうございますにゃ。その節はどうも」


「よう、お嬢ちゃん、また会ったな」


「フッ……。元気だったかい、ベイビー」


 その口調には驚きを禁じ得ない。喜んでおじさん猫をなでていたのかと思うと、非常に複雑な気持ちになった。夢のなかだからか、彼らの年齢もなんとなくわかってしまうのだ。

 すると、ほかの猫たちもひとこと言いたくなったのか、口々に騒ぎ始めた。


「我々もこっそり研究所に潜り込んでいたのですにゃ」

「ベッドの下に隠れてて、みんなが寝静まってからシンクロを試みたんだにゃ」

「早くケイスネスに戻って、猫の王国を造ってほしいにゃ」

「ネルさま、自分だけ雲海に行くなんてずるいにゃ」

「ミア〜、またナデナデしてほしいのにゃ」

「お腹すいたにゃー」

「夢なんだから、自分で想像すればいいのにゃ」

「あったまいいにゃー」

「そうだ、館の猫草を補充しておいてほしいのにゃ」

「にゃ、にゃ……マタタビが切れたにゃ……」


 わたしとオンドレアはそのファンシーな光景に顔をほころばせた。しかしネルは怒ったように体をプルプルと振るわせていて、やがて猫たちの大騒ぎに収拾がつかなくなると、とうとう大声でブチ切れてしまった。


「こらー!! にゃーにゃーうるさいにゃー!!」


『にゃって言ったにゃ!』


「にゃ!?」


 配下から総ツッコミを受けたネルは、小さなお手手で口をふさぐ。


「んもー! せっかく人間になれたのに、お前たちのせいで元に戻っちゃったにゃ!」


「だめにゃ! 王国を再興するのが女王の使命にゃ!」


「そうだそうだ! ケイスネスを立て直すのを忘れちゃ困るにゃ!」


 彼らにとっては深刻な話なのだろうが、わたしにはほほ笑ましい光景にしか思えない。黙って様子をうかがっていると、ネルは首を横に振って、追い払う仕草をした。


「とにかく、二千年以上も前に滅んだ王国の末裔だなんて言われても、あたしはそんなの受け継ぐ気はにゃいの。悪いけど、ほかをあたってほしいにゃん」


『にぅ……』


 ケット・シーが皆揃ってしょぼんとしてしまったので、わたしは彼らに助け舟を出す。


「ネル、この子たちが可哀想だよ。すこしは言い分を聞いてあげたら?」


「いいの。ミアにはかわいい猫に見えているかもだけど、みんないい歳した大人たちにゃんだから。ひとの夢を壊さないで! あたしは人間になるの!」


 ネルは尻尾をピンと立てて声を張り上げた。同時にボンッという音がして煙が巻き起こり、彼女は人型に変身した。


「ほら、これで完璧にゃ。あたしは人間、お前たちは猫。長く続いた付き合いも、ここらでおしまいにするにゃ」


 腕を組み、顔を合わせぬように背ける。

 しかしその場にいる者は、ネルを除いて、みな腹を抱えて笑い出した。


『にゃははははっ!!』


「あはは! ネルってば、かわいい〜!」


「ぷぷぷ! キミ、耳と尻尾が出ているよ」


「にゃにゃにゃ……? おかしい、こんにゃはずじゃあ……」


 ネルは何度も変身を試みるも、ことごとく失敗に終わった。やればやるほど泥沼になり、ケモ度が上がっていく始末。どうやらわたしが空を飛べなかったのと同じ現象が、ネルのなかでも起きているらしい。


「ネル、そのままでもかわいいよ」


「や、やめるにゃ。かわいいって言うにゃ!」


 彼女はなんとか最初に変身した猫耳少女の状態に戻る。女王補佐官を名乗った老人は、それを見て呆れるように言った。


「ほれみなされ。誇り高きケット・シーが人間になるなんてもっての外。さあネルさま、こちらに来るのです」


「いやにゃあ〜、夢のなかぐらい自由にさせてくれにゃ。助けて、ミア! あたしを飼ってほしいにゃ!」


 行き詰まったネルは、わたし胸の中に飛び込んできた。


「ええ??」


『にゃにゃー??』


「おぉ……。女の子が猫耳少女を飼う、か……。なんかエッチな展開だ……」


「あなたはどんな想像しているの!」


 姿勢を低くして胸に顔をうずめるネルの頭をなでる。この夢ではたびたび彼女を抱っこしてきたから、そこが落ち着く場所になってしまったようだ。

 妙な成り行きに当惑するも、なんだかこの猫たちが気の毒に思えてきた。わたしはこの夢を結びつけた責任から、仲を取りもって事態を収束させようとした。


「あなたたちもネルの意思を尊重してあげて。わたしも相談にのるから、夢から戻ったらまたゆっくり考えればいいよ。それよりこの夢は今、とても危険な状態にあるの。さっき、いつもわたしの悪夢に現れる怪物が現れて、わたしの大切な髪飾りを盗んでいってしまった。とにかくなんとかしないと……」


 するとネルはがばと顔を上げて、身振り手振りで訴える。


「そうだったにゃ。あのボガート──ミアがモークルと名づけたあいつをやっつけて、髪飾りを取り戻しにいかにゃいと。とても危ない敵だから、お前たちは館に戻って今すぐ寝るにゃ」


「我々もお供しますにゃ」


「はっきり言って足手まといにゃ。みんな国造りのための文官ばかり。戦えるのはあたしだけにゃん」


 ネルの配下たちは『にぅ……』と言って、またしょんぼりしてしまった。


「……さっきはあたしも悪かったにゃ。夢から覚めたらもういちど話し合うにゃん。だから今は言うこと聞くにゃ」


 猫たちは小さなお手手を口元に添え、お互い見つめ合った。そして全員でうなずき合い、おとなしく女王の命に従って部屋を出ていった。

 三人だけになったわたしたちは、しばらく無言のまま顔も合わさずにいた。そんななかオンドレアが突然、口を開く。


「そういやキミたち、出会ってすぐにチューしてたね。どこまで進んでるの?」


 突然、周囲がピカピカと瞬いて、部屋に何かが飛び込んできた。

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