第24話 イタズラな妖精

 占い館に入ると中は真っ暗で、ランタンが照らし出す先に、美しい夢占い師が望遠鏡をのぞき込む姿が見えた。


「ただいま戻りました、ニーナさん。遅くなってごめんなさい」


 わたしがおそるおそる声をかけると、彼女は笑顔で振り向いた。指先ひとつで燭台に火を灯し、部屋をぼんやりと明るくする。


「おかえりなさい、ふたりとも。楽しかったかしら?」


「はい、とっても。わたしたち、オンドレアが想像した夢に行ってきたんです。雲海でイルカに乗せてもらって、上陸した島でカラフルな木を見つけました。それに、船や竜に乗った冒険者たちを見かけましたよ」


「ふふ、すばらしい明晰夢をみれたみたいね。あなたならきっと、立派な夢占い師になれるでしょう。さあ、落ち着いてゆっくり聞かせてちょうだい」


 するとオンドレアが、後ろからわたしの裾を引っ張った。そこで段取りを思い出し、緊急事態を知らせることにした。


「あの、じつは……。オンドレアの調子が悪くなってしまって、悪夢を生みそうになったんです。だから全員、次の夢に行ったほうがいいかもしれません」


「どうやらそのようね。教えてくれてありがとう、ミアちゃん」


「どうやって次の夢に行くんでしょうか?」


「簡単よ。次の夢を考えながら眠ればいいの。寝室を整えておいたから、ふたりはそこで寝るといいわ。私はソファーを使うから」


「はい、ありがとうございます。それじゃあ行こう、オンドレア」


 安堵したわたしは、お辞儀をして寝室へ向かおうとした。しかし廊下に差しかかったとき、背後から甘くて優しい声が聞こえてきた。


「ところでオンドレアちゃん。私に何か言うことはない?」


「ぎくっ!」


「まがまがしい流星が落ちるのが見えたわ。こっちに来て説明しなさい」


「それはその……昔のつらい記憶を思い出しちゃって」


「私に嘘をついても無駄よ。あれほどクギをさしておいたのに。嘘をつく子はお仕置きです!」


「ぴえ〜ん。助けて、ミア!」


「いいから来なさい! 破廉恥は許しません!」


 ニーナさんはオンドレアの首根っこをつかんでソファーに連れていき、ひざの上にうつ伏せで寝かせる。お尻をぺろんとめくるや、間髪をいれずにひっぱたき始めた。


「きゃあああ! 痛いっ! ごめんなさい! 許して! うわ〜ん!」


「に、ニーナさん、なにも夢のなかでまでお仕置きしなくても……」


「ミアちゃん、悪いけどわが家の教育方針に口をはさまないでちょうだい。この子を義妹にすると決めたその日から、叱るときは叱ると決めているの」


 ぷりんとしたオンドレアのお尻は、たちまち真っ赤になってしまった。

 わたしは身を縮こまらせ、甲高い悲鳴にじっと耐える。ここは夢のなかであり、肉体は存在しない。これはあえていうなら心罰だ。よかった、体罰なんか存在しなかった。

 それにしてもオンドレアはいったいどんな想像をしたのだろう。彼女が呼び寄せた存在とは何者か。わたしには知る由もなかった。


 しばらくしてお仕置きが完了すると、ベソをかく少女をなだめながら、わたしは寝室に向かった。広い部屋には、天蓋付きの立派なベッドがふたつ並んでいる。ニーナさんからは、おしゃべりはほどほどにしてすぐに寝るよう言い聞かされていた。


「力になれなくてごめんね。夢だから感触はないはずだけど、痛そうだったね……」


「いつも現実でやられてるから、脳が痛みを覚えてるんだ。姉さんは悪夢の上書きだなんて言い訳してるけどさ。まったく、ミアの前で恥をかかせるなんてひどいよ」


「お陰でオンドレアのこと絶対に忘れなくなったよ。次の夢でもまた会えるといいね」


「うん。ボクもキミのこと忘れない。同い年の子に優しくされたのは初めてだ」


 サバトラも別れを惜しむように、小さく「にゃぁん……」と鳴き声をあげた。


「うん、キミも慰めてくれてありがとう。また会おうね。それじゃおやすみ」


「おやすみなさい、オンドレア。いい夢を」


 わたしはベッドに入った。ニーナさんと別れの挨拶はできなかったが、どうせ目が覚めれば会えるのでよしとしよう。いろいろあったが、とても楽しい夢だった。次はどんな出会いが待っているだろうか。


「ネルは今ごろどんな夢をみてるかな……」


 何気なくつぶやくと、抱いていたサバトラが小さく喉を鳴らした。


「うんうん、このままあなたも一緒に行こうね」


 さて、あらためて次の明晰夢へと旅立つとしよう。夢のなかでさらに夢をみるなんて考えたこともなかった。現実同様、頭のなかで構想を組み立てていく。

 まずはネルと合流するのを目標に定める。ひょっとしたらあの子は猫屋敷に行ってしまったのかもしれない。たぶんそうだ、一番ありえる。

 せっかく自由に想像できるのに、妖精に会えなかったのはやはり心残りだ。次はかわいい生き物がたくさん出てくるといいな。

 まだ未熟なのに、あまり欲張ってもよろしくない。そのふたつに絞ったわたしは、瞳を閉じてじっとその時を待つことにした。段々とまどろみ、意識がぼやけていく。


 ──ふと、ひんやりとした何かが頬に触れた気がした。


「きゃあああああ!?」


「ニャニャ??」

「どうしたの??」


 びっくりして飛び起きると、驚いたふりをした犯人をすかさず問い詰める。


「オンドレア! あなたイタズラしたでしょ!」


「ち、違うよう。ボクそんな事してないよ」


「ウソおっしゃい! ほら、あなたの手、とっても冷たくて……。あら? あったかい……」


 相手の毛布を引っ剥がして手を握ると、それはじんわりと温かかった。実際に熱を帯びていたかはともかく、そう感じたのだ。


「も〜、心外だよお。いつも体温高いって言われるもん」


「疑ってごめんなさい。あなたはとても心が温かいものね。でも何だったのかな。たしかに冷たいものがほっぺたに当たったの。起こしちゃってごめんね」


「隙間風かもね。それじゃあらためて、おやすみ〜」


「おやすみなさい……」


 先ほどオンドレアが泣いたせいで雨が降り、気温が低下したのかもしれない。あれは気のせいだったのだろうか。

 わたしは再びベッドに戻ると、念のため毛布をかぶった。やがて心に平穏を取り戻し、次の世界を思い描き始めた矢先のことだった。


「きゃあああああ!! 助けて! 今度はボクんとこに来た!」


 オンドレアが悲鳴をあげてわたしのベッドに飛び込んでくる。先ほどのお仕置きには同情したものの、彼女は嘘つきの常習犯との疑いをもったわたしは、辛辣に対応した。


「ちょっと、どさくさに紛れて抱きつかないで! この部屋にはわたしとあなたしかいないのよ。どうせまたイタズラを思いついて、からかっているんでしょう」


「違うよう。ボクもほっぺた触られたんだってばぁ……」


 どうも嘘をついている様子には思えない。心が半分男の子であると主張するエナレスだが、どう見ても女の子でべつに抵抗も感じなかったわたしは、このまま一緒のベッドで眠ることにした。

 悪さをしないようにがっちりと手を握り、みたび瞳を閉じる。彼女の手からは愛らしさが伝わってくるが、先ほどの気配はとても不快に感じた。


 ──何かがおかしい。


 わたしとオンドレアは同時に飛び起きた。彼女は同時に枝を振るって照明を点け、部屋を煌々と照らし出す。


 目の前に、二足歩行の不気味な生き物がいた。ボロボロの服を着た小柄な妖精だ。頭髪はなく、長い耳をしている。

 突然の光にうろたえたようで、ギョロついた目を見開いて口をあんぐりとしていた。


「な……何よあれ……。ゴブリン?」


「違う……、こいつはボガートだ!」


 落ち着きを取り戻したオンドレアは、おびえるわたしに、この奇妙な妖精について説明する。


「安心して。こいつはイタズラ好きだけど、そこまで害があるやつじゃないよ。ふう、びっくりした。もっとヤバいのかと思った」


「ギャギャッ!」


「ほら、しっしっ。どっか行ってくれよ。まったく、いったいどこから入ったんだか」


「うーん。見覚えのある雰囲気だけど、初めて聞く妖精ね……」


 わたしは、オンドレアに注意されていたにもかかわらず、安易に妖精を想像したのを後悔した。夢のなかでは、なにかしら接点があるだけで、想定と異なるものが簡単に生まれてしまうのだ。

 どうしたものかと思案する。三年前にいま住む地域に引っ越してきたわたしは、アルト・クルート──北イングランドからスコットランドにかけての妖精物語を知らない。しかし幼いころ聞きかじった知識のなかに、目の前の妖精を撃退できるかもしれないものがあった。

 すなわち、妖精は個の名前をもっておらず、人に名づけられると、喜んだり怒ったりして家を出ていくというものだ。


「あなたは耳が大きくて、お姉ちゃんが持ってたわたしの苦手な人形にどことなく似てる気がする。だからあなたの名前はモークルよ。ほら、名前をあげたんだから、今すぐ出ていってちょうだい」


 するとかたわらのオンドレアがとんでもない絶叫をあげる。


「あああああ!?」


「な、なによ、そんな大声を出して……」


「ニャニャー!?」


「どうしたの? ネコちゃんまで」


 サバトラは尻尾をピンと立てて、威嚇のポーズをした。異様な雰囲気にわたしが当惑していると、オンドレアは震える指先で前方を指し示す。


「あ……あれを見てぇ……」


「うん?」


 メキメキという謎の音がする。わたしは、今しがた名前を与えたモークルのほうを見た。

 そこには、つい先ほどとはまるで別物の、恐ろしい容姿と化した怪物がいた。

 こちらよりも小さかった体は見上げるほどに巨大化し、全身が毛むくじゃら。大きく開いた口から鋭い牙をのぞかせ、涎が滴り落ちている。


「きゃあああああ!? 何あれえええええ!!」


「どどど、どーして名前つけちゃったのさ! ボガートは無害だけど、それだけはやっちゃダメなんだよお!」


「だって知らなかったんだもん! 出ていくってお話もあるでしょ!」


 今やモークルは、わたしの悪夢にたびたび現れる姉の人形そのものだった。長い舌で自らの口の周りを舐めまわし、腕を上げて攻撃体勢をとる。わたしは思わずサバトラを抱きしめ、叫んだ。


「いやあっ! 助けて、ネル!」


 あの子がここにいないのはわかっているのに、救いを求めてしまった。たとえ自分が食べられたとしても、せめてわたしのネコだけは守り抜きたい。

 そう思った瞬間、サバトラは暴れて腕から飛び出すと、怪物の前に二本足で立ち上がった。人の言葉で高らかに叫ぶ。


「回れマカイラ! 出でよ、わが聖剣よ!」


 すると虚空から、一本の光り輝く突剣レイピアが回転しながら降ってくる。猫は跳躍して見事にそれをキャッチすると、果敢にモークルへ飛びかかっていった。


「グギャアアア!」


 咆哮がとどろき、怪物は黒光りする爪で攻撃を難なく受け止める。火花が飛び散り、交錯した二匹は距離をとってにらみ合った。

 魔術の心得があるオンドレアが驚嘆する。


「今のはマカロマンシー! 魔法剣士か!」


「マカロ……? いったいどういうことなの」


「武器を召喚する呪文だ。あの子はネコのふりをした妖精、ケット・シーだったんだよ」


 猫好きのわたしはもちろんその名を知っていた。しかし今まで抱いていたサバトラがそのような存在だったとは、まるで予想だにしなかった。

 小さなケット・シーの剣士は俊敏な動きで巨大な怪物を翻弄する。乱暴な攻撃をかいくぐり、おもちゃのような武器を連続で繰り出し、次第に敵を壁際へと追い詰めていく。

 怒ったモークルは剛腕を横なぎにするも、次の瞬間には長い爪をすべてバラバラに切り落とされた。圧倒的な力量の差を前に、悔しそうに不快な歯ぎしりする。


「グギギギ……」


「強いぞあの子! いいぞ、やっちゃえ!」


 オンドレアが少年のように興奮するかたわらで、わたしは先ほどサバトラが叫んだ声が気になっていた。間違いない、あれはまさか──


「危ない、ミア!」


「え?」


 突然、モークルがこちらに向かって突進してきた。わたしは微動だにすることができず、巨大な手のひらに頭を鷲掴みにされた──と思った。

 髪の毛を払われる。わたしは後ろによろめいて、ベッドの上に尻餅をついた。


「きゃあっ!」


「大丈夫か、ミア!」


 何をされたのかはすぐにわかった。髪飾りだ。なぜかモークルは、わたしの大切な宝物を奪ったのだ。

 そしてそのまま壁に向かって突っ込む。その直前に出現した真っ黒な渦の中に入り込み、怪物の姿は一瞬にしてかき消えた。

 渦はたちまち霧散して、部屋には茫然としたわたしたちが取り残された。

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