第23話 ゆらぎのオンドレア

「レッツ・ファイヤー!」


 オンドレアは掛け声とともに、魔法のステッキでから炎を解き放った。適当に組まれた流木にたちまち火がついて、めらめらと炎が立ち上がる。


「すごい。さすがは夢占い師ね」


「違うよ、ボクはエナレス。この杖は柳でできた特別なものなんだ。ほかにも菩提樹ぼだいじゅの皮を使ったりもするよ」


「それってどういう占い師なの?」


「聞きたい? キミは知らないみたいだから、教えるかどうか迷っていたんだけど」


「もしかして言いづらいことなの?」


 彼女は口ごもって、しばらく考えるそぶりを見せてから、ゆっくりと口を開く。


「エナレスとは、女病のことなんだ」


「え……。そういえば、病気って言ってたね。女性しかならないものだったんだ」


「ううん、違うよ。男しかならないよ」


「うん?」

「ニャ?」


「病気というよりは呪いであって、男が女になっちゃうんだ」


「えええええ!?」

「ニャニャー!?」


 わたしとサバネコは飛び上がって驚いた。にわかには信じがたく、ストロベリーブロンドをショートカットにした小柄な人物をまじまじと見つめる。


「ということは……。あなたまさか、男のなの?」


「いんや、違うよ。男として生まれる予定だったのが、女になったんだ」


「ああ、そういう……。そんな子もいるよね」


 何度か接触していたので、なんだかちょっとほっとしてしまった。一方、相手は真面目な表情で訴えるように言った。


「そうじゃないんだ。エナレスは一族にかけられた呪いであって、キミの考えるものとは仕組みが違う。ボクらが属するオセットの民は、アランと呼ばれる遊牧民からきているとされ、その源流はかの有名なスキタイにある。エナレスはそこから伝わる、とても古い占い師なんだ」


 スキタイは古代のコーカサス地方に出現した強大な騎馬民族だ。歴史で聞きかじった記憶はある。彼女あるいは彼は、混乱するわたしに説明を続ける。


「あるときスキタイ人がエジプト遠征から引き返した際、とある女神の神殿を荒らした。女神は大層お怒りになり、男性が女体化する呪いをかけた。以後、ボクの一族は、男児が女児として産まれるようになったんだ」


「そ、そんなことが……。それじゃああなたのことは、男の子として扱うべきなの?」


「ううん。ボクのなかで男と女がせめぎ合っていて、どっちかわからないんだよ。男の子のことも女の子のことも、両方好きになっちゃうんだ。だからボクはボクとして扱ってほしいかな。これまでどおり、女でもいいけどね」


 いわゆるBとQに近い分類になるのだろうか。かなり特殊な経緯ではあるが、べつに今の時代、理解できないものでもない。オンドレアが少年のような格好をしている理由もそこにあるようだ。


「わかったわ、オンドレア。なるべくそうするね」


「理解してくれてありがとう。ボクのいない間に、表世界の価値観には変化があったんだね」


 わたしはオンドレアの性別をエナレスと理解し、見た目のまま女の子として接することにした。


「ボクの名であるオンドレアは、男らしいという意味の名前が、女性らしいものへと変化したものなんだ。ぴったりの名前を遺してくれた両親には、今でも感謝している」


「すてきな名前だね」


 みなしごと言っていたが、両親はどうしてしまったのだろう。明るくて予想のつかないオンドレアだが、ときおりみせる暗い一面が根深いもののように感じられる。

 雰囲気がすこししんみりしてしまったので、想像力豊かな彼女に夢のある言葉を期待し、わたしは別の質問を投げかけた。


「ねえ、あなたが望んでる夢ってなあに?」


「聞いちゃう? 今ここで聞いちゃう? キミはだから、ボクは気を使って本性を隠していたんだ」


「なによ、そんなもったいぶって。気なんて使ってほしくないな。わたしたち、もう友達でしょう?」


「いや」


「えっ……」


「親友、いや大親友だ!」


「も、もう、驚かせないでよ。よかった……」


 ネルとのシンクロに失敗してしまったように、わたしはまた距離感を間違えてしまったのかと思った。


「でもボクの夢ってのは、そういう関係の先にあり、時に友情を壊すことでもあるんだ。だからボク、ミアとは我慢しようと思ってる」


「あなたって哲学的なのね。関係はともかく、あなたの夢を教えてよ」


「そこまで知りたいのなら仕方ない。でも聞いたからって失望しないでよ」


「しないよ、約束する」


「それじゃあ教えよう。ボクの夢、それは……。かわいい男の子と女の子をセットではべらせることなんだ。そうしていつか、自分だけの大ハーレムを築くのだ!」


「…………はい?」


「そしてあーんなことや、こーんなことをして、デヘデヘ……」


「あなたって、髪だけじゃなく脳みそまでもピンクなのね……」


「ふふっ、よく言われるよ。でもキミとこの話ができてよかった。ミアに嘘はつきたくなかったから。ところで、キミの夢はどうなの? 好きな子はいる?」


「え……。わたしの夢は、人前で話せるようになることだけだよ……」


 思えばわたしは、幼いころに人間自体が嫌いになってしまったから、恋愛など意識したこともなかった。だから、動物のことばかり考えて生きてきた。


「またまたー、もう話せてるでしょ。それより、女の子同士の恋愛もありだと思わない?」


「ニャーニャー!」


 オンドレアが赤らめた顔をわたしに寄せてくると、サバトラはあいだに割って入った。


 ──その時。雲海のはるか遠くが瞬いて、複数の流れ星が降ってくるのが見えた。


「ねえ、あれを見て、流星群よ! きれい。わたしたちの夢が叶うかもしれないね。あら? なんだかどんどん近づいて……」


 すると、だらしのない表情を浮かべて妄想を語っていた少女の顔は、瞬時に険しいものとなる。


「し、しまった、油断した……。こんな話、やはりキミとするべきじゃなかった。今すぐ姉さんのもとへ帰ろう!」


「え、どういうこと?」


「いいから飛ぶんだ! ボクたちの夢に、何者かが侵入したのを感じた。今すぐ逃げないと危険だ!」


「ええっ!?」


 オンドレアは手にした枝から水を飛ばして焚き火を消した。続けてホウキを呼び出してまたがると、ランタンを先端に吊り下げる。

 わたしが見よう見まねで同様にすると、彼女は無言で急発進した。慌ててあとを追い、サバトラを乗せて夜空に飛び立つ。

 高度を下げて全速力。ゆく手からは向かい風が吹きつけ、上空の雲海がたちまち霧散していく。ようやく軌道が安定して横に並ぶと、わたしは説明を求めた。


「ちょっと待ってよ、事情を説明して!」


 するとオンドレアは苦虫を噛みつぶしたような表情で、下を向きながら答える。


「ボク、前に言ったでしょ。想像が本物を引き寄せることがあるって。相手が誰なのかもわかってる。とんだ大失態だ。これはまた、姉さんにお説教されちゃう。ああ見えて怖いんだよ。お尻をいっぱいたたかれる。うぅ……」


「ちょっと、泣かないでよ! 暗い気持ちになったら今度は……って、きゃあああああ!」


 突然、天気が大荒れになった。激しい風に吹き飛ばされないよう体勢を低くし、サバトラをお腹に抱く。オンドレアはふらふらと蛇行し、今にも墜落しそうだ。

 ここままではまずい。そう判断したわたしは、自分のホウキを消して彼女のもとへ飛び移る決意をした。


「ネコちゃん、行くよ。つかまってて!」


「ニャン!」


「ええーい!」


 あのおとなしい自分が、夢のなかではこんなにも大胆なんて。無事に飛び移ったわたしは、オンドレアを後ろから抱くようにホウキをつかみ、軌道を安定させる。


「ほら、しっかりして! エナレスでしょ!」


「うぅ……」


 陽気なオンドレアをここまで恐怖させるとは、怒ったニーナさんはどれだけ怖いのだろう。わたしも気をつけたほうがよさそうだ。

 しばらくすると彼女は泣き止み、天候も回復してきた。


「落ち着いた? わたしたち、なんとか嵐から逃げ切れたみたい」


「ねえ、ミア。ボクがやらかしたこと、姉さんには黙っててくれる? 適当に言い訳をするから、合わせてほしいんだ……」


「いいよ、もちろん。なにが起きたかもわかっていないし、尋ねたのはわたしだもん。怒られるときは一緒よ」


 突然できた手間のかかる妹のようで、同い年なのに頭をなでたくなる。家でも学校でもひとに助けられてばかりのわたしは、初めて誰かを守った気がした。


「ありがとう。残念だけど、この夢はもう終わらせたほうがよさそうだ。さすがに別の世界までは追ってこれないはずだから」


「そっか……。せっかく会えたのに、お別れしないといけないのね」


「ごめんね……」


「謝らないで、オンドレア。あなたのお陰でとても楽しかったよ。目が覚めたらすぐに夢日記を書いて、今夜のこと絶対に忘れないから」


 わたしたちが占い館に到着したころには、天は美しい星空となっていた。夜と表現してよいかは迷うものの、すっかり遅くなって悪いことをした気分だ。オンドレアを背中に隠すようにして、わたしは扉をそっと開いた。

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