第22話 不思議な世界

「風がとっても気持ちいい。飛べるようになって本当に良かった」


「うんうん。こればっかりは、女の子で生まれて良かったと思うよ」


「魔女といったらホウキだもんね」


 わたしとオンドレアは青空の旅を楽しんでいた。すでに人工物の影は見当たらず、鳥や飛行機に遭遇するわけでもない。上空にはなんの変哲もない雲が浮かび、眼下には特徴のとぼしい自然が延々と続く。

 そろそろ次の出会いが欲しくなったわたしは、隣で鼻歌を奏でる少女に尋ねた。


「ねえオンドレア、いったいどこへ向かっているの? 長城は見当たらなかったけど、スコットランドの位置ぐらいには来たのかな」


「さあね、気の向くままに飛んでた。ボクは映像記憶に優れているわけでもないし、もうこの世界はアルト・クルートではなくて、グチャグチャになっちゃった」


「ええ……!」


 この子の考えはてんで予想がつかない。とはいえ自らが住む土地を正確に思い描くなど、神さまでもなければ到底不可能だ。


「キミに何か希望があれば考えてみるよ」


「そうね。わたし、妖精が見てみたいな。自分には思いつかない奇想天外な夢になると思うの」


「うーむ。妖精には夢にまつわる種族も少なくない。彼らはむしろ夢こそが現実のようなものだから、出くわすと危険かもしれないよ」


「夢の生き物は想像したものが形になるんじゃないの? 偶然にシンクロしたのでもなければ、映像みたいなものだと思うけど」


「そうだけど、それだけじゃない。類感呪術といって、似たものは引き寄せられる性質があるんだ。偽物だと思っていたら、いつの間にか中身が本物に入れ替わっていたりね。妖精には油断ならない相手が多いから、うかつに会うのはやめておいたほうがいいと思う」


「そっか、それは怖いね……。わかった、今回はやめとこう。それじゃあ、どこか安全でオススメな場所はある?」


「ボクはたまに、気晴らしで雲海に行ってるよ。そこで釣りをしたり、ダガーダンスの練習をするんだ」


「雲海! とってもおもしろそう。飛魚なんかが釣れるのかな。ねえ、そこにクジラはいる?」


「イルカなら見たことがあるよ。遊んでいたら落っこちて、背中に乗せてもらったんだ」


「いいなぁ、わたしも乗ってみたい。そこに連れてって!」


 オンドレアの背を追って、わたしはぐんぐんと高度を上げていく。前方には、彼女の想像力が生み出した巨大な雲が、はるか遠くにまで広がっていた。


「それにしてもこの世界は本当に不思議ね。魔法のように空を飛べるのに、慣性とかの物理法則がちゃんとあるようにみえる。あまり正確なものではなさそうだけど」


「そりゃあそうさ。これはボクたちの夢が重なっているんだもの。整合性のために、なんとなくそうなるであろう動きへと、無意識の処理がはたらくんだ。夢のシンクロとは、シャボン玉がくっつくようなものなんだ」


「シャボン玉かぁ。たしかに夢は突然はじけたりもするし、例えとしてはピッタリね」


 真っ白な分厚い層を超えて、とうとう雲の上へと出た。白は白でも複数の色があり、おそらくそれらが陸と海とを分けているのだろう。

 オンドレアはやや濃い色の雲へ飛び降りてホウキを消すと、こちらを見上げて手を伸ばす。


「今日はここらが釣れそうだ。大丈夫だからキミも降りてみて。落っこちないように気をつけてね」


「なんだか死後の世界みたい。幸せに生きた者だけが来るのを許されるような……」


 雲の上へ降り立つと、神秘的な感覚におそわれた。わたしはすでに海の深くにまで行ったことがあるが、やはり夢の世界はどこまでも不思議だ。

 オンドレアはさっそく釣竿を取り出して、仕掛けをセットした。次に、背が高くなりたいんだと言って、牛乳瓶を取り出す。それを飲み終えるとごろんと仰向けになり、腕枕をして足を組んだ。


「神殿の再建計画をたてる前は、こうして寝てしまうのが日常だったんだ」


「夢のなかでまで眠ってしまうの?」


「そういう時期だったんだよ。長いこと無気力でね」


 そう言って大きなあくびをすると、瞳を閉じてしまった。わたしは隣に座り、オンドレアの寝顔を見つめる。

 そういえば、彼女は昔の記憶がないと漏らしていたのを思い出す。ふと不安な気持ちになりそうになって、かたわらのネコを抱き寄せた。


 ぼんやりと沖を眺める。

 ぽかぽかした太陽の光。

 どこまでも広がる白い雲海。

 ここは平和だ。


「本当に良いところ。ネルにも見せたかったな……」


 胸に抱いたサバトラが、小さく「みゃー」と鳴いた。


「うん、そうだね。また来ればいいや。ひとりの時も、一緒の時も」


 心穏やかとなって、わたしまでまどろみそうになったその瞬間、竿にアタリがあった。オンドレアはがばりと起き上がり、巧みにそれを合わせる。


「やった、掛かった! キタキタキタ! こいつは大物だ!」


「びっくりした……。が、頑張って!」


「ミャー!」


「釣れたらキミにあげるよ!」


 勇ましい言葉の直後、小柄な少女は竿に引っ張られ、雲の海へとすっ飛んでいった。盛大に雲しぶきが上がり、泡風呂のような白いモコモコが宙を舞う。


「きゃーっ!? オンドレアー!!」


 幾重にも広がった波紋が次第に収まっていく。だが、待てども彼女は上がってこない。

 ネコを抱えて右往左往していると、突然、足元のすぐ近くからひょっこりと顔を出した。そしてその横には、ピンクと水色、二色のイルカがこちらを見上げていた。


「その子たちは……? もう、驚かさないでよ!」


「友達なんだよ。えへへ、ボクが釣られちゃった」


 わたしを驚かせようとして、この場面を考えたのだろうか。それとも楽しませるため?


「さあ、乗って。沖の方まで行ってみよう。宝の眠った無人島とか沈没船があるかもしれない」


 どうやら後者のようだ。わたしは喜んで、青いイルカの背に乗った。

 この賢くて優しい動物たちは、人の言葉を理解できるようで、こちらの興味に合わせて進路をとってくれた。軽快に雲海をかき分け、時にジャンプをし、イタズラで潜ったりもした。

 彼らを生み出して弾みがついたのか、オンドレアの想像力が盛大に開花する。白紙だった世界に次々と鮮やかな色が差されていき、やがて遠くに緑豊かな小島が見え始めた。彼女はいきいきとした表情でそれを指差す。


「あそこを目指そう。何かとんでもないものが眠っている気がする」


 ふと横に大きな帆船が見えた。あれは何かとわたしが尋ねると、オンドレアは得意げに答える。


「あれは冒険家ラーナの船だ。彼女は神秘的な水色の髪をもち、優しくて勇気ある人柄に魅せられた仲間と共に、世界を旅してまわっている。美しいだけじゃなく剣と魔法も一流で、憧れている女の子は多い。ボクもいつか仲間に入れてもらいたいな」


 なんと夢のある話だろう。キラキラと目を輝かせながら、右手で剣を振るい、左手で魔法を放つそぶりをする。

 急に影が差したので頭上を見上げると、今度は大きな飛竜が見えた。


「鱗が赤いから、きっとドラゴンライダーのエゼルレオナだ。彼女は双子の兄と、どちらが強くなって故郷へ帰れるかを懸けて、修行の旅をしているんだ。滅んでしまった竜王国の末裔で、再興よりも自由気ままに暮らす道を選んだ。たまに地上へ降りてきて、人助けをしながら暮らしているんだよ」


 これらはオンドレアの作り上げた物語なのだろうか。それとも彼女の住む世界に伝わるお話か。はたまた本当に世界の裏側で起きていることなのか。

 幼いころ、ドリーが枕元で即興の寝物語を聞かせてくれた。雪の降る晩には、積もった雪に住む小さな妖精の話。あれからその本を探しまわったけれど、ついぞ見つからなかった。わたしのために作ってくれたものだから、あるわけがなかった。


 岸が近づいてきた。オンドレアが浅瀬に降りたので、わたしも真似をする。いよいよ上陸。二頭のイルカとお別れして、森の中へと分け入っていく。

 彼女は本格的に宝探しをするつもりなのだろうか。おしゃべりはせずに、ひたすら奥へと歩を進める。

 早瀬には都合よく一本の木が倒れていて、天然の橋となっていた。垂れ下がるツルにぶら下がれば、次の足場へとあっさりいけてしまう。

 それでもこれは大冒険だ。わたしには何が起きるかさっぱりわからない。ひとの夢とは、かくもロマンの塊なのだ。


「見えた。これは世紀の大発見だ」


「え?」


 突然、オンドレアは足を止めて言った。わたしは付いていくのに必死で、最初は何を指しているのか気づかなかった。

 目の前にとんでもなくカラフルな大木があった。ひとつの木にリンゴやレモン、メロンにバナナ、イチジク、ザクロなど、ありとあらゆる果物がたわわに実っている。どれもが熟していて食べ頃だ。

 あまりにも突拍子もない光景に、わたしは間抜けな声を発した。


「なあに、あれ?」


「ごちゃ混ぜの木だよ。はるか昔に神々が遺した黄金の果実を巡って、人間と妖精たちが争いを繰り広げた。それを手に入れた人物が植物のキメラを作って、どれがどれだかわからなくしたんだ」


 そんなバナナ。属も科も違う植物の接木つぎきなど、はたして可能なのだろうか。


「本物を食べれば絶大な魔力を手にすることができるけど、元の世界には戻れなくなる。ここは夢のなかだから、食べても問題はないはずだよ。試してみよう」


 手当たり次第に……なんて言ってはいけない。そんな無粋な行いは、岩に突き刺さった剣に重機を持ち出すような反則だ。

 オンドレアはメロンとバナナで迷い、バナナを選んだ。わたしはしばらく考えて、サクランボに決めた。


「夢から覚めなくなったらちょっと怖い。それとも幸せなのかな……」


 結果はふたりともハズレだった。たぶんこれでよかったのだろう。

 それから海岸に戻ると、真っ赤な夕焼けが水平線の向こうにちょうど沈むところだった。


「すっごく楽しかった。すてきな場所を教えてくれてありがとう、オンドレア」


「うんうん。こんど会ったときはキミの夢をみせてよ」


「わかった。それまでにたくさん想像をして、明晰夢の修行をしておくね。きっとネルも連れてくるから」


 抱きかかえたサバトラが、自分を忘れるなとばかりに「みゃおん」と鳴いた。


「うん、もちろんあなたも一緒だよ」


 するとオンドレアは首をかしげて言った。


「ねえ、ボク思ったんだけどさ。この子ひょっとして……。自分の名前が『ネル』だと思い込んじゃったんじゃない? ミアが何度も口にするから」


「えー。それじゃふたりが会ったとき困るよ。ネルじゃないほうがいいよね?」


「にゃーん!」


「ほら、ネルに反応してる。絶対そうだ」


「どっちかわからないよ〜」


 わたしたちは赤く染まった海岸で、体をゆすって笑い合った。まだまだ名残惜しいが、視界に入る夕日につられて、わたしは自然に帰宅を考えた。


「さてと……そろそろ占い館に戻る時間かな」


「まだ大丈夫だよ、ここは夢なんだから。星を眺めながらもっとおしゃべりしようよ」


「そう? 夜の外ってなんだか怖いけど……」


「逆だよ、逆。雲海の夜空はとってもきれいなんだから」


 オンドレアがそう言うので、わたしは素直に従うことにした。

 もうすでに長い夢になってきたけれど、あとふたつほどはいけるだろうか。ノンレム睡眠をはさまずに連続で夢をみているのか、それとも間を空けて続きから始まっているのかもわからない。

 脳が休まらず、明日はきっと疲れているだろうが、こんな機会は滅多にないのだから、今晩は特別だ。いいことにしよう。

 彼女がキャンプファイヤーの準備を始めたので、わたしも手伝って砂浜の流木を拾い始めた。

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