第21話 空を飛ぶ夢
奇妙な出会いから始まった明晰夢の旅は、ひとつの区切りを迎えた。安堵したわたしは、師となった女性から与えられた髪飾りをそっとなでる。夢である今はまだ感触がないが、これが硬いものとなる現実が次の楽しみとなった。
ところで現実はいま何時ごろだろうか。あとどのくらい明晰夢の旅を続けられるのか、ふと気になった。
人は一日に三つから五つの夢をみるという。わたしは今夜、すでに二つ終えたと思われる。最初は、おそらくレヌスなる神さまに出会った夢。続いて、オンドレアと出会い、ニーナさんと再会した夢。
あと一つか三つはみれるだろうか。まだまだ今夜は起きれそうにない。思う存分、明晰夢を楽しむことができそうだ。
わたしがこれまでの流れを確認していると、オンドレアはサバトラと戯れながら尋ねた。
「ねえねえ、このあと予定はあるの?」
「ううん、特には。これからどんな夢をみれるのか考えていたの」
「明晰夢で受け身はもったいないよ。自分から楽しい夢を創造しなきゃ。それでボク、いいことを思いついたんだ。さっき、空を飛ぶのを教えてあげると言ったでしょう。どう? 今からホウキでツーリングに行くというのは」
「いいね、それ!」
さすがは明晰夢の先輩だ。わたしはまだまだ初心者。空をうまく飛ぶことができれば、行動の幅が広がるに違いない。
「姉さんはどうする?」
「楽しそうだけど、あなたたちだけで行ってきてちょうだい。今夜のメンバーでシンクロできたのは初めてだから、私は念のため、ここで観測をしておくわね」
「うん、そうだね。ネルって子が遅れて来るかもしれないし」
「くれぐれも気をつけるのよ。あなたは素を出すと大変なんだから」
「わかってますって、そう心配しなさんな。それじゃ行こう、ミア」
「行ってきます、ニーナさん」
するとサバトラは床に飛び降り、こちらを見上げて「ニャー」と鳴いた。
「うん、あなたも行こう」
わたしたち三人と一匹は、揃って占い館の外に出た。夢の街は相変わらず閑散としており、人っ子一人いない。寂しい気もするが、あの下手な運転を見られずにすむと思えば、それも悪くはない気がした。
「ミア、こっちに来て。道が真っ直ぐだから練習しやすいよ」
オンドレアが道路のど真ん中に陣取って言った。どうやらそこから飛びたつようだ。車が来ないとはいえ、なんだか悪いことをしている気分になる。
見送りに来てくれたニーナさんは、横で優しく見守っていた。せっかく会えたのに同行できないとは残念だ。わたしは名残惜しさにかられながら、疑問に思ったことを投げかけた。
「どうしてこの世界には、ほかに人がいないんでしょうか?」
「それは私たちが明晰夢のために意識しているからよ。風景を思い描くのに神経を使ってしまっているから、余裕がないのね。たくさん人がいたほうがいいなら出せるけど」
「い、いえ、このままでいいです……」
「がんばって。ここまで来れたんだから、あなたならできるわよ。すこし気を抜くのがコツね。ある程度は無意識に任せたほうが、上手くいくこともあるんだから」
「はい、やってみます」
わたしは目をつむり、まずはホウキをイメージしてみる。手に感触はないが、きっと出ているはずだと自分に言い聞かせて目を開く。するとそこには、見事に一本のホウキが握られていた。
思わず歓喜すると、オンドレアは意外そうな顔をして言った。
「なんだ、できるじゃない」
「ここまではいいんだけど、高く飛べないの。いつも地面すれすれで……」
「ひょっとして高所恐怖症なの? それだと難しいかもしれない」
「ううん、高いところは怖いけど、そこまでひどくはないと思う。起きているときの想像だと上手くできるのだけど」
「なら自信の問題だね。一足飛びに高いところへ行こうとするんじゃなくて、今できていることを伸ばしていけばいいんだ。とりあえずやってみてよ」
わたしがうなずいてホウキにまたがると、サバトラはぴょんと柄の先端に跳び乗った。愛らしい顔をこちらに向けて、心配するような表情を浮かべている。
「大丈夫、怖くないよ。それじゃ飛ぶね」
たしかにわたしは高望みしすぎていたのかもしれない。明晰夢に続いてシンクロと成功してきた自分を、もうすこし褒めてあげるべきなのだ。
そうだ、やれる気がしてきた。すると足がふわりと地面から浮き上がる。
「うーむ。十センチってとこかな」
「あはは……。いつもよりは高いと思う……」
「よし、しばらくはボクが補助しよう。飛ぶ感覚を身につければ、なんてことはないはずなんだ」
オンドレアはそう言って、わたしを後ろから抱くようにまたがった。柄を握る手に小さな手のひらを重ね、そのまま一気にホウキを急発進させる。
「ひゃああっ!?」
こちらの悲鳴なんかお構いなしにぐんぐんと上昇し、あっと言う間に街を
「どう? 怖い?」
「ううん、全然。すごい景色ね。端っこはああなってたんだ」
今までいた大通りを挟んで、まったく異なる半円の街並みがくっついてひとつになっている。その外側には何もなく、真っ黒な空間が果てまで広がっていた。
「まだ想像をしていないからね。ボクはこのところ神殿にかかりっきりだったから、街の外は消えちゃったんだ」
「わたし、アルト・クルートの方へ行ってみたいな」
「ボクらの街は小さくて、鬱蒼とした森で囲まれてる。すぐ北を流れるうねうねした川に見覚えがあるでしょ。じつは地形は表裏でほとんど同じなんだよ。でも緑がまだたくさん残っていて、空気もずっときれいだ」
彼女の言葉に従って、瞬く間に世界が形作られていく。その光景に、わたしはただただ圧倒されるしかなかった。
「すごい……。夢ってこうやってできるんだ」
「よーし。それじゃあ姉さんにお別れして、あっちに行ってみようか」
そう言うやいなや、オンドレアはホウキからあっさり飛び降りた。
「は?? ちょちょちょ、ちょっと、何してるのよーっ!!」
「ニャーッ!?」
わたしはホウキの先を下に向け、急いで彼女の救出に向かった。勢いでサバネコが懐に飛び込んでくる。
お腹がスーッとなる苦手な感覚はない。だがとても間に合いそうにない、そう思った瞬間、オンドレアは華麗にホウキを呼び出し、空中で制止した。
慌ててわたしは、今度は先端を持ち上げて急ブレーキをかける。なんとか館の屋根あたりで止めることができた。すかさず、やんちゃ少女に抗議する。
「もう、びっくりさせないでよ! なに考えてるの!」
「ほら、ひとりで飛べたじゃない。キミは心のどこかで、自分にはできないって思い込んでただけなんだ」
「え? ……本当だ、わたし飛んでる。やった、わたし空を飛んでる!」
上下左右、自由自在。蛇行も回転も問題なし。八の字をえがいたり、何度もくるくる回ったり。ペンで線を書くぐらい簡単に飛ぶことができた。
片手を離してニーナさんに手を振ると、彼女は笑顔で返してくれた。勝手気ままに飛びまわっていると、オンドレアが呆れたように大声を出す。
「おーい、あんまり調子に乗ったらダメだよ〜!」
ふと急に、ドリーと自転車の練習をした日のことが思い起こされてきた。たしかあのときも似たようなやりとりをした憶えがある。
わたしは甘えん坊で、向こうは過保護。互いに離れるのを嫌って、いつも一緒にいた。夢世界の商店街を見下ろしながら、ずいぶん遠くに来てしまった気がした。
ひとまず満足して館の上まで戻ってくると、夢占い師は口元に両手を添えて言った。
「それじゃあ気をつけていってらっしゃい! 楽しんできてね!」
「いってきます、ニーナさん! またあとで!」
こうしてわたしとオンドレアは、川を越えて北方面へと飛び立った。
サバトラは再びホウキの先端に移動し、こちらにお尻を向けて景色に夢中になっているようだ。視界に映る彼女が、心配そうな顔から愛らしい背中に変わったことが、なによりもうれしかった。
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