第20話 夢占い師ニーナ
左右に異なるの街並みが続いている。夢の街は、中央をはしる大通りによって、表裏ふたつの世界が接合されているようだ。
時計塔から見て右手、古い店々が立ち並ぶアルト・クルートの一角に、『ニーナの占い館』はあった。カーテンが下りていて、一目には開いているとわからないが、夜空をモチーフにした看板が道路側に向いている。
前に訪れた際はぼんやりとしたイメージでしかなかったが、今は違う。いつしかわたしは、まさに明晰な夢をみていた。
オンドレアは看板を指して「ほらね」と言うと、建物全体を示した。
「姉さんはここを拠点として、夢の世界を旅してるんだ。たとえ失敗しても、始まりの地点へ戻ってこられるようにね」
「楽しそう。ぜひお話をうかがってみたいな」
「うんうん。ふたりだと無理なことが多いから、仲間になってくれるとうれしいよ」
そう言って彼女は扉に手をかける。涼やかな鐘の音が鳴り響き、中から心地よい空気が漏れ出てきた。
あのときと同じだ。たいして昔でもないのに、なぜだか懐かしさを覚える。
夢で訪れた場所に行きたいとどんなに願っても、それを叶えるのは難しい。人の夢とは儚くて、意識するほど離れていく。
それが今、再び目の前にある。深い森の中をさまよって、ようやく見つけた清流のようだ。
「姉さん、ただいま。お客さんを連れてきたよ」
わたしたちが室内に入ると、その美しい女性は静かにたたずんで待っていた。亜麻色の髪を後ろで束ね、眼鏡を掛けた背の高い──
「あれ、エレーナさん?」
「ふふふ、ようやく来たわね、ミアちゃん。すばらしいわ、さすがは私の見込みどおり」
「えっと……」
感動の再会に水をさされた気分だ。なんて茶番だ。呆れて困惑するわたしの前で、彼女は眼鏡を外して髪を解く。
「もう隠す必要もないでしょう。私の本当の名前はニーナ。エレーナは世を忍ぶ仮の姿。オンドレア、ご苦労さま。この子からどの程度聞いているのかしら」
「ボクはニーナのことしか話してないよ。びっくりさせたいんだと思って、黙ってた」
「……いいえ、わたしは最初からなんとなくわかっていました。でもあなたが誤魔化したから、信じてあげただけです」
わたしはいちど怒ったふりをして、すぐにふたりと笑い合った。そして忘れないうちに、まずは目的を果たそうとした。
「ニーナさん、夢でまた会えてうれしいです。この髪飾りをお返しします。あのときは借りたまま消えてしまってごめんなさい。まさか現実に持ってきてしまうなんて、想像もしませんでした」
「いいえ、謝るのはわたしのほうね。それはただのおまじない。あなただけに見える魔法の印」
「え、どういうことですか? わたしにしか見えない? ……そういえばネルに見せたとき、怪訝な顔をされたっけ。でも、なにも聞かずに付いてきてくれたの」
「うんうん、ネルちゃんはとてもいい子ね」
「残念ながら、ネルとのシンクロには失敗したようです。オンドレアに彼女を探してもらったけど、見つからなかったので諦めました。目的は髪飾りを返すことだったから」
「そう、それは残念ね。きっとまた機会があるわ。ところで、腕に抱いているその子はだあれ?」
「待ち合わせ場所の時計塔で拾ったんです。サバトラはネルの愛称なんですよ。わたしが夢で生み出した存在なんだと思って、連れてきちゃいました」
お腹のぬくもりとなっていたネコを胸に抱き寄せると、慰めるような小さな鳴き声が聞こえた。
オンドレアが自分にも触らせてほしいと言ったので、わたしは彼女の腕に預け、あらためて夢占い師に尋ねる。
「ニーナさん、どうしてわたしにおまじないをかけたんですか? 事情を黙っていた理由を教えてください」
「ごめんなさいね、だますつもりはなかったのよ。この世界は、私たち姉妹が創り上げた『夢の拠点』。そこにあなたが紛れこんできたから、すこし試させてもらったの。私には、とある夢があって、力となってくれる弟子を探していた。あなたはとても素直で、想像力に満ちている。これは運命かもしれないと思ったのよ」
「弟子……。それってまさか、エレーナさんのときに言っていた、明晰夢で会えたら教えてくれるという話ですか?」
「ええ、そのとおり」
「聞かせてください。わたしはもっと夢の世界を冒険してみたいんです。どうかぜひ、あなたのお手伝いをさせてくれませんか?」
わたしが前のめりに詰め寄ると、ニーナさんは満面の笑みを浮かべた。
この出会いは必然だ。試されたことはむしろ、わたしの誇りにもなるだろう。
夢占い師。夢でその名を聞いてから、わたしはずっとその
「そう言ってくれると思っていたわ。ありがとう、ミアちゃん。それでは教えましょう。私の夢を」
ニーナさんは椅子を引き、わたしに座るよう促した。初めて出会ったときと同じようで、そうではない。この話は、明晰夢をえがけるものにしか縁がない。あの日ではダメだった。わたしはようやく話を聞く資格を得たのだ。
「私は、オセットと呼ばれるコーカサス民族の出身なの。独自の神話をもち、夢にまつわる物語が今に残っている」
「夢の神話、ですか……?」
「ええ。その名は『クーリス』。夢のなかで迷い込むことがある、死者の草原。訪れた者は、幸運を持ち帰ることがあれば、死者や病に襲われることもあるという」
恐ろしい響きに、わたしはぞくりとした。
「我々の先祖が眠る場所であり、オセットの民が行き着くところ。私も死後はそこへ行くことになるでしょう。でも、死んでからでは遅いの。夢で行けるという伝承がある以上、生きたままたどり着くことに、何らかの価値があると私は考えている」
異国の人であるのは一目でわかったが、そのような伝承は初めて耳にした。まとっている美しい白いドレスも、きっと民族衣装なのだろう。彼女は真摯な眼差しで話を続ける。
「こんなラテン語の成句がある。『死は夢の似姿』。人は人生の三分の一を眠りに費やす。時間をかけて、死という長い旅路のそなえをしているのでしょうね。私は夢占い師として、クーリスに魅せられてしまった。生者のまま死者の世界に踏み込む──それこそが私の夢なのよ」
わたしは唖然とした。もっと明るく楽しい夢のある話だと考えていた。まるで真逆だ。わざわざそのような場所へ赴くなど、狂気の沙汰としか思えない。
こちらの恐怖心を察してか、ニーナさんはほほ笑みながら言った。
「クーリスはとても恐ろしい所よ。今のあなたを連れて行くことはとてもできない。私が弟子を探している理由はそれだけではないし、無理に巻き込む気はないわ。あなたにはあなたの夢があるでしょう。私にそのお手伝いをさせてほしいの」
わたしは胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
「さっきのお話は怖いけど、夢占い師には心惹かれます。それで、ひとつお聞かせください。オンドレアは、わたしとは異なる世界に暮らす魔法使いなのだと言いました。あなたもそうなのですか? 現実よりも先に夢で出会ったことと、髪飾りのおまじない、そして夢のシンクロ。これらは魔法の領域です」
「ええ、そのとおりよ。わたしはふたつの世界を行き来しているの」
「それってすごいことなんですよね。オンドレアはアルト・クルートに行ったことで、人の世界に当分は戻れないと言いました。夢占い師となるのなら、わたしもそうなってしまうのでしょうか?」
「それは難しいところね。夢の世界を旅するのに、魔法は必ずしも必要ではないから。明晰夢を楽しむだけなら不要といえるでしょう。それこそクーリスを目指すのでなければ……」
「やっぱりそうなんですね。わたしはまだ、お姉ちゃんと離れたくない……」
姉離れはしたいけど、それとこれとは話が違う。オンドレアがニーナさんと一緒にいるのを見て、急にドリーのことが愛おしくなってしまった。
ニーナさんは黙って優しくうなずく。すると、それまでおとなしくネコと戯れていた彼女の妹が、横から口をはさんだ。
「キミの姉さんも連れてくればいいじゃない。それに、猫占い師──アイリューロマンサーなんてものもあるよ。ミアにはそっちのほうが向いているかもね」
「何それ? どんなもの?」
「こら、余計なことを言わないの」
猫占い師……?? わたしの頭のなかは、その言葉でいっぱいになった。
どうしても引き込みたいのであろうニーナさんは、引きつった笑みで食い下がる。
「おほほ……。占い師は兼業が普通だから、両方やればいいんじゃないかしら」
「姉さんは所属している魔術結社から、早く弟子をとるようつつかれてるんだ。ボクはエナレスを継がなければならないから、夢占い師にはなれないんだよ」
「へえ……、そんなものがあるんですね」
まだまだ興味は尽きないが、これで一通りの話は終えた。わたしは最後にもう一度、ここに来るきっかけになったものについて確認をする。
「ところで、そのう……この髪飾りは結局どうすればいいのでしょうか?」
「じつはね、あなたがこの場所へちゃんと来れたら、現実で同じものをプレゼントしようと思っていたの。といっても、私が作った別物だけどね。母の形見というのは本当の話なのよ。師弟の絆として、お揃いを着けるなんてステキじゃない?」
両手を合わせてくねらせる仕草に、ドリーに似たなにかを感じた。姉がわたしを
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