第19話 時計塔

 待ち合わせ場所に指定した時計塔は、小高い丘の上に建てられていた。道路から塔に向かって左右ふたつの坂道が湾曲しながら伸びており、正面の高台で合流している。

 辺りで最も高い建物であり、もしネルとエレーナさんがこの街にたどり着けたならば、合流するのは容易と思われた。

 まわり道をして出遅れたわたしは、すでにふたりが待っていると期待して坂を上っていく。オンドレアの想像が生み出した色とりどりの花壇を楽しみながら、彼女の説明に耳をかたむけた。


「あれはアルト・クルートのものだ。表世界で妖術禁止令が出されて以来、多くの魔法使いたちが裏世界へと難を逃れた。彼らは住み慣れた故郷を想い、似たような建物を造ることがあるんだ」


「その法律、わたしも聞いたことある。魔女狩りのころに作られて、最近まであったんだよね。そんな古いものがこの世界の架け橋になってるんだ」


「ひとたび次元を渡り、異世界の物を口にすれば、もう元の世界に戻ることはできない。ちからを身につけるまでは。ボクはまだ魔法使いとして未熟だから、キミの世界には行けないんだ」


「恐ろしいルールね。でも、帰れるチャンスはあるんだ。わたしも行ってみたいな」


「相応の覚悟が必要だけどね。やあ、ここからの眺めは最高だ。街が一望できるよ」


 坂を上り切った高台から、眼下に夢世界の商店街が伸びているのが見える。あのどこかに、ニーナさんの占い館があるはず。わたしは早く彼女のもとへ行きたい衝動にかられた。

 さわやかな風に吹かれて景色を楽しんでいると、オンドレアは時計塔の方向を眺めて言った。


「先客は……残念ながらいないみたいだね」


「そうだ、ネルとエレーナさんを探さないと」


「エレーナ?」


「明晰夢科学研究所の博士なの。わたしがニーナさんのもとへ行くためのお手伝いをしてくれたのよ」


 それを聞いたオンドレアは突然、腹を抱えて笑いだした。わたしはきょとんとして、彼女に尋ねた。


「何がおかしいの?」


「いや、なんでもないよ。なるほど、そういうことか。キミを無事に姉さんのもとへ案内することを約束しよう」


「そう? ありがとう……。それじゃあ向こうへ行ってみましょう」


 時計塔は乳白色のレンガでできており、先端は赤いとんがり帽子をかぶっているようだった。月と星をモチーフにした時計の針は、十一時十一分十一秒を指したまま止まっている。

 周囲にネルたちは見当たらず、わたしは途方に暮れた。ここは見晴らしがいいけれど、木々の緑が視界を遮っているのかもしれない。そこでふと、この世界なら魔法を使えることを思い出した。


「ねえ、オンドレア。空を飛んでふたりを探すことはできる?」


「もちろん。でもミアだってできるでしょ」


「ううん。わたし、まだちゃんと飛べないの」


「それはもったいないな。あとで教えてあげよう。それじゃ行ってくるから、ちょっと待ってて」


 彼女はどこからともなくホウキを呼び出すと、見た目どおりの身軽さで跳び乗って、あっという間に空高く飛んでいってしまった。


「わあ、すごい。あの子が魔法使いという話は本当なのかも……」


 疑っていたわけではないけれど、異世界なんてにわかに信じがたい。夢のシンクロを目の当たりにしても、まだ心のどこかで、彼女がわたしの想像に過ぎない不安が残っていた。それもこれも吹き飛んでしまうほどに、わたしはオンドレアがとても羨ましくなった。


 しばらく指をくわえて彼女を目で追っていたが、やがて首が疲れて、わたしは建物に背をあずけた。

 やはり自分は、夢の世界でもひとに劣っているのだろうか。背が低くて親近感を覚えた彼女すら、あんなにも簡単に空を飛べてしまうのだ。

 ため息をつくと、段々と雲の影が増えてくる。明晰夢にあるまじき寂しい気持ちにおそわれた矢先のことだった。


「ニャーン」


 ネコの鳴き声が聞こえてきた気がして、わたしは思わず横を振り向いた。

 低木の下から、縞模様の小さな顔がちょっぴりのぞいているのが見える。


「あ、にゃんこ!」


 その瞬間、空はパッと明るくなった。

 目が合ったので逃げてしまうかもと思ったが、こちらを見つめたまま動かない。わたしがおいでおいですると、獣は警戒しながら近寄ってきた。


「わー、きれいなサバトラだ。顔が小さいから女の子ね。ねえ、もっとこっち来て。抱っこさせて」


 しゃがみ込んで手を伸ばすと、銀と黒の模様をもつネコは、おとなしくその内側に収まった。どこか高貴さを匂わせる美人顔。頭をなでても平気だったので、前脚を持ち上げて抱き寄せた。


「ふわふわであったかい」


 汚れひとつ無い見事な毛並み。思わず頬ずりをして顔をうずめると、ぽかぽかで太陽の匂いがした。どうかこれが、温かい毛布がみせる夢じゃありませんように。


「とってもいい子ね。あなた、どこから来たの?」


 今のわたしなら猫の言葉がわかるかもしれない。返事を期待をするも、彼女は小さく鳴き声を発しただけだった。


「ネルだったら猫語がわかるのにな。ほんとどこ行っちゃったんだろ……。そっか、髪色が額の模様と似てるから、ネルはサバトラって呼ばれてるんだ」


 わたしは確信した。この子は自らが生み出した幻影だ。はっきりと〝夢の素材〟に含まれる、自分の夢の付属品だ。つまり、わたしのものなのだ。

 そう思ったちょうどその時、頭上からオンドレアの声が聞こえてきた。


「だめだー、どこにもいないよ〜。人っこひとり見つけられなかった。あれ、なーにしてるのさー。その子いったいどうしたの?」


「おつかれさま! そこの茂みから出てきたの!」


 わたしが天に向かって叫ぶと、ボーイッシュな少女は飛び降りると同時にホウキを消し、華麗に地面へと着地した。


「ふう、どうしよっか。もっと探す?」


「ううん、目的はニーナさんに会うことだから、今回は諦める。オンドレア、ありがとうね。やっぱりシンクロには失敗しちゃったみたい。わたしとネルの絆は、まだ結びついていなかったんだ」


「そんなガッカリしないで。シンクロはとても難しいんだよ。ボクだって姉さんにつなげてもらわないと、まだまだ大変なんだから」


 明晰夢のついでだったとはいえ、友達になれたことが否定されたようで寂しくなる。肩を落とすと、空が再び曇りだし、辺りが暗くなってきた。


「ニャー」


「なあに、慰めてくれるの?」


「ミア、夢の天気は精神と連動している。明晰夢を続けるためには、努めて明るく振る舞うことも重要なんだ。人は笑うから楽しいんだよ」


「……そうね、また挑戦すればいっか。とにかく目が覚めてしまう前に、ニーナさんに会いにいかなくちゃ」


 ひょっとしたらネルのほうも、わたしに会えなくて悲しがっているかもしれない。ならばやることはひとつ。深呼吸して気持ちを落ち着かせると、太陽が雲の隙間から顔をのぞかせた。


「そうだ、その調子。さっきついでに、館があるのを確認してきたよ。看板が表になっていたから、姉さんはきっといるはずだ。ところで、その子どうするつもりなの?」


「連れていこうと思うの。問題ないよね。だってわたしの夢に出てきたんだもん」


「動物はレム睡眠が長いから、たまにシンクロして紛れこんでくることがある。ひょっとしたら本物かもしれないね」


「それじゃあ、どこかの家の子かもしれないんだ。でも、夢のなかで一緒にいるぐらいいいよね?」


 顔を寄せて尋ねると、サバトラは「ニャン」と返事をした。


「ほら、一緒に行くって言ってる」


「ほんとかなぁ。まあいいけどね。それじゃあ行こうか」


 オンドレアと共に、緩やかな坂道を下り始める。今や景色になど興味はなく、抱き上げたネコに夢中となっていた。


「なんて名前にしようかな。ネルとつけたら、再会できたときに困るし……」


「その子がネルだったりしない?」


「まさか。ネルは背が高くてかっこいいの。こんなちっちゃくてかわいいわけないもん」


「ニャアン」


「ほらね。一緒にするなって言ってる。ああん、もう、かわいいなあ。ちゅっ!」


 愛らしさに感極まったわたしは、思わず鼻先にキスをした。


「あー! ネズミ食べてたらどうするんだよ〜」


「もう、そういうこと言わないの! あら、どうしたの? ぐったりしちゃった……」


 サバトラは腕の中でだらりとし、まるで溶けたチョコレートのようになってしまった。ネコは液体といわれるが、ここまでとは知らなかった。

 気づけば太陽は燦々と輝いている。わたしはすっかり寝坊して、朝日の下で眠りこけているのかもしれないと思った。

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