第32話 猫魔女の伝説

 案内された猫屋敷の地下は、大部分が倉庫となっていた。無造作に置かれた品々に混じり、壁になにやら四角いものが飾られてある。猫たちはその覆いを剥がし、わたしに見せてくれた。


「これは……」


 思わず声が出る。古いレリーフと聞いていたから、てっきり灰色の石でできた地味な彫刻を想像していたが、まるで違った。

 正面を向いたひとりの女性と、横を向いた一匹の猫だ。猫や装飾は無色だというのに、女性は鮮やかな色に彩られている。おそらく彼女は半裸であり、体中にさまざまな模様の刺青が施されているようだ。

 諜報員にして遺物の知識もそなえたハンサムが解説をしてくれる。


「コイツは人間からしても貴重なもンだと思うぜ。俺たちの初代女王と猫魔女の出会いを描いた場面だと云われているな」


 わたしの目を引いたのは刺青の模様だった。ふと目に飛び込んできた腕のマークが、姉のドリーがもつアザに、位置も形も一致するではないか。

 もしや──。わたしの視線は自然と彼女の胸に向く。

 下向きの三日月にV字を重ねた模様。

 同じだ。わたしを長く苦しめてきたものと完全に一緒だ。これはいったい……。


「あっ、触っちゃダメにゃ!」


 わたしはまったく無意識に、それへ触れてしまった。と同時に、レリーフの模様が燦然さんぜんと輝きだしたではないか。


「にゃにゃにゃー!?  これはいったい何事にゃ! 何が起きてるのにゃー!」


「まぶしいにゃ〜」


「待って、ミアが光ってるにゃ!」


「ホントにゃ! どういうことにゃ!」


「……え?」


 わたしは胸元を見た。薄暗い地下室で、自分から発せられる光と猫魔女の模様とが、一直線になって結びついていた。


「猫魔女だ! 皆のもの、猫魔女さまの再来であるぞ!」


 女王補佐官が叫ぶと同時に猫たちは大騒ぎになった。皆でこぞってわたしに肉球を押しつけたかと思えば、一斉に床へとひれ伏す。そして声を揃えて言った。


『猫魔女の生まれ変わりにゃ!!』


「ええ!?」


「ミアは前世の記憶があるにゃ?」


「そんなのないよう〜」


「彼女は人の世の嫌気がさし、辺境で我らケット・シーと暮らしたとされております。『人間なんて滅べばいい』が口癖だったようですが、ミアどのはこの言葉を口にした記憶はございますか?」


「あ、あるけども……」


『やっぱりそうにゃー!!』


 猫たちの歓喜の声が地下空間を震わせる。逸話を知らないであろう二匹の仔猫も、わけもわからずに興奮して飛び跳ねた。


「ちょっと待って、みんな。よく聞いて。残念だけど、それはすこし違うと思うの。たぶんだけど、母方の遠いご先祖さまが猫魔女だったんじゃないかな。だって彼女に描かれた模様の一部が、お姉ちゃんやお母さんにもあるんだもの」


 すると落ち着きを取り戻した女王補佐官は、深々とうなずきながら答えた。


「にゃるほど。たしかにその線が濃厚やもしれませぬな。しかし猫魔女は猫魔女。どうか再び我々を導いて、ネルさまを救ってくだされ」


「もちろん、みんなと力を合わせてネルたちを助けるのには賛成だよ。でも、猫魔女って何をするのかな?」


 束の間みなは沈黙し、同時に言った。


『わかんにゃい……』


 何はともあれ、わたしと猫たちは行動を共にすることになった。仔猫たちもだいぶ元気を取り戻したので、さっそく行動に移ろうとする。とその前に、女王補佐官はざっとみんなの紹介をしてくれた。


「──左から、首相、財務大臣、外務大臣、内務大臣、国防大臣、司法大臣、技術大臣、保健大臣、貿易大臣……」


「わあ、本当に文官の方たちばかりなんだね。国造りの基礎がもうできてるんだ」


「見かけだけではありますがな……。そちらのおふた方はいかがなさるのかな?」


「この子たちはわたしのお供だから……そうだよね?」


 念のため意思を確認してみる。ネルの配下がみな二足歩行なのに対し、二匹はまだ子供だからか四足で、ずっとわたしのそばにいた。


「そういうことになってるニャ」


「あたいらは婆さんからミアの面倒を任されたんだ。そろそろ名前をつけてほしいのだけど……」


「白猫と黒猫だよ」


 二匹が怒ったので、起きたら名前を決めると約束をした。さすがに夢では辞書をひけない。どうせならぴったりするものを探したかった。


「さて、これからどうするの?」


 せっかちでおしゃまな黒猫は、大人たちをさしおいて話をうながした。


「モークル──じゃなかった、わたしのナイトメアは、退治できたわけじゃないけど、どこかに行ってくれたみたい。だからこの世界から離れて、亀裂の先に行ってみようと思うの」


「モークルって何?」


「わたしのお姉ちゃんが昔から持っている、毛むくじゃらの人形だよ。首が壊れてしまって、それから悪夢になって出てくるようになった。『大きな耳』という意味の言葉を短くしたものなんだって」


『ビッグ・イヤー!?』


 ケット・シーたちは一斉に飛び上がった。全員で密集し、恐怖に震えてしまう。


「どうかしたの?」


 大柄で動じた様子のないデブ猫のプランピーが、事情を説明してくれた。


「お嬢ちゃん、そいつは俺たちスコットランドの猫にとって、禁忌の名前だぞ」


「そうなの? モークルはお姉ちゃんが貰う前から名前がついていたんだって」


「ふむ。なんの因果かは知らないが、じつに不吉だな。魔女が行う暗黒の儀式に、『タガルム』というものがある。こいつは、四日四晩にわたって猫を八匹ずつ生贄に捧げるという恐ろしいものだ。そうして召喚されるのが、ビッグ・イヤーと呼ばれる化け猫だ」


「なあに、それ……。怖いね」


「邪悪な性格をしているが、どんな願いでもひとつだけ叶えてくれるらしい。そのせいで、かつて実際に行われて記録が残っているようだ」


「そんなひどいこと、絶対に許せない。安心して、みんな。耳の大きな生き物なんて多いし、ただの偶然だよ。そんな儀式、起こりっこないって」


 わたしが力強く言うと、おびえていた猫たちの不安はいくぶんか和らいだようだ。これが猫魔女の血をひくゆえなのか、信頼によるものかは不明だが、決して上下ではない良好な関係が築かれつつあるのを感じた。

 そんななか、いまいち恐怖を理解していなかった白猫が尋ねる。


「ところで、八匹を四日四晩って、いったい何匹必要なのニャ?」


 猫たちはみな前足の肉球を見つめ、しばし計算を試みた。


『……よん?』


 すこし難しかったようだ。これならば、知能に優れたる女王種を頼るのもうなずける。

 そんな愛おしい彼らを見つめながら、こっそり頭数を確かめる。ネルの配下に仔猫たちが合流し、合計三十二匹。なんだかとても、いやな予感がした。

 わたしは不安を悟られぬよう気持ちを切り替え、語りかけた。


「とにかく出発しよう。わたしはホウキで行くけど、みんなどうやって移動するの? こんなにたくさんは、さすがに乗せられないよ」


「そんなの簡単でしょ。帽子に入れていけばいいの」


「もう、真面目に考えて。帽子に猫が三十匹も入るわけがないでしょ」


「物は試し。とりあえずやってみるニャ」


 黒猫はともかくとして白猫に言われたら、一応はやってみようという気になる。わたしは大きな三角帽子を取り出すと、横に立てて床に置いてみた。

 するとネルの配下たちは、女王補佐官を先頭にして次々と入っていくではないか。呆気にとられていると、ものの十数秒ですっかり収まってしまった。


「ほんとに入っちゃった……。そうだ、忘れるところだった。ここは夢の世界。想像力がものをいうの。よし、それじゃあふたりとも、みんなを助けに行くよ!」


 わたしは気合いを入れ直すと、帽子をかぶって猫屋敷をあとにし、二匹と共に夜空へと飛びたった。

 高所から見わたせば、夢の世界が四つに割れているのが確認できる。その中から最も近く同時にひどく陰鬱な場所を目指して、下を見ないようにしながら、虚無の空間を渡り始めた。

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