第33話 戦争の夢

 たどり着いた先はひどいありさまとなっていた。眼下に倒壊した建物が点在し、外周は焦土と化して火がくすぶっている。

 夢が砕かれる以前とは、モデルとなって引き出された街そのものが異なるように思えた。たしかアルト・クルート方面であったはずだが、家々は旧時代のものではなく、それなりに近代的であったようにうかがえる。

 無傷の民家があるにもかかわらず、鉄筋の建物が破壊されている点から察するに、おそらく災害などではなく、ミサイルや爆弾──つまりは争いによってこの惨状となったのだろう。


「ひどすぎる……。これは誰の夢なの……」


 ひとりだけ心当たりがあった。ときおり暗い側面が見え隠れし、記憶がないと語っていた少女──オンドレアだ。

 景色自体は、怖いニュースを見たせいで悪夢となって現れた可能性もなくはない。しかし彼女の心の闇は、明るさの裏から常に透けてみえていたのである。となれば、これはあの子が経験した場面……。考えたくはなかった。


「どうしよう、降りるのも怖いよ。でも不安になったら、またナイトメアが出てきちゃう」


「動いてるものはなんもないニャ」


「すくなくともオバケはいなさそうだよ」


 わたしが警戒しているのはそれよりももっと怖い、兵士や亡くなった人だった。もはや景色全体が悪夢であり、夢魔のほうがマシにすら思えてくる。


「こうしてても仕方がない。どこか気になる所へ行ってみよう。あそこは学校だったのかな。なんだかとてもイヤな予感がする……」


「気を強くもつニャ」


「そんなんじゃ足下をすくわれるぞ」


「……あなたたち、赤ちゃんなんじゃないの? ませてるにもほどがあるよ。まあ、心強いけどね」


 由緒正しき家柄のネルたちケット・シーに対し、夢で祖母から託された二匹。ひょっとしたら猫魔女は、王国から離れたあとも魔法の猫を使い魔としていたのかもしれない。

 そんな楽しい想像で気を紛らわせていたが、すぐに目的地のそばへと来てしまった。暗い気持ちを振り払い、悪夢を退治してやるという強い意志へと切り替える。

 なにしろわたしは、猫の王国づくりに手を貸した猫魔女の末裔なのだ。自分でも知らないすごい才能が眠っているに違いない。……たぶん。

 地上へ降り立つと、まずはやんちゃな使い魔たちにクギをさす。


「ふたりとも気をつけてね。わたしから片時も離れちゃダメだよ。遠くに行かれたら守ってあげられないから」


「怖がってるのはミアのほうニャ」


「あたいらはのおもりに来たのよ」


「ふんだ、強がっちゃって。……あら、あれは何だろう」


 崩れた建物の前に粗末な掲示板が立て掛けられており、張り紙がしてあった。近づいてみれば、大人と子供の写真だった。みんな笑顔だが集合写真ではなく、一人ひとり個別のものを寄せ集めたように並んでいる。下には名前らしき異国文字が添えられていて、夢のせいか読み方は伝わってくる。

 わたしはふと恐ろしくなった。まさかこれらの写真は、建物の崩壊に巻き込まれた被害者たちなのでは……。

 ひとりの少女に目が留まった。

 ストロベリーブロンドでショートカット。ほかの子よりも幼くて、イタズラそうな笑顔を浮かべている。

 名前は……。


「嘘! 嘘! 嘘! 誰か嘘だと言って!」


 それは間違いなくオンドレアだった。わたしは崩れた建物に急いで向かう。確認しなければならない。あれが真実ではないことを。

 黒ずんだ壁は鉄筋をむき出しにしてひしゃげ、破片がそこらじゅうに散乱している。わたしには為す術がない。ただパニックになって、視線をあちこちに向けながら右往左往する。

 瓦礫がれきの隙間に、小さな白い手が見えた。駆け寄りながら絶叫する。


「いやあああああ! オンドレア! いま助けるから! 生きていて、お願い!」


 片っ端からコンクリートの残骸をつかんでは後ろに投げる。見た目に反して発泡スチロールのように重量がなく、ひ弱なわたしでも簡単に持ち上げることができた。

 やがてうつ伏せになった少女の体が現れた。わたしはおそるおそるその子をひっくり返し、顔を確認する。


「オンドレア! ……良かった、息をしている。お願い、目を覚まして!」


 激しく揺すっても起きない。やむなくわたしは、彼女のマシュマロのようなほっぺたを何度も往復ビンタした。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。容赦はいらない。


「うぅ……」と、彼女はわずかにうめいた。


「よかった、オンドレア。気づいたのね。ああ、ほんと心配したんだから!」


 華奢な上体を起こすと、彼女はわたしに抱きついてきた。小さな声が聞こえる。


「み、ミア……。怖いよ、怖いよう……」


「なんなの、この光景……。きっと怖いニュースを見たんだよね。だからトラウマになっちゃったんだよね。そうなんだよね?」


 オンドレアはわたしの胸に顔をうずめて震えるばかり。


「どさくさに紛れて、ほんとにエッチなんだから。ほら、顔を上げて……」


 一瞬、この子の顔が化け物になっていたら怖いなと思った。悪夢なんて大概そんなものだから。

 でも引き剥がしたオンドレアの顔は、もっと恐れていたものだった。瞳を閉じてたくさんの涙をあふれさせ、愛らしい小さな顔は恐怖におびえている。

 わたしは悟った。この悪夢は現実にあったものなんだと。いつどこで起きたことなのか、事実を元にした異なる光景なのかはわからない。それでも、似たような記憶がこのような恐ろしい悪夢を引き起こしたのは、もはや疑いようがなかった。

 わたしは彼女とおでこをくっつけると、優しくなだめるように語りかける。


「大丈夫、大丈夫だよ……。わたしがここにいるから怖くないよ……。これは夢。それもひどい悪夢。でも夢なんだよ。良い思い出を引き出すの。そしたらきっと、夢も楽しくなるはずだから」


「無理だよ、ボク、怖い……」


「頑張って、オンドレアならできる」


「ママ、パパ、お姉ちゃん……ボクを残してみんな死んじゃった。ニーナが瓦礫の下から見つけてくれて、別の世界に連れていってくれたの」


「そうだったの。だから魔法が使えるんだね。あなたの話、ぜんぶ本当だったんだ。疑ってごめんね、信じるよ……」


 そうじゃないと──。胸が締めつけられる。


「ママに会いたいよう……」


「うんうん、ニーナさんに会いに行こう。きっとどこかで待っているから」


 抱き寄せて背中をさすっていると、やがてオンドレアは泣き止み、ようやく顔を上げる。そして不思議そうに尋ねた。


「どうしてミアが泣いてるの?」


 自覚はなかった。わたしはまだ、夢で頬を伝う涙の感覚をとらえるまでには至っていなかったようだ。悲しいわけではない。だから、思い当たる理由が口について出た。


「あなたが愛おしくてたまらないからよ」


 オンドレアは自分の涙をぬぐう。わたしとは逆に自覚があったのだ。明晰夢の技術力に加え、彼女は泣きたくて泣いていた証でもあった。


「……そっか。ボクもキミが好きだよ。泣いちゃったこと、みんなには黙っててくれる?」


「うん、もちろん誰にも言わないから安心して」


「ふう、よかった。これじゃボク、やっぱり男の子にはなれないや」


「男の子だって泣いてもいいじゃない」


「そう? そんなこと言われるなんて、表の世界は時代が変わったんだね。それならボクも男の子になれるかな」


「あなた、いつの時代の人間なの?」


「さあ? こちらの世界は時が流れるのが遅いからね。ボクは永遠の十四歳さ。いい所だけど、なかなか背が伸びないのが残念なんだ」


「ふふ。でも男の子なら、さっきみたいに胸に飛び込んできたらひっぱたいちゃうかも……」


「じゃあやっぱり女の子でいいや」


「まったく、あなたの性別は都合よくコロコロ変わるのね」


「えへへ……」


「ようやく笑った。さあ、早く次の場所に行きましょう。みんなが待ってるよ」


「そうだね、そうしよう。ボクはナイトメアに負けちゃったけど、ふたりは強いからたぶん平気さ。ミアは勝てたのかな? 意外とやるじゃない」


「ううん。わたしは相手に呆れられて、逃げてきただけ。退治できたわけじゃないから、また現れるかもしれない……」


「そんなものさ。姿かたちを変えて、奴らとは一生付き合う羽目になるよ」


 わたしも涙をぬぐい、オンドレアと共にこの世界を去ることにする。猫たちはそばでずっと静かにしていたので、いい子いい子となでであげた。


「そのちんまい子たちはどうしたの?」


「使い魔よ。ネルの配下たちとも合流して、今はみんな帽子に入ってるの。わたし、伝説の猫魔女の子孫だったんだって」


「ほえ〜そいつはすごいや。心強い仲間だね。そんじゃ行くとしようか。……ところで、ボクのほっぺた、なんか腫れてない? 熱くてジンジンするんだ」


「……たぶん気のせいじゃないかな。夢なんだから、心のもちようよ」


「そっかぁ。愛おしいとか好きとか言い合ったからかな」


 起こすためとはいえ、派手にぶったたいたとは言えないので、誤解は解かないでおくことにした。

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