第34話 死者の草原クーリス
ナイトメアによって砕かれた三つ目の地は、本来ならば占い館があった場所だった。しかし今はすっかり様変わりして、傾斜のある草原となっていた。
幾重にも横に張り出した屋根が特徴的な、石造りの粗末な家が点在している。オンドレアによれば、ここは予想どおりニーナさんの悪夢に間違いないようだ。
「あれは『死を待つ家』だよ。感染病にかかった人が家族から離れて暮らし、水だけを口にして命が尽きるのを待ったんだ。なんでもこの辺りでは、じつに九割以上もの人々が亡くなったらしい」
「恐ろしいね……」
わたしたちは空から見下ろしながら、この世界のどこかにいる夢占い師を探し求める。皮肉にも、悪夢の世界が広がっていることこそが、彼女の無事を示していた。
「姉さんは、この地こそがクーリスの入り口になっていると考えているんだ」
「夢のなかでのみたどり着ける、死者の草原ね。ニーナさんはいったい何が目的でそこを目指しているのかな」
「自らの故郷に夢の逸話があるんだ。夢占い師として惹かれない理由はないんじゃないかな。姉さんはすでに自分の師匠と共に、夢神オネイロスにまつわるふたつの門を見たことがあるらしい。だから次は、クーリスを己の集大成として定めているのさ」
「夢の世界も奥が深いのね。わたしもなにかお手伝いできればいいのだけど、怖いのは苦手……」
「誰だって怖いよ。だから前の弟子は逃げてしまった。姉さんは、クーリスの入り口で立ち往生する現状をもどかしく思ってるんだ」
とそこへ、眼下に石でできた矢印が見えた。おそらくニーナさんが残した手がかりであると判断し、わたしたちは草原に降り立った。
近くには例の『死を待つ家』がある。出入り口を指し示していることから、彼女がここに入ったのは明らかだ。恐ろしい気持ちを抑えながら、オンドレアに続いて扉をくぐる。
中はすぐに、まったく異なる別の空間へとつながっていた。
それを見てわたしは驚愕する。
白黒の世界だ! これはモノクロームの夢だ!
まさに死にまつわる場所としてふさわしく、なぜか美しいとさえ感じてしまった。
ふと不安になって自らの手を見ると、元の色合いで安堵する。陰鬱な世界のなかで、わたしとオンドレアだけが色づけされていた。
おそるおそる歩き出す。下は一見すると枯れてしまった草のようだが、踏んだ感触から一応は生きているようだ。静寂に油断していたわたしは、目に飛び込んできた動くものに驚いて、思わず悲鳴をあげた。
「何よあれ! 骸骨が歩いてる!」
「ただのスケルトンじゃない。あのぐらい、ボクだってひとりで倒せるよ」
「やだ、わたし行きたくない!」
「ならここで待ってる? あいつら、家には入ってこないから安全なんだ。ずっと閉じ込められていたから、外に出たいんだろうね」
「ひとりで待つのもやだぁ……」
「猫ちゃんがいるでしょ」
すると白猫と黒猫は口々に言った。
「ウチはオンドレアと行くニャ」
「あたいも」
いったいこれのどこがおもりだというのか。仕方がないので、わたしはエナレスの少女にピッタリと付いて行くことにする。
不穏な空が放つオーラによって、わたしは空を飛べなかった。クーリスは幾つもの階層に分かれており、そこの守護者を倒さねば飛ぶことはかなわないという。
死者の草原はその名のとおり、あちらこちらに亡者がさまよっていた。オンドレアは柳の枝を振るって骸骨をいともたやすく粉砕し、先へと進む。しかし横を通ってしばらくすると、それらは自己修復して再び動き出した。
その多くはもともと民間人で、戦う意志自体が希薄であるらしい。階層を進むほど敵は強くなっていき、巨人や悪霊などが現れる。そして最奥には、この世界を創った神的存在が待っているという、じつに男の子が喜びそうな物語であった。
肝の冷える光景ではあるが、死者たちの逸話を思えば、恐怖よりも悲哀の情が増してゆき、儚くも美しい光景に目をやる余裕も出てくる。
やがて前方に、大きくしな垂れた不気味な柳の大木が現れて、そばに見知った人影がたたずんでいるのが見えた。亜麻色の三つ編みを片側に下げ、純白の衣装をまとう美しい女性。
「ニーナさん! ああ、会えてよかった。ここまでとても怖かったです」
「あら、私のことは心配してくれないの?」
夢占い師は白銀の錫杖を手のひらで軽く鳴らしながら、茶化すように返した。
「すみません、だって余裕そうだから。きっとナイトメアも倒してしまったんでしょう?」
「まあね、奥に逃げられてしまったけれど。私にとっての悪夢とは、この果てを見届けられずに終わることなの。ふたりとも無事に来れたということは、だいぶ弱体化できたことでしょう。シンクロした人数に比例して強くなるから、淫魔が混じると大変なのよね。過去の失敗が活きたわ」
「似たような経験がおありだったんですね。そういえばサキュバスのセルマさんは、ニーナさんに因縁があるようでした」
「そうなのよ。腐れ縁ってやつね」
「いつも学校へ一緒に行っていたガートルードちゃんが、彼女の娘さんだとは思いもしませんでした。夢では体調が悪いようで、ちょっと心配です」
するとオンドレアが呆れたように口をはさんだ。
「あんなことをされたのに、キミは優しいねぇ。ところで姉さん、ミアを連れてここの守護者のもとへ行くの?」
「そうね。そうしようと思って待っていたの。次に来たときに楽になるから」
「ええ……。わたし、やっぱりまたここに来るんですか?」
わたしは苦笑いした。ニーナさんの弟子にはなると決めたものの、夢とは楽しくあるべきだ。しかし彼女はこちらの足下にいる猫たちを見つめて答える。
「ミアちゃん、その様子だと、
「そんな。まだ何をするかもわかってないし、戦うちからだとも思っていなくて……。それに早くネルの所に行かないと、つらい思いをしているかもしれません」
「うーん、それもそうね。あの子はとても精神が安定しているから、攻撃的な悪夢ではないと思うけど。ちなみにさっき、ここの番人に一撃くらわせて逃げてきたから、そろそろ現れるはず──」
彼女が言い終わらぬうちに、耳をつんざく女性の絶叫が遠くから聞こえてきた。
その方角を見やれば、穂が真っ赤に染まったホウキを握る女精霊が、こちらに向かって爆走してくる。
「ななな、何ですかあいつは!! ニーナさん! あなたって人はー!」
「あれはアミノンよ。冥界の門番をつとめているの。本来は日没前じゃないと会えないのだけど、クーリスは時間の調整がきくからありがたいわね」
夢で出会った憧れの女性は、段々とその本性を現し始める。これまでも片鱗を垣間見せていたが、なかなかに強引な人物のようだ。
「大丈夫、ほんの小手調べよ。あなたができることをやってみて」
「そんなこと言われても!」
わたしはとりあえずネルの配下に頼ろうとした。かぶった帽子をひっくり返して振ると、次々とケット・シーたちが落ちてくる。
「わー! ずいぶん大所帯になったんだねぇ」
オンドレアはうれしそうに見つめながら言った。しかし猫たちは敵の姿を確認するやいなや一目散に逃げ出して、帽子の中へ勝手に戻っていってしまった。
「ちょっと、みんな手を貸してよ〜!」
「それは大臣の仕事じゃないにゃん!」
「お嬢ちゃん、頑張れよ」
気づけばすべて元通り。ケイスネス王国の復興を謳うケット・シーたちは、全員無事に撤退を完了した。小さな白猫と黒猫もこれには呆れたようだ。
「いい年して情けないニャ」
「あれじゃあ国が滅ぶわけね」
「はあ……。ごめんなさい、ニーナさん。お力になれそうにありません」
「あなたと共に旅ができたなら、きっと退屈することはないでしょうね。ではオンドレア、チャチャっと片付けるわよ」
夢占い師はほほ笑みながらわたしの頭をなでると、あっという間に敵を倒してしまった。アミノンの体は黒い煙となって霧散していき、魂が紫色の結晶として残った。それはキラキラと輝いて、わたしの胸に吸い込まれていく。
ニーナさんは錫杖を消すとともにホウキを呼び出し、わたしに言った。
「よし、これで帰りは飛んで行けるわね」
「……なんだかゲームのようですね」
「そう、脳とコンピューターはとてもよく似ている。だから夢の世界がゲーム的なのは、あながち間違った考えではないかもね」
「いったいこの世界のどこまでが、あなたの明晰夢なんですか?」
「いいえ、これは潜在意識よ。人は子に記憶を引き継ぐことはないけれど、それでも脳は結局のところ物理的な機能なの。何らかの思考的傾向を受け継ぐことは充分に考えられる。だから私は、先祖たちが託したこのクーリスという世界を追い求めてみたいのよ」
ニーナさんの真摯な眼差しのなかに、わたしの胸を突き動かす何かを感じた。
おそらく彼女たち姉妹は、やむなく故郷を離れなければならない事情があったのだろう。それゆえ、夢から先祖の物語をつむごうという、無茶としか思えない試みに挑戦しているのかもしれない。
夢でしかたどり着くことのできない死者の草原──クーリス。なんだかすこし興味が湧いてきた。
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