第16話 裸のつきあい

 私たち三人は研究所の地下にある脱衣所に来ていた。どこもかしこもピカピカで、まったく使われている様子がない。

 結局、あのあとエレーナさんは、お湯には入浴剤によって色があると明かし、バスタオルを巻いたままでいいと笑った。どうやら最初からそのつもりで、試されていたようだ。


 とっとと素っ裸になって浴場に入っていったネルに目を背け、バスタオルの下にまとう服をゆっくりとずらす。

 誰かと一緒にお風呂に入るなんていつ以来だろうか。幼いころにいやな思いをしてからは、ドリーの誘いも断るようになった。似たような模様が自身にもあると慰められたが、私の心には響かなかった。


「さてと、私は先に入るわね。ミアちゃんはゆっくり来て」


 声をかけられて思わず振り返る。さいわいエレーナさんもバスタオルをまとっていたが、女の私でも見惚れてしまうほどの姿だった。

 なめらかで瑞々みずみずしい白皙はくせき、細くてしなやかな体つき、布越しにもはっきりとわかる豊満な……。ハッとした私は慌てて彼女の顔を見上げた。


「ごめんなさ……あ、あれ……?」


「うん、どうかした?」


 眼鏡を外して髪を下ろしたエレーナさんと目が合った瞬間、誰かの面影と重なった。夢で出会った夢占い師の女性だ。

 もしやニーナさんは、彼女が夢に出た姿? いや、それでは順番がおかしい。予知夢なんて言葉があるけれど、非科学的なものを私は信じない。それでも何かの因果を感じざるを得ないほどに、夢でみた人物と瓜二つだった。


「ふふふ。ミアちゃんはお人形さんみたいね」


 エレーナさんは頬に手を当ててほほ笑むと、私をひとり残して浴場へ入っていった。

 私は人形と呼ばれるのは好きではない。しかし彼女から言われても、不思議と不快感はなかった。


(うーん……。まあいっか、私もふたりを見ちゃったし。それよりも……)


 ふと夢のなかで祖母に言われたこと──私は姉と母に似ているという言葉が脳裏をよぎる。


(遺伝、かな。私は期待できそうにないや……)


 控えめな胸に手を当て、私はうなだれながら脱衣所をあとにした。


 浴場はさほど大きなものではなかったが、それでも研究所には不釣り合いなほどにしっかりした作りをしていた。

 席はちょうど三つあり、右ではすでに泡でモコモコになったネルが背中を流し始めた。中央のエレーナさんは、先に頭を洗う派らしい。

 ふたりは気を使ってくれたというのに、自分は何をまじまじと観察しているのか。私は反省し、素直に空いている左の席についた。


 いい匂いがするシャンプー。エレーナさんが選んだものなのか、この施設はどこへ行っても清々しい。ここにいると、今まで逃げまわって隠れてきた己を忘れてしまうようだ。もうおびえる必要はない。私はタオルを脱ぐと、胸元から洗い始めた。


 それからしばらくして、私たち三人は温かい湯船の中で雑談を楽しんでいた。


「いい湯だにゃーん……」


「ネル、猫になってるよ」


「あのときのミアの真似をしただけだよ」


 たわいのない話はやがて、胸のアザに起因する真面目なものへと変わっていった。


「私、前の学校でいじめられていたんです。それに気づいた姉が両親に訴えて、こっちに引っ越してきました」


「そうだったの、つらい思いをしたわね。夢日記に書かれた悪夢には、明らかにフラッシュバックと思われるものがあったから、事情を聞いておきたかったのよ」


「周囲から笑われたり、つねられたりする悪夢が一番つらいです。そういうものは女子校に移ってからだいぶ減りました」


「きっと嫉妬だよ。ミアはかわいくておとなしいから、好きな男の子を取られないようにしてたんだ。もっとも、女子校は何割かが男子化するから、今度は自分のものにしようとする子が現れるけど」


「まったく、何を言っているの、ネル。小さなころだし、そんなんじゃないよ。恥ずかしい……」


 深刻な話を嫌って冗談を言っているのか、素で言っているのか判断に困る。ネルは優しいけれど、自分の秘密となるとするりと話題を逸らし、まさに猫のようなつかみどころのなさがあった。


「思ったとおりのことを言ったまでだよ。なにせ裸のつきあいだからね」


「そうそう。結局、みんながかわいい人形を取り合っているのよ。ところでそろそろ、胸の秘密も教えてくれるかしら?」


「もう、エレーナさんまで……」


 ふたりは話をあわせたように、前の会話が終わるやこちらに問いかけるので、一番おとなしいはずの私ばかりしゃべらされてしまう。こうなったら心を覆うすべてを脱いで、洗いざらい話してしまうことにした。


「私の胸元のアザは幾何学的な模様をしていて、昔は親からの虐待を疑われたこともありました。でも母にも姉にも、場所は違うけど似たようなものがあって、きっと遺伝的なものなんだと思います。私は目立つ場所にあるから恥ずかしい……」


「幾何学的……そう言われると、ぜひ見てみたくなるわね」


「またエレーナさんたら上手なんだから。さすがのミアでも、そんなんじゃ見せてくれませんよ」


「ちょっと、それはどういう意味なの、ネル。私が自ら進んで秘密を話す人みたいじゃないの。あなたは素肌を平気で晒すくせに、自分のことは話さないんだから」


「だってさ、夢の中身を人に知られるほうが恥ずかしくない? メルヘンな子だって思われそうじゃない。ミアはシャイなようで、大胆なんだよ」


「えぇ……」


 私は急に恥ずかしくなり、湯船にあごまで浸かった。


「ふふ、人それぞれね。私としては、こんなにも夢に興味がある子と出会えてうれしいの。だからどんどん教えてちょうだい」


「もう、エレーナさんもたまには何か話してくださいよ。あなたはどうして明晰夢の研究をされているんですか?」


「私には、夢にまつわるがあるのよ。その夢をみるための一環として、明晰夢の研究者となることにしたの」


「それはどんな夢でしょうか」


「ふふ、それはまだ秘密」


「えー、裸のつきあいなのに!」


「だってミアちゃんは、肝心の模様を見せてくれないんだもの」


「それは……。だって恥ずかしいもん……」


 私はとうとう緑色の湯船にぶくぶくと沈没した。するといきなり、ネルがうれしそうな大声を出す。


「いいこと思いついた! ねえねえ、見せ合いっこしようよ。そしたらミアも恥ずかしくないでしょ」


「な、なによそれ。私はそんなこと絶対──」


「まずいっちばーん。どうだー!」


「きゃー!? ちょっと、ネル! すこしは恥じらって!」


 目の前に移動してきたネルが、突然、激しい水音とともに立ち上がる。私は慌てて顔を手で覆ったが、健康的なプロポーションをバッチリ見てしまった。


「はい、次はエレーナさんだよ」


「えー、大人の私がそんなこと……。でも、ミアちゃんの模様を見るためなら、仕方ないわね」


「乗せられちゃダメです、エレーナさん!」


 あれだけ私に言っておいて、しっかりバスタオルを巻いていた女性は、頬を朱に染めながらちょっぴり胸元を広げて見せた。


「わぁ……」


「ほうほう、これはこれは……」


 ふたりして食い入るように見つめる。それは例えるならば豊穣の女神。断じていやらしいものではなく、れっきとした芸術であった。否定する行為は、魂のけがれを自ら告白するに等しい。


「見すぎよ、はい終わり!」


「研究所改め、神殿になるかもしれないね。さあ、次はミアの番だよ。しっかり見ちゃったんだから、逃げちゃダメだよ」


「うーん、恥ずかしいな……」


「体に浮き出る模様は『天使の口づけ』といって、すてきなものなのよ。ほら、勇気を出して」


 もはやハラスメントというレベルではないが、こちらもガン見してしまった以上、言い訳は通用しなくなった。観念した私は目をつむり、わずかに胸元を緩める。すでに湯気で火照った頬が、内からさらに紅潮するのを感じた。


「なんだ、アクセントみたいでかわいいじゃない。ふふん、天使さまはずいぶんといいところにキスをしたね」


 ネルの朗らかな笑い声が聞こえる。そっと薄目を開くと、彼女はさっきより近づいていて、神妙に首をかしげていた。


「それにしても、下向きの三日月にV字を重ねたようなこの模様、以前どこかで見たような……」


「やだ、そんなに間近で見ないで!」


「ぶわっ!?」


 私はせめてもの仕返しとして、ネルの顔面にお湯をぶっかけた。

 幼い子供のからかいなんて、悪意よりも好奇心から来るもの。知らぬ間に、私のスティグマは大したことではなくなっていたのかもしれない。見せたのを良かったとは思わないが、悪い気はしなかった。


「ありがとう、ミアちゃん。たしかにそれは幾何学模様といえるわね。とても神秘的だと思うわ」


「うーん、どこかで見たことがある気がするんだけどなぁ」


 ネルは相変わらず首をひねっている。これは生まれつきのものだから、たとえ何かの意匠と同じでも、偶然の一致に過ぎない。


「さあ、エレーナさん。私は夢日記も模様もすべてお見せしましたよ。さっきの秘密、教えてください。いったいどんな夢をみたいんですか?」


「残念だけど、まだそれを語る時ではありません。もし明晰夢で出会えたら、そのとき教えてあげましょう」


「ずるーい! それっぽいこと言って!」


 浴場に、私たち三人の笑い声が響きわたった。

 裸のつきあい──とても恥ずかしかったけれど、身も心も温かくなった。心の底から、この人たちに出会えて良かったと思った。



 それから私たちは、いつものようにパジャマ会議を始めた。今夜からは三人が同部屋に泊まる。どうすれば、より夢のシンクロを引き起こせるかを真剣に話し合う。


「手をつないで寝る、なんてどうかな?」


「あはは! ミアってばかわいい〜!」


「もう、からかわないでよ。昔は暗いのが怖くて、お姉ちゃんに手を握ってもらったの。そうしたら、夢にお互いが出てきたことがあった。いつも一緒にいたから、私たちは双子以上の絆で結ばれているのかもだけど……」


 今はそのドリーから距離をとるために頑張っている。愛しているからこそ、離れなければならない。私を心配することなく、幸せになってほしいから。


「とても良い案だと思うわ。ただ、一度に複数の情報があると眠りが浅くなると思うから、私はミアちゃんが眠ったら、手をつないで追いかけようかしら」


 こうして私たちは、明晰夢と同時に夢のシンクロを成し遂げるため、とこについた。ベッドを三つ隣り合わせ、私が中央となり、右の少女と手をつなぐ。


「ネルの手って温かいね」


「ねえ、あたし思ったんだけどさ。夢で会うなら、集合場所を決めておいたほうがよくないかな?」


「たしかにそうだね。私が行きたい場所は、この辺りに似ているようで、すこし違うの。アルト・クルートという古い地名を借りているけど、昔の時代ではなくて、裏の世界みたいな感じ。でも共通しているものがひとつだけあって、それが時計塔」


「時計塔かぁ。たしかにあるね。よし、わかった。イメージできてきたよ」


「夢占い師のニーナさんはね、エレーナさんにとてもよく似ているの……」


「不思議だね。昔どこかですれ違っていた記憶が引き起こしたのかな」


 私はベッドから、横に座る夢博士を見上げる。


(やはりあなたがニーナさんなの?)


 彼女はほほ笑みながら、こちらをじっと見つめていた。


「それじゃあ灯りを消すわね。ふたりともおやすみなさい」


「おやすみなさい、ネル、エレーナさん」


「ふぁああ……、おやすみ~……」


 真っ暗になった部屋で、私は頭につけた髪飾りをそっとなでた。頭のなかであの街を強くイメージし、みたい明晰夢を想い描く。


(みんなと夢で会えますように。ニーナさん、ニーナさん……)


 つないだ手はすっかり馴染み、いつの間にか気にならなくなった。寝るのが得意なネルは、とても寝つきがいいようだ。

 私は目蓋を閉じ、じっと眠りに落ちるのを待った。

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