第3章 同じ夢をみて

第17話 神さまの夢

 わたしはパジャマ姿で、何もない空間に立っていた。辺りは暗く閉ざされているのに、不思議と己の手足は見えていて、じつに奇妙な場所だった。

 ここは夢だろうか? 思い立って何気なく頬をつついてみるが、いまいち弾力は感じられない。そこでわたしは、習慣づいていた〝夢の確認〟を無意識におこなっていたことに気づく。


「これは確かに夢ね。どうやら明晰夢には成功したみたい。でも、ここはいったいどこなの? 真っ暗で、とてもアルト・クルートとは思えない……」


 ふと気づけば正面に、わたしの背丈の三倍はあろうかという人物が、椅子に腰かけてじっとこちらを見下ろしていた。トサカのついた兜をかぶる半裸の男性で、右手に一本の槍を携え、左手は盾をひじ掛け代わりに頬をついている。


「あなた、誰?」


 その大きさにびっくりして、わたしは尋ねた。すると相手は、抑揚のないゆっくりとした声で答える。


「余は神だ」


「寝言は寝て言ってちょうだい。今どき神を自称するなんて人、信用できないわ」


「なんと嘆かわしい。難儀な時代よのう……」


 自称神さまは眉間に指を添えて、悲しそうにかぶりを振る。ちょっと可哀想なので、話にのってあげることにした。


「ここは夢の世界よね? ということは、あなたひょっとしてオネイロス?」


「残念ながら神違いだ。彼らとは領域が異なる」


「どういう意味? べつの神話ってことかしら」


「ありていに言えばそうだ」


 オネイロスはギリシャ神話の登場人物。わたしが住んでいるのはスコットランドに近いイングランドだから、思えばだいぶ遠かった。


「なんて名前?」


「もはやこの地の者どもは、余の名前すらも忘れ去ってしまったか」


「うーん、ごめんなさい、まったく記憶にないわ。だってこの国の古い神話なんて、とっくに無くなったと云われているもの。ところで神さま、あなたそんな恰好で寒くないの?」


 その者は上半身をはだけて、下は赤い布をまとっているだけ。まるで教科書で見た古代の戦士のようだ。


「寒いと言えば寒い。とくに懐は素寒貧だ」


「神さまなのにお金がないの?」


「人の子が余の権能に頼らないとすれば、この地は平和で満たされているとも言えよう。それはそれで幸せなことではあろうな」


「回りくどい。素直に信者が欲しいって言えばいいのに」


「そうさな。崇める者のいない神など、精霊とさほど変わらぬ。して、そなたはなにゆえここへ訪れた?」


「気づいたらここにいたの。むしろあなたがわたしの夢に入ってきたんじゃないの?」


「久方ぶりに人の子と邂逅かいこうしたかと思えば、ただの迷子であったか」


「迷子じゃないよ。まだ夢の始まりなだけ。あなたはここで何をしているの?」


「なにも」


「あなたは人に夢を見せる神さまじゃないの?」


「余の権能は本来、戦場で傷ついた者を癒すことにある」


「戦場なんて行ったことないよ」


「そうかな。人にはみな、己の戦場がある。そなたも傷を負ってここへ来たのではないのか」


「なんの話かよくわからない。あなたは夢を見せることができるの?」


「それで癒せるのであれば、な」


「もしかして、わたしにクジラの夢をみせてくれたのは、あなた? わたしあの夢をみて、とても感動したの。すごく癒された。あれでなんだか自分が変われた気がする」


「結末はそなたが自ら引き寄せたに過ぎない。余はその手助けをするだけ」


 微妙に芯をとらえない淡白な言葉。勇ましい見た目をしているけれど、案外、照れ屋なのかもしれない。


「そう。ありがとう、名前も知らない神さま」


 またすてきな夢を見せてくれると期待して、これまでの導きに一応の感謝をしておく。わたしは手を重ね合わせ、おねだりをするように尋ねた。


「それで神さま、次はどこへ連れてってくれるの?」


「そなたの夢は、そなた以外の何者にも生むことはできない。自ら想像し、創造するのだ」


「どうやってここから出るの? わたしはニーナさんに会いに行きたいの」


「ならば、その者を強く想えばよい」


「やったつもりだったけど、足りなかったのかな」


 わたしは目を閉じて、彼女の顔や出会った街の様子を思い浮かべてみた。


「ダメ、何も起きないわ」


「何事も一足飛びにはいくまい。己の足で一歩ずつ歩んでいかねば」


「ただ歩いていけばいいの?」


「答えはすべて、そなたの内に眠っている。余がちからを貸せるのはここまでだ」


 質問ばかりで機嫌を損ねたのか、神さまの姿はぼんやりと揺らいで消えてしまった。


「どこか行っちゃった……」


 それから一生懸命に歩いたけれど、いつまで経ってもどこにもたどり着かない。わたしは地面に大の字になって、あれこれ考えてみる。天には星ひとつ無く、ただ虚無に満ちていた。


「こんなとこに置き去りにして、なにが神さまよ。なんだか始まる前から疲れちゃった。いったいどうすればいいのやら」


 夢ってもっと瞬時に切り替わっていた気がする。ここからニーナさんの部屋に直接行くなんてわけがないように思えるけど、どんなに想いを馳せてもそれは叶わなかった。


「いつもどうやっていたんだっけ。無意識にやってることを意識してやるのって、こんなにも難しいものなのね。たいてい何かを一点にして、そこは動かずに周りがぜんぶ変わってしまうのよ。例えるなら……そう、連想ゲーム」


 独りでいると、教室で自分だけ立っていたり、部屋でひざを抱えている場面が思い浮かぶ。ここから抜け出せるならどんな悪夢でも受け入れようとしても、どこが焦点なのか正解を引かなければ、次には行けないようだった。


「あの自称・神さま。名乗ってくれなかったけど、いったいなんて名前なのかしら。たぶん一度も聞いたことないわ。神さま、神さま……神がいるところ。それは神殿」


 瞳を閉じて、想像をしてみる。今はもうほとんど忘れ去られた神のおやしろ廃墟はいきょ同然で、あちこち朽ち果てている。

 それでも彼が現れたということは、ひょっとしたら誰かが神殿の掃除をして、祈りを捧げたのかもしれない。その人物はどんな性格をしているだろう。ここは暗すぎるから、明るい人だといいな。せっかくだから、よそゆきの服を着ていこう。

 まどろみながら妄想をふくらませていると、なんだか甘い香りが漂ってくる気がした。

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