第18話 神殿の少女

 ふと自分の体が揺れ動くのを感じた。聞き覚えのない少女の声が聞こえる。わたしの腕を揺さぶって、どうやら怒っているようだ。


「ちょっとキミ、起きて! 神殿の台座で寝るなんて、不敬にもほどがあるよ!」


「うーん、むにゃむにゃ」


「こら、ねぼすけ! ボクだって怒るときは怒るんだから、早くそこを降りて」


 わたしは夢から目覚めるようで目覚めない、不思議な感覚におそわれた。目をこすりながら、ぼんやりと視界に浮かぶ人物を眺める。

 ストロベリーブロンドの髪をショートカットにした、十二歳ほどの女の子だ。まだあどけなさが残る顔にくりくりとした黄緑の瞳。ハーフパンツで飾り気のないボーイッシュな出で立ちは、活発そうな印象を受ける。


「あなた、だあれ?」


「ボクの名前はオンドレア。ってボクのことはいいの。キミこそいったい何者さ。いつの間に現れたんだ。ついさっきまでいなかったはずなのに」


「わたしは……ええと、なんだっけ?」


「おいおーい、だいじょぶかー」


「ガブリエラ? 違う、そんな強そうな名前じゃなくて、小さなにゃんこが鳴くような……」


「みゃー?」


「そう、ミアよ。完全に思い出した、ここは夢のなかね。ああ、よかった。やっと次の場面に来れたんだ」


 あらためて己を見れば、ドリーが買ってくれたお気に入りの青いドレスを身にまとっていた。どうやら何もかもうまくいったようだ。念のため、自らの頬をつついて確認する。するとオンドレアと名乗った少女は、驚いたように目を丸くした。


「なんだって? もしかしてキミ、ボクの夢の登場人物じゃなくて、明晰夢を見ている自覚があるの?」


「うん、そう。わたしは明晰夢の旅をしているの。あなたのほうこそ、わたしの夢に出てきたわけじゃないのね」


「……これは奇遇だ。どうやらボクたち、夢がシンクロしてしまったみたいだ」


「シンクロに成功したの? もしかしてあなた、ネルの夢の姿だったりしない?」


「ネル? 違うよ、聞いたこともない。とりあえず、そこは大切な場所だから降りてもらえるかな。神に捧げる祭壇なんだ」


「ごめんなさい、今すぐ降りるね。すごく甘くていい匂い。お供え物だったんだ」


 わたしは質素な台座の上にいて、周囲にはたくさんの花と果物が置かれていた。差し伸べられた手をとって、ひょいと床に跳び下りる。背後を振り返ると、ひとつ前の夢で見た人物にそっくりな石像がたたずんでいた。


「わたしさっき、この人に会う夢をみたの。そこから神殿に行きたいと願って、ここに来たのよ。ねえ、オンドレア。ここはどこ? あなたは何をしていたの?」


「キミはレヌスさまの夢をみたのか。ここは治療を司る神、レヌスさまの神殿。ボクはインキュベーションの一貫として、明晰夢でこの神殿に出入りしてたんだ」


「レヌスさま? インキュベーション?」


 聞きなれない言葉だ。わたしが近ごろ現実で見聞きした〝夢の素材〟のなかに、そのようなものは記憶にない。目の前の彼女が脳内で作られた存在ではなく、シンクロによって邂逅した人物であるのは、どうやら本当のようだ。


「レヌスさまは古代ケルトの神さ。インキュベーションとは、神聖な場所で治療のために夢をみることだよ。もしかして、インキュバスといやらしいことをする意味だと思っちゃった?」


 いったい何がおかしかったのか、オンドレアは口に手を当てて笑い始めた。


「うん? それってどういう意味? あなたはどこか具合が悪いの?」


「……わからないならいいよ。『男夢魔インキュバス』と『夢治療インキュベーション』をかけただけさ。ボクは周囲から変人扱いされていて、昔の記憶もないから、レヌスさまになんとかしてもらおうと思ってるんだ」


 どうやら込み入った事情があるようだ。精神的なことならあまり深掘りするのもよろしくない。わたしは黙って考えた。


「かわいい顔をしているし、体つきから女の子だと思うけど、どうして男の子の格好をしてるんだろう。べつに変わった子には思えないけど、なにか気にしているのかな。それにしてもすごいピンクの髪。あんなきれいな髪色をした子は初めて見た」


「おーい! 思考がだだ洩れだよ!」


「えっ? わたし今、しゃべってた? ご、ごめんなさい。わたしまだ明晰夢には慣れていないの。悪気があったわけじゃないの、許して……」


「いいよいいよ。キミがうぶでピュアなのはよーくわかったから。それじゃあ次はキミの話を聞かせてよ。ネルって誰さ。どうして明晰夢の旅をしているの?」


「わたし、夢から現実にひとの物を持ってきてしまったの。だからどうしても返しにいかないとならないの」


「夢から物を持ち出した? そんなことありえるのかな」


「ネルはわたしの初めての友達で、明晰夢をみるための修行に付き合ってくれてるの。ああ、そうだ、こうしている場合じゃない。待ち合わせをしているんだった。早く時計塔へ行かないと、ふたりが待っている。そしてニーナさんのもとへ──」


「ちょっと待って、いまキミ、ニーナと言った? ニーナはボクの姉さんと同じ名前だ。それに時計塔なら心当たりがあるよ」


「なんですって? 本当に? ……そういえば、ニーナさんは妹さんがいるとおっしゃっていた気がする。そうか、そうなのね。ようやくつながった。ねえオンドレア、お願い。わたしを時計塔とニーナさんのもとへ案内して」


 わたしは思わずオンドレアの手をとり、顔を近づける。彼女は頬を髪と同じ色に染めてのけぞった。


「わっ! わかったよ、案内する……。おかしいな、このボクが振り回されるなんて」


「どうかした? ところで、あなたの年齢はいくつ?」


 オンドレアはこちらより背がすこしだけ低ように見受けられる。わたしはクラスで一番小さいから、彼女はきっと年下で、ちょっとませている子なのだろうと思った。


「十四歳。みんなから下に見られてて、コンプレックスなんだ」


「じゃあわたしと同じね。わたしも十四なのに、いつも子供扱いされちゃうの。わたしたち仲良くなれそうね」


「……うん、そうだね。キミはずいぶんと開けっ広げで、おしゃべりな子みたいだ」


「そんなことない。わたし、人前で話せないから人形扱いされているのよ」


「そりゃおもしろい冗談だ。でも、夢と現実で性格が違うなんてことは、よく聞く話だね。物静かな子だって、心のなかでは大胆なことを思っているのかもしれない」


「うーん。さっきから、思ったこと全部が口に出てしまっているみたい。すこし気をつけないといけないわね」


 普段みる夢での会話は、はっきりとした言葉のやりとりではなく、相手の意思が直接こちらに伝わってくる感覚であったように思われる。わたしはあらためて明晰夢の難しさを認識した。


「それじゃあミア、時計塔へ行こうか。友達を待たせると悪い。続きは歩きながら話そう」


 オンドレアは燭台しょくだいの火を吹き消すと、光の差し込む入口へ向かう。わたしは背後の石像を振り返り、心のなかでお願いした。


「レヌスさま、どうかわたしをニーナさんのもとまでお導きください。ネルたちと無事に再会できますように。みんなともっと仲良くなれますように。現実に戻ったら、ひととしゃべることができますように。あとあと、ネコを飼うのを許してもらえますように。できたら白と黒の仔猫がいいな……」


「ぜんぶ聞こえてるよ! 欲張りすぎ!」


 わたしは慌ててオンドレアを追い、簡素な出入り口をくぐった。外はまだ明るくて、金色の太陽が空高くに昇っている。

 後ろを振り返ると、神殿というより古代の住居のような、石造りに藁葺き屋根のこじんまりとした建物があった。


「ずいぶんボロボロで、寂しい感じ」


「うん、信仰している人はもうほとんどいないんだ。現実では基礎しか残ってなくて、ボクが想像して作ったの。毎晩、夢で掃除して、ここまできれいにしたんだよ」


「そう言われると、味があって良い雰囲気ね」


 大通りに出ると、古風なれんが造りの家と現代的な白壁の家が、混じって並んでいるのが見えた。オンドレアは急に立ち止まり、不思議そうに首をかしげる。


「あれれ? ボクが来たときと景色が変わってる。夢がくっついたせいで、世界にも変化があったみたい」


「わたしが前に来たときと雰囲気が似ている。ここはアルト・クルート? それともカーライル? ニーナさんのもとへちゃんと行けるかな」


「なるほど、キミは表世界の住人なんだね。ボクはその裏側に住んでいるんだ。ここはどうも、そのふたつが重なっているみたいだ」


「表と裏? いったいどういうこと? アルト・クルートは夢の世界ではないの?」


「人間たちが住むカーライルを表として、妖精や魔法使いたちが暮らすアルト・クルートが裏側さ。ここはそのどちらでもあって、どちらでもない、曖昧な空間になっているらしい」


 つまりオンドレアとニーナさんは異世界の住民であり、夢でわたしと出会ったのだと、彼女は言いたいらしい。前に訪れたのは、ニーナさんとわたしの夢がシンクロした世界であり、正確には本当のアルト・クルートではないという。

 ふたつの世界にはただひとつ共通するもの──時計塔があり、それが軸となって双方が重なったのではないか、とのことだった。

 周囲を見まわせば、わたしの知る世界とはデザインの異なる塔が、わずかに頭をのぞかせているのが見えた。わたしたちはそこを目指し、不思議な夢の街を歩き始める。


「あなたとニーナさんの夢は、いつもつながっているの?」


「ううん。でもボクらは魔法使いだから、望めば夢で会うのは難しくない。姉さんは近ごろ表の世界に行っていて、夢で連絡をとりあっているんだ。いま寝ているかどうかはわからないけど、館で待っていれば、いずれ会えるはずさ」


「あなたも夢占い師オネイロマンサーなのね」


「それが違うんだ。姉妹といっても血のつながりはなく、家族のいないボクがニーナに引きとられたんだよ。ボクはもともと表の世界にいて、エナレスと呼ばれる占い師の一族だった」


 また聞き覚えのない言葉だ。どんな魔法使いなのかとわたしが尋ねると、彼女はうれしそうに「秘密」と答えた。


 やがて直線に伸びた通りの右手に、夢で見たあの時計塔が姿を現した。左の道を曲がれば、ニーナさんの占い館があるに違いない。

 燦々さんさんと降りそそぐ太陽の光が不思議と温かく感じられる。温度を感じるのは現実に戻る兆候かと危ぶむも、さいわい夢が覚める気配はない。

 これは布団のぬくもりか、あるいは夢を楽しんでいるためか、はたまたこの世界の太陽がもつ熱なのか。そんなことを思いながら、わたしは夢で出会った少女と、ゆるやかな傾斜を上りだした。

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