第15話 親睦
明晰夢科学研究所で寝泊まりするようになって早くも六日が過ぎ、ついに終わりが近づいてきた。その間、私たち三人は時間の大半を共にした。
ネルは猫の世話のためにたびたび自宅に戻ったが、私はあえて帰らなかった。食事は近くのレストランに出向き、人に見られない一番奥の席でおしゃべりを楽しんだ。
日中はエレーナさんの資料をまとめる手伝いをしたり、ネルの部活の応援に行ったり、勉強を教えてもらったりした。そして夜はミーティングをして明晰夢の訓練をし、寝て起きたあとはレポートを提出する。その繰り返し。
経過は順調で、私は確実に夢を夢と認識することが可能となった。すなわち、夢のなかで自身の頬をつつき、その感触が現実のものと異なるとはっきり理解できるようになった。
残念ながらまだ場面選びに難があり、ニーナさんに再会して髪飾りを返す目標は達成できていない。それでも、失った猫を探しまわったり空飛ぶ練習をしたり、以前みた夢の続きに行けるようになったのは着実な進歩といえよう。
初日は夢をみれなかったネルもまた、好きなボール遊びをしたり、たくさんの猫に追い回される夢を報告し、ほとんど明晰夢といえるようなはっきりとした自覚をもつようになったようだ。
自らの意思で夢を完全に操作する領域には至れていないものの、目標は近づきつつある。成長を喜んだエレーナさんは、夕食を終えて研究所に戻ってくると、私たちにある提案をした。
「ふたりとも明晰夢に成功したといってもいいでしょう。それで最終日の今夜は、集大成として夢のシンクロに挑戦してみようと思うの」
「シンクロ?」
なんとなく意味はわかったものの、思いがけない言葉に驚いて私は聞き返した。
「ええ、そう。他者と同じ夢をみて、夢のなかで出会うのよ」
「そんなことが可能なんですか?」
明晰夢が科学の範疇であるのはまだ理解可能だ。やっていることはコンピューターと同じで、生まれもった脳を利用して映像をつくる処理をしているに過ぎない。
しかし他者とそれをつなげるという行為はつまり、インターネットとなんら変わらない。精神科学の領域から逸脱した、スピリチュアルの分野なのではないか。ここにきて私は、エレーナさんの実験に疑問を覚えた。
「夢のシンクロは双子のあいだで稀に起きることが報告されていて、睡眠中に会話をする例もあるらしいわ。それをテレパシーとして片づけるのではなく、同じ体験によって引き起こされたものと解釈すれば、赤の他人同士でも同じ夢をみることは可能……と私は考えているの」
人類は夢をみる理由という初歩的なものですら、まだ正確には解き明かせていないという。だが、夢のデータ解析を積み重ねた末に、特定の条件下で発生する事象を再現すると言い換えれば、不思議と不可能ではないようにも思えてしまう。
私は右隣に座るネルの反応をうかがった。いたって真面目な表情で、疑問視している様子はない。自分よりも頭のいい彼女がこの無理難題を見下さないのであれば、私もすこし信じてみてもいいのかもしれない。
「おもしろい試みだと思います。だからなるべく一緒に行動していたんですね」
「ええ、そうよ。そして今夜はみんなで同じ部屋で寝てみようと思うの。どう、ふたりともいやじゃない?」
「話の流れからそうなると思っていました。たぶん大丈夫です……」
「あたしはまったく問題ありません」
ほとんど姉のドリーに育てられた私は、ほかの人には懐かず、会話すらできなくなった。今やすっかり打ち解けたふたりとならば、同じ部屋で寝るくらいわけもないだろう。
「この施設には、特別に共同浴場があるのよ。というわけで、今晩は一緒にお風呂に入りましょう」
「……はい?」
一足飛びに話が飛んだ気がして、私は思わず間抜けな声を発した。
「同じ夢をみるためには、今以上に親睦を深める必要がある。双子のようにとはいかなくても、それと似たようなことはできるはず。わが国には馴染みがないけれど、世界には〝裸のつきあい〟と呼ばれる間柄があるの」
それを聞いたネルは力強くうなずき返す。
「わかります。あたしも部活で一緒にシャワーを浴びるようになってから、先輩たちとの連携が上手くいくようになったんです」
「ええ!?」
一週間近くを共に過ごして、ネルは意外と繊細な少女であることがわかった。よく居眠りをするのも、細かいことに気づくがゆえに疲れてしまうのだと。だから当然、このような唐突な提案には拒否反応を示すと思ったのだが……。
「効果が期待できそうなのはわかります。それでも、私は恥ずかしいです……」
「無理にとは言わないけどね。いやがることはしたくないし、私も夢のシンクロは最初から難しいと思っているから」
同室で寝るのと素肌を見られるとでは、心情にだいぶ隔たりがある。それに本来の目的は夢占い師のニーナさんに再会することで、同じ夢をみることではない。彼女たちともっと親しくなりたいし、夢の研究に対する興味はあるのだが……。
いつまでもモジモジしていたら、エレーナさんは軽くうなずき、返事のタイムリミットを迎えてしまった。
「悪夢になったら元も子もないし、ふたりで入りましょうか、ネル。私もミアちゃんのすてきな夢を一緒にみてみたかったけど、傷つけたくはないから仕方ないわ。それじゃ行きましょう」
「あたしもクジラの夢をいちど見てみたかったな。仲良くなれないとみれないなんて残念ですね、エレーナさん」
「ちょ、ちょっとぉ……」
あからさまに話を合わせるネルに私は困惑した。最初はエレーナさんによそよそしさを見せていたのに、いつの間にか目で会話をするまで親しくなっていたらしい。
みんなで同じ夢をみるシンクロ・ドリーム。それはそれはとてもすばらしい響きに聞こえる。私だってふたりを私の夢に招待してみたい。彼女たちの夢に入って、一緒に冒険をしてみたい。そのために親睦を深めるという理由も理解できる。でも──。
笑っていたふたりはいつの間にか沈黙していた。ネルが心配そうに顔を近づける。
「……どうしたの、ミア?」
私は体を震わせ、泣いていた。前に見せてしまった涙とは違い、原因は自分でもわかっていた。早く説明しようとするものの、喉がひくついて言葉にならない。
「ミアちゃん、無理しなくていいのよ。あなたの気持ちも考えず、申し訳なかったわ」
「……待って、エレーナさん。ちゃんと理由が、あるんです……」
しゃくりあげる声を抑えながら、必死に言葉をつむぐ。このふたりに隠し事はしたくない。遠ざかりたくなかった。
「私、胸元にアザがあって、幼いころにからかわれて……だから……こ、声が……」
ふたりの吐息がわずかに漏れ出るのが聞こえた。肩にそっと温かい手が触れる。
「そうと知らなくて、ごめん」
「いいの、ずっと隠してきたから……」
手の甲で目元をぬぐって答える。同級生に何度も泣いているところを見せるなんて、恥ずかしくてたまらない。うつむいて涙が枯れるのを待っていると、今度は頭をなでられた。
「わかったわ、ミアちゃん。ところで温泉にはそれぞれ効能があるでしょう? 明晰夢科学研究所のお湯にも、きっと何かが秘められていると思うの。だからさあ、あなたの心を癒すために、一緒にお風呂に入りましょう」
「ふうぇぇぇぇ……」
強引に話をもっていったエレーナさんに、私はもう、泣きながら笑うしかなかった。
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